第5話 過去②
そんな彼女から、多くの同級生の前で、とんでもない告白を受けた。
「好きなの。蒼」
「好き……? あの、紅様?」
「あなたと最初に会ってからずっと、私はあなたのことが好き。これからもずっと一緒にいてほしい。私、もうあなたを蔑ろにできない。護衛だから私のために死ぬのも仕方がないなんて嫌なの!」
彼女から、唐突に愛のプロポーズともとれる告白を受けたのだ。
話は少し巻き戻る。
彼女が告白へと踏みきることになったのは、訓練学校に所属して一年が経過した頃に起こった演習出撃だった。
訓練生であっても律に所属する者として、実戦を通じての演習は行われる。
その日、訓練生として一年過ごしてきた集大成として初めての妖との戦いを経験することになった。
『おそろしきものは、いつどこに現れるかは予測できない。突如人々の生活圏に発生し、何の前触れもなく殺人を始めるのだ。故に我らは常に後手に回る。それこそ我らの近くで襲い始めでもしない限り』
舞台は人々が実際に住んでいる繁華街。律の訓練学校生が何かと日用品を買いに行く、大きい商店街がある街だった。
人々の悲鳴が聞こえる。
血だまりや人間だったものがそこらに当たり前のように転がっている。
街は業火によって赤く染まり、呼吸するために吸う息で火傷をしそうだった。
訓練生としての初陣は、律で戦うと覚悟を決めた者たちの、その覚悟を問うことになる地獄だったと言えよう。
これほど大きな街を後戻りができないほどの壊して回っているのはたった三人のおそろしきものだった。
蒼と紅、そして数人の同級生は、燃える建物によって解け始めている道を走っている途中で人間を襲うおそろしきものの姿を見る。
見た目は人間と同じながら、体のいたるところに入れ墨に見えるあざが浮かんでいるのがその証拠だ。
訓練生を監督する律の正規隊員がその姿を見て驚く。
「……まずいな……!」
「何がですか?」
「蒼、見えるか。基本的におそろしきものは肌を覆うあの模様、恐印が肌を覆う割合が多ければ多いほど強い個体だ」
「え、それでは……」
今見えている肌の部分の数多くにその恐印が刻まれているその男は、とても強いということになる。
「馬鹿な……本部から聞いていた話と違うぞ」
監督の男は焦らずに、その場で身を隠す術を生徒たちに使い、すぐに増援を呼ぶことを決意してその場を離れる。その間、訓練生はその場を動くことを禁止された。このまま戦えば皆死ぬからだ。
律はおそろしきものから人々を救うはずの組織。
しかし、蒼や紅、そして多くの訓練生は何もできないまま目の前の人間が蹂躙されていく様子しか見ることが出来ない。
おそろしきものと一括りにするが、実際人間の殺し方は多数に渡る。
呪術によって底上げされた力を使い、蚊をつぶすのと同じ感覚で人間を殴り殺す者。
毒を使い暗殺することに喜びを感じる者。
まずは人間の精神を絶望によって壊してからなぶり殺しにする者。
人間を最終的に殺すことに変わりはないが、その過程には個体差がある。
今回蒼達の前で人間を殺しているおそろしきものは、実力を有することもあってか、すぐに暴力にでて人間を殺すタイプだった。
逃げ惑う人々を見て、得物を狙う野獣のような笑みを浮かべる。
そして、手に黒いかぎ爪を装備して、必死に逃げる人々の数倍速い速度で飛び掛かった。
人間の体は脆い。
「あああああああ!」
裂かれた。
「ぃや――」
首がとんだ。
「やめてやめてやめてたべでやべヴぇ」
体が五つに分けられた。
「いーちー、にー、さーん。しー。ごー。よーしつぎだぁ」
およそ生き残ることができないだろう傷を受けて、どんどんと人間が死んでいく。
初めて見る地獄絵図。訓練生の多くが言葉を詰まらせ、初めての実戦だと意気込んでいた威勢はもはや崩れてしまっていた。
そして、およそ百人を一分で殺したあと、血を舐めて、自分が殺した死体を踏みにじり狂喜する。
「はあははははははは! 楽しいわ! 楽しいわ! 人間を殺すと胸がドキドキ、心がピョンピョン跳ねるみたい!」
狂喜とは言ったが、その顔は、本当に遊戯に興じている子供のような無邪気さを伴っている
「アレ?」
そのおそろしきものが、隠形の術を使ったうえで身を隠している蒼たちのほうを向く。
「いるいるいるいるいる。まだいるにぇえ?」
ゆらゆら。ゆらゆら。
千鳥足で笑みを浮かべながら、蒼達の方へと近づいてきた。
「あーそーぼー? 律の、子供さん」
見えているのだ。
正規兵が書けた隠形の呪術が弱いわけではない。少なくとも、天才だった蒼や紅でも当時の状態では使えない高度な呪術。
それを見た目が十二歳くらいの少女が見破って、こっちにやってくる。
「あぁーそぉーぼぉー!」
蒼は紅に危機が迫っていることを感じて、すぐに彼女を連れて逃げようとする。
しかし紅は足が震え、その場から動けなくなってしまう。
「紅様!」
勝てないとは分かっていた。
しかし、蒼にとって紅はもはや単なる護衛対象ではなかった。本当に守りたい大切な人。
(こんなところで紅様を失うのは嫌だ!)
蒼は決意して、無理な戦いに挑むことになった。
蒼に味方はいない。腰が抜けてしまっている紅はもちろんのこと、先ほどの蹂躙、そしてその少女型のおそろしきものが醸し出す圧倒的な存在感に屈して、同級生のほとんどは逃げ始めてしまう。
「だめよーにげたら」
おそろしきものの少女は、まだ攻撃範囲に入っているわけでもないのに、その場で爪を一振り。次の瞬間、蒼を無視して、逃げ始めた同級生のうち三人が上と下に分かれてしまった。
「やああああああ!」
足を何とか動かして、己の命の危機から脱しようとしたその心は、目の前の惨状によって容赦なく折られてしまう。
この場でもはや動けるのは蒼一人だった。
幼い頃より修業を共にしてきた愛刀を手に、その刃に一族の秘伝である浄化の炎を纏わせ、果敢におそろしきものに挑んだ。自分を犠牲にしても、紅を守るために。
しかし未熟。蒼におそろしきものをとめる力はまだなかった。
幸いにも蒼には呪術のみの攻撃は効果がない。それは呪いを焼き尽くす蒼炎で自分の体の表面に目に見えないほどに薄く覆っているからだ。これにより、蒼は呪術でない物体と伴った攻撃でなければ、その呪術によほどの威力がない限りは届かない。
今回の同胞を殺した、正体不明の遠距離斬撃もまた蒼には効果がなかった。
「紅様! お気を確かに!」
その一言以外、蒼に紅を気に掛ける余裕はなかった。
幼い頃より家族によって鍛えられてきた剣術は未完成であり、とても敵に刃が届ほどの技量はなく、素早さも力強さに関しては人間がどう頑張っても、おそろしきもの方が優れている。
(ぐぁ……!)
三十秒。
未熟な蒼が負けるのにそれだけの時間があれば十分だった。
「君はすこし楽しかった。じゃあ、しねー」
にこにこしながら、かぎ爪に体を貫かれそうになる。
しかし。蒼は無事だった。
「ダメ!」
紅が泣きながらも、蒼の危機を救う為に呪術を使用したのはその時だった。
凄まじい紅炎の龍が現れ、敵に噛みついてその体を燃やしながら、その少女をどこかに連れていってしまったのだ。
結果蒼の命は紅に救われることになったが、自分が無事なことよりも紅が今使った凄まじい威力の術を見て、驚きを隠せなかった。
それはこれまで紅がずっと練習を続けていながらも決して形になることがなかった最高何度の術。
「紅様。お見事です」
いつものように護衛として主の立派な姿をほめようとしたのだが、それを完全に無視して紅は蒼に駆け寄る。
「よかった。よかったぁ……!」
そして紅は蒼を抱きしめる。
涙は頬を伝い、そして蒼へと流れていく。
泣いている顔も美しく素敵だ、そう思ってしまった蒼は大変な無礼であると自らを指摘して思考を改める。
「紅様。大変助かりました。ありがとうございます」
「血が出てる」
「この程度……どうということは」
「ごめんなさい」
「紅様、何を」
紅は顔を上げて、赤くなっている顔を蒼に向けて、深呼吸をする。
「私、家から、貴方のことを駒だと思って酷使していいと言われたけど、今のを見て、そんなことできないって分かった」
「しかし、私は護衛ですから多少の危険も」
紅は首を振った。
「好きなの。蒼」
「好き……? あの、紅様?」
「あなたと最初に会ってからずっと、私はあなたのことが好き。これからもずっと一緒にいてほしい。私、もうあなたを蔑ろにできない。護衛だから私のために死ぬのも仕方がないなんて嫌なの!」
蒼は唐突な告白に返す言葉が見つからない。しかし、その一方でその言葉に心が弾んでいたことを自覚した。
嬉しかった。
蒼にとって紅は大切であり、紅からもまた蒼は大切だと。
これは両想いと言っていい。そのような関係であることが本当に嬉しかった。
「……蒼は嫌?」
「いいえ。願ってもいなかった光栄です」
蒼は彼女に向けて笑った。
「私も、貴方のその豊かな表情を近くで見てきて、共に学んで、共に行動してきました。無礼な言葉をお許しください。私は、愛らしいあなたに惚れています。だからこそ、この命を守ることを躊躇いませんでした」
「蒼。そんなことは言わないで」
「はい、もうやめます。私はもっと強くなって、貴方の隣にいるにふさわしい人間になります。なので、これからも、あなたを近くで見せていただくという光栄を続けさせください」
「なら、まずは敬語はやめて。お友達から」
「それは」
「お願い」
紅の強い希望。蒼はそれに従った。
「分かった。紅」
蒼が紅を呼び捨てにし始めたのもこの時からだった。
心が弾む中で、蒼の目に一瞬映ったものがある。
紅の首から下、衣服にほとんどが隠れているものの、あざのようなものがあった。
当時は、なにかの拍子にぶつけた痕だろうと思っていたのだ。
体中がボロボロで、でもとても嬉しいことがあって、その時の蒼がそれを気に留めるほどの精神力がなかったのかもしれない。
それを見逃してしまったことを、蒼は今でも後悔している。
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