第3話 封印の姫

 広々とした空間の中に存在するのは唯一。


 中央に一人。少女が強力な呪術の鎖に巻き付けられながら、


「がぁ……ああ……」


 仰向けになって苦しんでいる。その下には彼女を中心として呪術陣が描かれていた。


 あの鎖はただの鎖ではない。巻き付けられている限りは呪術を使うときに必要な体内エネルギー――一般的に呪力源と呼ばれる――を枯渇状態にさせ続ける呪いの縛りであり、下の呪術陣はそれを強化するものだ。


(……ひどい。紅は何をしたというんだ……!)

 

 彼女へとゆっくり歩み寄る。


 そして片手で持っていた蒼の炎刃を使って鎖を、彼女を傷つけないように一本ずつちぎっていく。蒼が使うこの炎は呪いを浄化する作用があり、並大抵の攻撃を受けても傷がつかない堅い鎖であっても、呪術によって生み出されたものであれば断ち切ることは難しくない。


 この少女はおそろしきものとなった元人間だ。



 幼い頃は将来において共に生き、共におそろしきもと戦い人々を守ろうと誓い合った大切な人。


 蒼はその誓いを忘れたことはない。たとえ彼女自身がおそろしきものとなり果ててしまったとしても。


 すべての鎖を斬り終えると、彼女はうめき声を発するのをやめた。


 自分を締め付け、力を奪い、束縛し続けた原因から解放された彼女はゆっくりと起き上がって、とりあえず上半身を地面と垂直にした。


 目を開けたのが久しぶりのようで、深い睡眠から解き放たれたかのように目をパチパチと動かし、視界をはっきりとさせている。

 

 その姿は蒼にとってはとても可愛らしく見えたのだ。幼いころの記憶が鮮明に思い起こされる。彼女の愛い見目だけでなく、仕草や立ち振る舞いまでも、誰もが魅了されるような魔力を秘めていた。


 それは今でも変わっていない。


 ――否、すべてが変わっていないわけではなかった。彼女の顔や腕には、おそろしきものが持つ共通の特徴である、入れ墨のようなあざがついている。


「紅……」


 愛称ではなく彼女の本当の名前だ


 声は届き、紅は蒼を見る。


 蒼にとっては何年も望んできた再会。が――。


「お前たちはどこまであたしを苦しめれば気が済む……! 今度はまたくし刺しか? この痛みは貴様らを皆殺しにして、必ず返す」


「紅……私を覚えていないのか……?」


「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺――」


 紅の第一声は蒼にとって悪い事態となっていることを示すものだった。


 無理もない。


 六年間、外にでることも許されず閉じ込められて、呪力源からエネルギーを奪われ続け発狂してもおかしくない永遠の苦しみを与え続けられたのだ。


 蒼にそれがどれほどの生き地獄だったかを知るすべはない。発狂しても何もおかしくはないのだ。自分のことを忘れていてもまだ人の言葉を話して思考があることは不幸中の幸いだった。


 たとえどのような状態であっても、蒼はここまで来た以上引き下がれない。自分を忘れているのならば、それなりの態度で接すればいい。


「外の連中はもういない。私は、お前をここから出すために来た」


「……血の匂い。それも大勢。ああ、私をいじめたクソ野郎どもの匂いがする」


「嘘だと思うか?」


「いや。嘘ではない」


「そう。あなたには、嘘は通じない。だから私は言うつもりはない」


「解せない。私は人間の敵だ。なぜおまえは私を助けに来た」


「その話はあとにしよう。今は、あなたの治療と休養が先だ」


 蒼は一抹の寂しさを我慢して、彼女を背負う。やせ細った体は思った以上に軽かった。


 本当は、喜び一杯の顔で救助を喜んでほしかったという気持ちも少しはあって、少し拍子抜けの再会だったが、それでも今は、紅を救い出すことができたことが嬉しく、背中に確かに彼女がいることが嬉しかった。


 帰りの道は最悪なものだった。自分でやったことなので文句を言うのは筋違いであること当然だが、人間の死体がそこらにたくさん転がっている光景を目にすると、思わず目を背けたくなる。


(本当はこの刀は、人間を殺すためのものじゃないのにな……)


 過去の自分が見ればどれほど嘆くかどうか。律としておそろしきものから人々を守る正義の味方に憧れていた気持ちは確かに自分の中には存在した。

その気持ちは今も、自分の中にくすぶっている。その火種はもうかんらず消さなければならないというのに。


 紅が背負ってすぐ目を閉じて眠ってしまっていることは幸運だった。いくら心が荒んでしまっているとしても、進んで非人道的行為の痕跡を見せることはためらわれる。いつか昔のような明るく清らかな頃の心を取り戻してほしいから。


 ひどい光景が続いた神殿をようやく出て、再び長い神木の大階段を下りていく。


 ふと、過去の自分を思い出したことがきっかけなのか、自分の中の思い出があふれ出てくる。


 階段を降りるのにはある程度時間がかかる。滑らないように最低限の注意を足に向けながら、紅にこれほど執着するようになったそのきっかけを思い出し始めた。

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