第7話

 いそしぎが目を開くと暗闇の中で、微かな行灯の光が照らしていた。


「……ここは………?」


 身体を起こすと、暗闇の中の気配が一斉にこちらを向いたのに気がついた。


 まだ起きて間もないというのに、暗闇の中の表情はどれも恐ろしい表情をしているのが否応なく分かった。


 拒絶、嫌悪、拒否。


 それらのいくつもの顔の奥にお屋形の顔をみつけたことは、いそしぎにとってさして救いとはならないように思われた。その表情は暗闇の中で上手く読み取れなかった。


「…起きたか…いそしぎ……」


 深々としたため息と共に吐き出された声には、深い悲しみが滲んでいた。


かさね……さん…?」


「…お前は里の入り口で倒れていたところ三日も起きなかったんだぞ」


 見たこともない皆の表情、見たこともないかさねさんの苦悶に満ちた表情に私の心はざわざわ、ざわざわとさざめいた。 


いそしぎ……正直に言ってくれ……お前は一体何をしていたんだ?」


 いそしぎは何も言えずに俯いた。


いそしぎ……何も言わないことには話が進まない……お前はまだ幼い……改心次第では温情が…」


「温情など……あるわけもなかろう!!!!誰が見ても明らかな通り此奴こやつ法度はっとを犯したのだ!!!!」


ひのえ!」


 さいの声が静止を唱えるよりも早く、ひのえの声が引き金となり疑念や恐怖といった感情を伝播でんぱしていく。


「追放だ!村から出すべきだ!」


「あの子がそんな子になってしまったなんて……」


「お前は悪くねえさ……早くに死んだ親御が悪いんだ」


 口々に大人たちの口から残酷な言葉が紡がれる。いそしぎの血はここにある冷え冷えとした何かを取り込んでいき、いそしぎの心身を蝋のように固く固くしていく。


 日を見るよりも明らかだった。いそしぎは取り返しのつかないことをしてしまったのだ。


「やめよ」


 妖狐たちの喧騒を遮ったのはお屋形の低く冷たい声だった。


「子供相手に寄ってたかってつまらぬことを申しなんし」


「お屋形様!!!つまらぬなどと…一体何を仰っしゃりますか!!!」


「お屋形様……先代が築いてきた法度をあなたが嫌っているのは知っている。だが、あなたはこの里の為政者であり、あなたは私達が二度と過たぬように導く責任があるのです。かつての先代の過ちと憎しみの歴史、それらを振り返ってなお……これをつまらぬことと断ずるお積りですか?」


 普段とは異なる、尋常ならざる声を上げひのえと、次いでさいがお屋形にいそしぎの行いごと断罪するが如く迫った。


「そうじゃ」


 一言。それにより氷のように冷たい沈黙が挟まれたが、お屋形は一向に頓着する素振りを見せなかった。 


「つまらぬものは一向つまらぬ。もうわしは飽いたのじゃ。代々作り上げてきたこの里の欺瞞ぎまんに」


欺瞞ぎまん……!?お屋形様…!?一体何を仰って…!!!」 


いそしぎよ。今は兎に角一刻を争う。婆が危篤だそうじゃ」


 それを聞いたいそしぎの頭に一片に、いろいろな思いが去来した。


 婆が……死ぬ?


 ひょっとして…私のせいで…?


 私が身勝手な想いであんなことを伝えなければ……?


 そんな……いやだ……いやだ……いやだ!


 会いたい…でも会いたくない。


 あんな声で…あんな目でもう一度見られたのなら、私は多分…とても辛くなる。


 でも…それでも……もう一度……会って話せたなら……


 私は…婆に伝えたいことを何も伝えられていない。


「…行きたかろう?」


 いそしぎはひとりでに溢れてきた涙を拭い、首を大きく縦に振るとお屋形は満足そうに笑った。


「ならば行け、あとのことはわしがどうにかする。後顧の憂いはなきものと思えよ」


 お屋形の声を合図として、いそしぎは脱兎の如き勢いで皆の間をすり抜けるように夜闇の中へと飛び出していった。


「お屋形様!」


いそしぎ!!戻ってこい!!いそしぎ!!」

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