第6話


 しかし、一月二月三月と時間が過ぎていくに従い、お屋形の言葉とは裏腹にいそしぎの胸には重たさが岩のように積もっていった。


 それは婆との情が深まるごとに、いそしぎが真実の自分のことを見、想って欲しいという、稚気の表れでもあっただろうか。


 そして、いそしぎは遂に決心した。


 今日こそは言わなければならない。


 自分が坊ではないということを。


 婆が畑仕事が帰ってくる頃を見計らって


「ばっちゃ、ちょっと話したいことがあるんだ」


「なんじゃ、坊。改まってなにやら奇妙じゃのう、なんじゃ?」


 帰ってきて荷を置くなり、婆は腰をおろした。


「…ぼくは本当の坊じゃない。ぼく…いや、私は本当は…妖狐…あやかしなのです…」


 しん、とした長い静寂が訪れた。


 すると、突然婆の大きな笑い声が小屋中に響き、いそしぎは呆気にとられた。


「ひゃっひゃっひゃ!!あなや!これは一本取られたわい!!坊や!確かに記憶が少しばかりあやふやであることもあろう…だが、そんな風に婆をからかうものではないぞよ!婆も恐ろしくなるところじゃったわい!ひゃっひゃっひゃ!」


 いそしぎの言うことを信じる気が毛頭ない婆の言い様にいそしぎは困惑を隠せなかった。かくなる上は、といそしぎは自らの懐の中の宝鏡に触れた。


「ち、違うんです…でも私は…坊ではなかったとしても…ばっちゃのことがとても好きで…」


 いそしぎは変化の術を解き、元の妖狐の姿を現した。婆の表情がまさか、という驚愕に固まる。


「ばっちゃを想う気持ちや……何かをしてあげたいと想う気持ちは……坊ちゃんにも勝らずとも劣りません……」


「ぼ、坊……?…そ、そんな世迷い言を言うものではない…さ、さ、早く元の姿へ……」


「今まで騙してごめんなさい……ばっちゃ……それでも私はばっちゃのことが……」


 婆の目が狼狽で何度も何度も白黒に明滅した。


 そして、その狼狽が行き場のない怒りになるのに、数瞬と時間は要らなかった。


 婆は慌てふためいて腰砕けになりながらもかまど場へ向かい、戻ってくるとその手には鈍く光る包丁が握られていた。


「だ、だ、だまらっしゃい!!!この薄汚い女狐めが!!!坊をどこへやった……!!答え次第ではこれっ!!これだぞよ!!!さてまた鍋にして喰うてくれよう!!」


 その時、いそしぎは驚いていた。


 いつか、初めて婆を見た時のような、血走った眼から溢れ出るようなあからさまな敵意。


 それが自らに向けられようとは、愚かしくも夢にも思わなかったのだ。


「ば、ばっちゃ………い、今まで騙してごめんなさい……私は…ただ…」


「ふざけるな!!坊を出せ!!!坊を…坊を返せ!!返せ!!返せ!!!!!」


「お婆ちゃんの家族になりたくって……お婆ちゃんを……慰めようと思って……」


「黙れ!!!黙れ黙れ黙れ女狐!!!お前など二度とここへ来るな!!!穢らわしや!!!あな穢らわしや!!!そうじゃ…合点が行ったぞ…!!お主が坊を喰ったんじゃな!!この化け狐めが!!」


「ば、ばっちゃ……わたしは……」


「だまらっしゃい!!!お前が……お前が喰ったんじゃな!!!!よくぞ厚かましくも近づいてきたものぞ……!!!」


「そんなこと…するわけない……!!」


「よくも坊を……!!!殺す!!!!殺してやる!!!!」


 婆の手から何かが閃き、鵲のいる床の少しばかり横に鈍い音をして突き立った。


 包丁だった。


 いそしぎは体中の血が逆流したように、視界がグラグラと陽炎にように揺れた。


 背筋が寒くなり、ゾワゾワと虫が這うような嫌な悪寒が身体中を走った。


 これが…死の恐怖?


 いやだ………いやだ。いやだ。


「いやだ……いやだよ……!!!!ばっちゃ……!!!」


 それから何があったか何を言われたか。悶着があったのは確かだが詳しく想い出すことは敵わない。


 いそしぎはただただ、張り裂けるような痛みを覚える胸を押さえ、這々の体で逃げ出すことしか出来なかった。


 見上げるとはるか上空では星空が明滅しているはずだが、ぼやけた視界の中で像を結ぶことは叶わなかった。

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