第2話 蒼炎の王子

 昨晩。


 蒼は悪夢を見た。


 明かりがほとんどなく薄暗い神殿を進んだその最奥で、呪術陣と呼ばれる地面に刻まれた模様の中心に少女が一人。呪術による鎖に締め付けられて苦しむ。


 そしてその少女を救う為、自分が蒼炎を宿した刀の刃先をひざまずいている男へと向けている。


 敵であった男は嘲笑を浮かべながら告げた。


「お前にもう未来はない。蒼よ。お前がいつまで紅を護るなどという戯言を吐き、どのように絶望しながら死んでいくか。――ていてやる」


 血だまりの上で、顔がよく見えないが、声で男だと分かるその人物は言ったのだ。


 悪夢は呪いの一種らしい。


 無意識のうちに己の中にある呪術の源が脳へと作用し、無意識では得ていながら、自覚のない重要な情報を認識させるのだそうだ。『だそうだ』と言うのは、この事象は未だ証明されたことではなく、こうだろうという予想としてそのように言われているのである。


 古来、日ノ本では占術に長けた者がその事象を応用として、予言や神託という形でその人間の未来を占っていた頃もあった。日ノ本の古今東西にある多くの呪術研究機関もその予想が『当たり』だと信じて研究を続けている。


 蒼はその話を知っている。なぜなら自分もまた呪術について精通する律の一員であるからだ。


 中性的な顔立ち、細身ながら弱弱しさを感じさせない外見。そして律としての戦闘力は訓練学校の頃から飛びぬけており、性格も難はない。学校では虚構の世界の美少年が現実にいると大きな話題になり、次世代を担う律のエースと期待され、王子と呼ばれたこともある。


 実際に、蒼は家柄も一般家庭と言うわけではない。5世代前から一族全員が律の戦闘員として、律の幹部の1人、貴宮家の側近を務めてきた伝統ある家の出身であり、幼いころからきょうだいと主に英才教育を受けてきた傑物だ。


 しかし。


 今日、その肩書も、将来のエリートコースもすべて捨てることになる。悪夢はそれを決心したが故に見てしまったものだろうと、蒼は判断していた。


(……王子も、エリートも、もう終わりだ)


 もうすぐ朝日が昇る頃。蒼は呼吸をやや早めにしながら歩いている。


 神木を切り出して造られた天へと続いていると錯覚しそうな大階段を、上を望みながらゆっくり一段ずつ踏みしめて、目的地である頂上の神殿を目指していた。


 すでに退路は絶った。現時点で蒼は重罪を犯している。


 現在、蒼が居るのは、律のトップ御門有也の許可がないと入ることを許されない禁断の孤島、沖ノ鳥・妖管理島という名前の人工島だ。そこは律が決して他の人間に知られないように厳重に管理している、現世の風景とは違った、もう1つの世界が広がっていた。


 そこは妖が生きる島だった。


 人型の妖であるおそろしきもの、そして彼らが使う呪術についての研究をするため、被験体である彼らを生かして管理するための牢獄として用意された島だ。


 本来妖は人間の敵であり、殺さなければいけない存在。それを生かしていると知られれば、律の信用は失墜する。だからこそ、この場所は秘匿しなければならず、その存在を知る事すら、本来蒼には叶わないトップシークレットだった。


 しかし、蒼は、偶然にも一度だけその存在を耳にして、自分が求める探し人はそこにいるだろうと目星をつけた。


 蒼がここに来たのはまさに、六年前から行方不明になってしまった大切な人を取り戻すため。


 長かった階段は終わり、いよいよ神殿の入り口にたどり着く。


「なんだお前は」


「待て、あの方は貴宮様の側近を務める方の次代後継者候補だったはず。攻撃は待て。理由なく殺すとこっちの首が飛びかねない」


 やはりと言うべきか、神殿の入り口には見張りが2人いた。


 蒼は深呼吸して、緊張で速くなっていると感じられる拍動を押さえようとする


「これより先は立ち入り禁止です。お引き取りを」


 蒼はその警告に耳を貸さなかった。


 相手に聞こえないように、呪術行使の詠唱を行う。


(火行。これなるは清廉なる信念の現身、あらゆる不浄を清める焔の激流。現界、纏蒼焔)


 詠唱を終えたとき、刀の鞘に青く光る模様が浮き出て、清らかな蒼い炎が漏れ出す。これは呪術が成功し刀が蒼い炎を帯び始めた証だ。


 それに気が付かない見張りではない。


 蒼がやる気だと分かった今、その表情を険しくする。しかし、まだ攻撃はしない。相手から攻撃を受けたという明らかな証拠がなければ、律の守らなければならない規定に違反する可能性があるからだ。


「御身は貴宮家の側近として、人間の世を守る宿命があり、栄華なる将来が約束されているはずの身。……あなたがここに来る理由を私は知っている」


「ならばどけ」


「いいえ。島への侵入は記憶封印処置のみで見過ごされるやもしれません。これ以上進めば、貴方は死ぬことになります。あなたの御父上やお母上も悲しまれましょう」


「側近の栄誉は男系継承。私には兄がいる。ならば継承者は兄だ。私が居なくなったところで、家全体の痛手ではない。……いや、家の信頼を墜とすことにはなるか」


「それが分かっておられるなら、このような愚行はおやめください」


「……もう決めたことだ。この日、この時を私はずっと待ちわびていた。6年間、生き地獄を味わった彼女を解放することが、無力だった私にできるせめてもの償いだ」


「これは……正義のための必要な犠牲です!」


「ああ。知っているとも。だが、私はそれを認めない。という我が儘な話だ」


 柄を握り、刀身のすべてを露わにする。その刃を覆うように蒼炎が燃えている。


 蒼は駆け出した。


 見張りの兵もとうとう武器を構える。蒼を知っている男は細身の刀身を持つ剣を構え、もう一人は火縄銃の形をした、呪術弾を放つ長銃を持った。


 刀の敵が迫ってくる中、蒼は剣をその場で振る。刀の蒼い炎は蒼の意志に答え、三日月上の炎を刃から撃ちだし、その三日月は銃を持った敵へと迫り行く。


 銃を持った男は襲い来る脅威に対呪術用障壁を盾として、その攻撃を防ぐ。呪術衝撃は大きく削れたものの、攻撃を何とか防いだ。


 その間、刀を持った敵が蒼へと斬りかかった。


 蒼はその攻撃をあらかじめ予測し、回避の後に一気に銃使いへと接近する。


 足さばきと動きは並みを超えていて、


(速い……!)


 蒼の三日月を防いだばかりでまだ蒼を狙い切れていない銃使いの見張りは銃を向ける余裕はなかった。仕方なく再び呪術障壁を盾に来るだろう斬撃を防ごうとする。


 それは無意味に終わる。蒼はその障壁ごと銃使いを斬り裂いてしまった。


「馬鹿な……!」


 呪術障壁は並みではない耐久力を持つからこそ盾として使用できる。剣戟を受けた程度で壊れるはずがないのだ。


 しかし、蒼はその障壁はいともたやすく裂いた。


 蒼はもう一人、刀を抜いたその男を斬るべく走り出す。


「空石魔砲!」


 懐からいくつかの先がとがった石を出したその男は呪術を使用。呪術自体は詠唱がなくとも使えるが、その場合威力や効果が落ちる。それで、一人を殺すのには十分な威力の弾となり意志は銃弾のように撃ちだされた。それは蒼の展開した呪術障壁によって阻まれることになった。


 距離は十分に縮まった。


 男は全身で勢いをつけ、持っていた刀を振り下ろした。対して蒼はそれを阻むために刃をぶつけようと振り上げる。この場合、迎え撃つ男の方が斬撃威力は高い。基本的に斬り上げは勢いをつけにくいからだ。


 しかし、結果は基本にそぐわないものとなった。


 蒼炎の刃は、相手の刀すら容易く両断。


「これが……貴宮家を守る魔刃か……?」


 蒼はその男に何も告げることはなく、再びの斬撃でその男の命を絶った。


 目の前に二つの亡骸。それらはすべて自分がやったことを自覚し、蒼は己の進む悪の道の入り口に立ったことを自覚する。


(やった。やったぞ。これで迷いは絶った)


 わずかに笑みを浮かべて、神殿の奥へと目線を向ける。


「今行くからね。紅」


 そして神殿へと突撃した。


 防ぐことのできない炎の剣戟。幼い頃より磨き上げた速さ、そして多くの敵を前に孤立しながらも戦えるように鍛えてきた体術や剣術。


 それを前にして、神殿の中の警備兵には為す術もなく全滅。


 そして、蒼はたどり着いた。


 何をしてでも救いたかった、たった一人の彼女の元へ。

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