第7話 アイにオチた者

 神殿から出てしばらく、広い道を真っすぐ進めば徐々に建物の並びが見えてくる。

 沖ノ鳥島は太平洋上に浮かぶ孤島であり、おそろしきものが住まう魔境であると、蒼はあらかじめ聞いていた。昔、御門家の当時の当主と有志の隊員が呪術によって人が活動する場などないはずの小さな陸地だったこの島を大きく変え、御門家が自由に使える土地として変えてしまったという。

 木造の平屋が多く立てられていて、一つの村と言っても差し支えない周りの景色を見ると、蒼は当時の律と御門家の偉業がどれほどの偉業かを感じられる気がした。

 しかし建物はあっても人影はそれほどない。建物の数に対して不気味なほどに静かで無人ではないかと錯覚しそうだ。

 ある程度歩いたところで、蒼はようやく、ここの住人と思わしき人影を見た。しかしここはおそろしきものの魔境。常に先頭に入れるように警戒を怠らない。

 見た目は女性。彼女は蒼をみるとゆっくりとこちらへと向かってくる。

「お怪我をしているようですね。後ろの方」

「私のことは怖くないのか?」

 一応今の蒼は律の隊員としての装備をしている。見る者から見れば一目で組織の一員であることはすぐに判明するだろう。

 女性は淀みのない声で蒼に語る。

「私のことなどすぐに殺せるでしょう。ならば、恐れることすら必要ありません。むしろ媚を売って、一日でも長く生きられるように気を使いませんと」

 蒼はその女性の首元に注目した。

 特徴的なあざ。おそろしきものの証と言えるが、その印はまだ小さく力をそれほど持っていないと予想できる。

「言葉を話せるのか?」

「何を?」

「まだ、成りたてのようだな」

 女性は蒼の言った内容に、口を半開きにして驚いた。

「話の分かりそうな方に会えるとは暁光だ。紅をどこかで治療しないといけなかった」

「成りたて。私が元々人間だったことをご存じなのですか?」

「おそろしきものの中にも二種類いる。一般人や律の下級の者には隠されている事実だ。生まれつき呪いの印を身に宿している者は『穢(アイ)』と呼ぶ。対し、何らかの原因でおそろしきものへと堕ちた者はケガレオチと」

「そうなると私は後者ですね。ケガレオチ。なんか差別されているような聞こえですよ」

「されているような、ではなくされているんだよ。律の中には、ケガレオチとなるのは、過去、もしくは未来において大罪を犯す者がなるのだと、結論付けている者もいる」

「そんなことない!」

 突然怒鳴られて、蒼は言い過ぎたことをようやく自覚した。

「すまない。あなたが後者なら、私はなりたくてなったわけじゃない、という可能性を考えるべきだった。私には紅がいるのだから、それくらい」

「……いえ、貴方は悪くないです」

 女性は後ろを見る。その方向には特に目立つものはない。しかし女性もまた何かを見るために向いたわけでもなく、漠然と辺りを見渡すためだった。

「この島には私のように、変わってしまった者が多いです。……皆、アイの手によって体に印を刻まれました。私もそれを説明して律に助けてもらおうと思ったのに、彼らは、私の言うことは信じてくれなかった。そしてここに運ばれました」

 蒼はこの場では説明しなかったが、沖ノ鳥にいる人々がどのような存在かはある程度調べている。

 日ノ本の本土で、アイの何かしらの呪術によってケガレオチとなった人々が辿る末路は殺されるのみ。ただし御門家はおそろしきものの研究を行うために、人里離れた孤島に、まだ意識のあるケガレオチを運ぶそうだ。

 なぜ人間を殺すはずのおそろしきものが同胞を増やそうとするのかは未だ不明だ。しかし、あざが大きく、知能と能力の高い奴が行うことが多いということだけは分かっている。

「一見村に見えるここも、本当は牢獄です。部屋はいわば檻と同じこと」

「何かされているのですか?」

「いえ。私はまだ。だけど、ここに連れてこられた者の中には、律の隊員に連れていかれ、そのまま帰ってこなかった者もいます」

何かの実験台にされたことは言うまでもなく明らかだ。

「それに、あなたに行っても仕方ありませんが、ここでの暮らしも楽しくは在りません。生きているだけありがたく思えよ、と思うかもしれませんが。この体になってからは肉体も、精神も老いることはなく、特に何もする必要はない。だけど人間らしく生きようとしてはいるのです、そうしないと、心の奥底から湧き上がってくる衝動に負けそうで……それが怖くて、必死にごまかしているのです」

 女性はそれ以上口にはしなかったが、蒼は女性が何を言おうとしているのかが分かった。

 手が震えている。先ほどから左腕を右手で押さえている様子だった。左手はまるで暴れているかのように、整然とした動きではなく、それを右手で拘束していた。

 あざは左腕に近いことを考えると、おそろしきものとして、人間である蒼を殺したいという衝動であることは察することができる。

(紅もこうなるのだろうか。私を殺そうと、体が勝手に)

 命をかけて助けたのは殺されたいからではない。今は目を閉じおとなしくしている紅だが、今後どうなるのか予想はつかなかった。

「死にたくない。私は人間。絶対に、化け物なんかじゃない……。この島には、もう狂ってしまった者、そうじゃなくても衝動と向き合って人間を殺したいと思う者もいます。だけど、死にたくない、律に殺されたくない、人間でいたい者も少なからずいるのです」

 それはその女性の必死の訴えだった。蒼には、語った女性が本気で蒼に命乞いをしているように見えた。

 蒼はもう律の人間ではない。おろそしきものは必ず殺さなければならないという規律を律儀に守る必要はない。

「ご心配なく。私はあなたを殺しません。しかし、一つ頼みが。背中の彼女を癒したいのです。どこかに。……っ?」

 蒼が途中で言葉を止めたのは、周りの様子が変化したのを悟ったからだ。

 先ほどまではこの場の女性しか人影はなかったにも関わらず、いつの間にか、蒼を見つめながらゆらゆら近づいてくる人が十人以上も現れたのだ。

 全員が全員、脚や腕に特徴的なあざがあり、女性のものより二倍ほど大きかった。そして何より、目の瞳以外が赤い。

「あれは……」

 女性の顔が恐怖で染まる。

「ニンゲン……ハハハハァアア」

「ニンゲンンンンン!」

「ガアアアアアぁぁぁああああああ!」

「ジネジネイジェエエエエエエ」

 およそ人の言語とは思えない言葉を発しながらうめいている。

 蒼は確認を取る。

「あなたの話に則して言うのなら、アレは狂った者たち、ということですか」

「……もう、手遅れの、人間ではない化け物です……」

「よいでしょう。人間、と言うことは私が狙いです。この子を見ていてください」

 一人が呪文を唱える。黒い球体が空中に生成され、蒼の方へと向けて放たれた。

「アアアァアアアア!」

 蒼は背負った紅をゆっくり地面に下ろした。

 そして飛来した、殺傷力があるだろう呪術の黒い球を、腕に宿した蒼炎で受け止めかき消す。

「危険です……!」

「ご心配なく。これでも、律の一員ですので。それよりもあの者を、対処してもよろしいでしょうか。お知り合いとかは」

「もうああなってしまえば、ただの殺戮兵器と同じです。どうかご慈悲を差し上げてください……!」

「承りました」

 蒼は深呼吸をして、敵を見た。

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