不穏な再会

 姉ちゃんのお腹が大きくならないうちに、やらなければいけないことがある。

 今のうちに、ベビー用品を揃えておくことだ。


「なんか、西●屋って神聖な感じがする……オレみたいな腐りきった腐男子が入っていいのかなって躊躇しちゃう雰囲気……」


「大丈夫。蓮ちゃんだけじゃない。私だってエロアニメ大好きだけど入るんだ……」


「姉弟揃ってエロに毒されている……!」


 そんなことを言いながら、オレと姉ちゃんと裕也さんは西●屋に足を踏み入れた。

 西●屋の中に並ぶのは、ベビー服に赤ちゃん用の靴下、哺乳瓶、ガーゼ、それから……。


「姉ちゃん、裕也さん、オレちょっとあっち見てくる」


「何か気になるものでもありましたか?」


「何かというか、全てにおいて気になるよね。オレが選んだものを雪也が身につけたり使ったりすると思うだけで、全身の細胞が喜んでジュワッてなるよね」


「蓮ちゃんはとにかくピンときたのを持ってきてよ。後はこっちでジャッジするから」


 姉ちゃんと裕也さんから離れて、西●屋の奥の方を探検すると。

 そこでは、5歳くらいの男の子が一人で座り込み、商品の包装を剥がそうとしていた。


 迷子か?

 いや、西●屋のようなあまり広くない店で迷子とか、ないよな。


「ねぇ、キミ。お母さんは?」


「…………」


「お名前言える?」


「静久。おまえは?」


 しずく。その名前には、聞き覚えがありすぎた。

 パパママ教室で姉ちゃんや他のお母さんたちに積み木を投げ散らかした、やんちゃでは収まりの効かない男の子だ。


「おまえって……」


「おまえだよ!なまえ、いえよ!いえないのか?あ?」


 ヤンキーかな?

 5歳くらいなのに、ものすごい剣幕だ。

 怒りのエネルギーしか感じない。

 こんな不安定な子を放っておいて、親は何をやっているのだろう。


「名前?オレはねー……」


 これ以上激昂させないために、とりあえず名乗ろうとすると。

 背後から、ぎゅむっと誰かに抱きつかれた。


「この子はねぇ、安西健くんだよぉ」


 一瞬、息が止まった。


 安西健。

 その名前を知っているのは、以前、神がかったタイミングでオレを不良たちから助けてくれた謎のイケメンだけだ。


 背中から伝わる体温は温かいのに、ぞわりとする悪寒のようなものが全身を覆い尽くす。


 名乗らなくてよかった。

 もし、本名を名乗っていれば、この不気味なイケメンに偽名を教えたことがバレてしまっていた。


「あんざいけん?ふーん」


 男の子はそのまま興味をなくしたようだ。

 後ろから抱きついたイケメンはまだオレに興味津々なようで、オレの脇腹や腰をいやらしい手付きで撫で、耳朶にかぷりと噛み付いた。


「ひっ……!」


「健くんってさぁ、男に抱かれたことってある?」


 その言葉で、夢の中で雪也に抱かれたときのことを思い出す。

 恥ずかしさに顔が熱くなって、咄嗟にどこかに隠れたくなる。


「…………っ」


「へぇ、あるんだ?」


 体勢を変えられ、尻の真ん中をすっと撫でられる。

 触れられて、思わずきゅっと力が入ってしまう。


「にいちゃん、こんどは、こいつと『せっ●す』するの?」


「次にまた会えたらね。今日は唾つけとくだけ」


 イケメンに両手で頬を挟まれてキスをされる。

 そうされるまで抵抗できなかったのは、5歳くらいの小さな男の子の口から『セッ●ス』という言葉が出たのに驚いたせいだ。


「なあ……あんた、こんな小さい子になんて言葉教えてんだよ……」


「んー?僕が教えたんじゃないよ。静久の母親……僕の姉さんがねー、そういうの無節操な人だから」


「……とんでもない親だな」


 つい口から出てしまった。

 ここまで言えば、逆上されるかもしれないのに。

 けれど、イケメンは悲しげにへらへら笑いながら言うのだ。


「でしょ?姉さんは……っていうか、うちの一族みんなとんでもない奴ばっかだよ。それで、産まれた子はみんな……とんでもない環境に順応して生きるか、それに反発して心を壊すか。そのどっちかしかない」


「…………」


 言葉が見つからない。

 モンスターになるか、病むかしか選択肢がないなんて。


「だからね、僕……このお店だいっきらいなんだ。新しい命とかさ、産まれたらみんなおめでとうって言うけどさ……僕からしてみれば、赤ちゃんってみんな可哀想。生まれてきて可哀想。ねぇ、健くんもそう思うでしょ?」


「思わないよ。だって可哀想って、諦めの言葉みたいでイヤじゃん。産まれてきたら、誰だって幸せになれる可能性があるのに」


「健くんはさ……本当の意味で絶望しても同じことが言えるのかな?」


「……知らん。本当の意味で絶望したことないし、そのときになってみなきゃわから……ッ!」


 また、キスされる……!

 そう思ってぎゅっと目を閉じたら、奴はオレの耳朶に思いっきり噛みついて皮膚に穴を開けた。

 耳朶を触ると、血が滲んていた。


「健くんってさー。なんか光の世界の住人みたいで眩しくてやだなぁ。健くんも、日の当たらない真っ暗な谷底まで転がり落ちてくればいいのに。ばいばい、また今度えっちしようね」


 それだけ言って、不気味なイケメンと静久は去っていった。


「生まれてきて可哀想、か……」


 彼らが去ったあとも、じくじく痛む耳からその言葉が消えることはなかった。

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オレの推しがまだ産まれてない! いぬのいびき @niramania

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