第四話 稀人の流儀

 かつて、学問の先達に〝妖怪博士〟の異名を持つ哲学者がいた。

 名を、井上いのうえ円了えんりょう


 アカデミックに妖怪を批判し、その存在を四つにカテゴライズした真性の天才だ。

 彼は妖怪を、大きく〝実怪〟と〝虚怪〟の二つに分けた。

 前者はさらに〝真怪〟〝仮怪〟、後者は〝誤怪〟〝偽怪〟と区分された。

 おおざっぱにいえば、〝実怪〟とは自然そのものであり、〝虚怪〟とは誤解や打算の産物ということになる。


 今回の事件が〝実怪〟なのか〝虚怪〟なのか、ぼくらは見定めなくてはならない。


「そりゃいいですけどね、なにからやりやすか? この気色の悪い雨の正体でも暴きやすかい?」


 全員が温かいものを口にして、一端落ち着いたところで、蛭井女史はそう切り出した。

 ぼくは顎を撫で、わずかに思案する。


「情報のすりあわせ、からだね。雨については、ぼくも解らないから」

「情報ってぇと?」

「ぼくには乙瀬くん……助手がまとめてくれたこの島や周辺の来歴を持っている。一方で、蛭井さんが持っている情報をすべては知らない」

「なぁるほど。あたしは逆か。そこを突き合わせて、この島の全容を暴こうって魂胆ですね? こいつはいい、じつにジャーナリズムだ」


 実際のところをいえば、なぜ伊賦夜の人々が萌花くんの母親を殺さなければならなかったのか、萌花くんが消えてしまったのか。

 そのへんの取っ掛かりが欲しいと考えていた。


 物事には、必ず起源がある。

 彼らの蛮行が事実だとして、そうなるに至った文化的、歴史的背景があるはずなのだ。


 だから、ぼくはまず蛭井女史に話を聞く。

 なにか知っていることはあるか、と。


「と、言われましてもねぇ」


 彼女は、残念そうに首を振った。


「知ってることは、さっきので全部ですよ。もちろん細々としたことは、他にも調べちゃいますが」

「たとえば……惣四郎という人物は、どんな人物だったのか、わかるかい?」

「ああ……情夫ですよ」


 なに?

 呆気にとられるぼくに、彼女はつまらなさそうな笑みを向けてきた。


「巫女ってのは、神聖不可侵の処女なんでしょ?」

「そうとは限らないが」

「え、違うんですかい? でもね、多根子って女は、そういう女でしたよ。二十二歳のとき巫女に選ばれるまで浮いた話のひとつもなく──ってのが建前で、裏では惣四郎と恋仲だった。ただしそいつは非公然、おまけにプラトニックな付き合いだった」


 ところが、と彼女は言う。


「巫女に選ばれたことで、その関係性が変化した。そのへんピンとこねぇんですが、この島では巫女は清らかな身体じゃなきゃいけないらしいってんで、惣四郎と別れさせられた」

「ま、待ってくれ! それはおかしい」


 だって。

 だってそれじゃあ、萌花くんはいつ産まれたんだ?


 多根子が失踪したのが十一年前、二十二歳のころ。

 本土に渡った彼女の手元には、十一歳の萌花くん。

 少なくとも、十一歳のときには、子どもを産んでいなきゃおかしいことになる。


「そりゃあ、あたしには解りかねますがね。しかし実子だというのは間違いないらしい。海外だと早期出産も例にはあるでしょうし。あるいは、多根子の年齢が既に改ざんされていたとか」

「……惣四郎という男は、そんな振る舞いをしても島の人たちを黙らせるだけの力を持っていた、ということかい?」

「そうです。なにせ額月惣四郎。その旧姓は、鬼灯惣四郎っていうんですからねぇ」


 鬼灯。

 それは、島長である親造さんと同じものだ。

 あの家に属するものというのなら、その影響力は確かだろう。島の人々を従える赫千神社の勇魚さん。

 彼を唯一いさめられたのが、鬼灯翁だったのだから。


「惣四郎はウロブネのなかから消え失せた多根子をどうにかして見つけ出し、そのまま連れ立って逃げ出した」

「幼い萌花くんを連れて」

「ええ、そうです。さて、あたしが知ってることはこいつで全部ですぜ。それで、先生さまは、なにを教えてくださるんで……?」

「…………」


 ぼくは。

 カチャリと黒眼鏡を押し上げて。

 それから、答えた。


「嘘のヴェールの下に眠る、この島の本当の歴史を」


§§


「そもそも、伊賦夜島の歴史は整いすぎていると感じていたんだ」

「整いすぎている、っといいますと?」

「ある時期を境に、整合性の取れた歴史が急に現れる。ぴしゃりと全てがブレなくなる。普通、民間伝承の類いはどこかで崩しアレンジが加わるものだし、いろんな地域と似通った作りになる。ところが、この島にはそれがない。まるで──示し合わせたかのように」


 穏やかじゃないですねぇと、蛭井女史が眉根を寄せた。

 首肯し、ぼくは続ける。


「どんな地域にも、証拠のない妖しい話というのはあるものだ。でも、ここにはなかった。この島の歴史では、鬼灯一根の来訪によって島は開かれたことになっている。が、乙瀬くんに調べてもらったところ、対岸である本土には、まったく異なる歴史が残っていた」


 それは、この島が流刑地だったというものだった。


「本土で罪を犯したものを、ここへと島流しにしていた。そんな記述が見つかった」

「え、ちょっとまってくだせぇよ。するってぇと、なんですか? つまり」

「ああ、この島に鬼灯一根が上陸するよりも先に、先住民がいたんだよ」


 それは、いわゆる犯罪者だ。

 けれど、これが事実ならいろいろと納得も行く。


「この島が本土から嫌厭けんえんされている理由を、ある老婆は水軍──海賊がもとになったからと語った。そのときはなるほどと頷いたけれど、やっぱりおかしいんだ」

「なにがです?」

「当時のこの辺りの水軍はね、人々に愛されていたのさ」


 ただでさえ他国と貿易のあった長崎だ、水軍は必要悪だった。

 だから、どうにもおかしい。

 そこまで蛇蝎のように嫌われる理由であるとは思えない。


「だが、流刑地だったのなら話は別だ。犯罪者、それも島流しに遭うような凶悪犯罪者だ。火付け、盗賊、殺人、そんなことをやった人間達なら、当たり前に恐れられる」

「それが、この島のルーツってことですかい?」


 首肯する。

 少なくとも、鬼灯一根よりも先に、この島は始まっていたのだろう。


「そして文献によればね、この島の暮らしは苛酷きわまりないものだったとしている。岩だらけの島だから、開拓するのも大変だっただろう。けれど、やがて子どもを産めるぐらいには改善されていった。だが、次の問題が持ち上がった。食糧難だ」

「……ちっ」


 嫌そうに。

 心底厭そうに。

 思慕くんが、舌打ちをした。


「藻採山と山姥の俎板まないたか」

「そうだ」

「ちょっと、御二方で納得してないで、あたしにも説明してくださいよ!」


 慌てた様子の蛭井女史に、ぼくは順を追って話す。


「子どもが生まれても食べさせるものがないとなれば、起こりうることはいくつかに限定される」

「そりゃ、食べられるものを外から持ってくりゃいいでしょ」

「島流しの犯罪者がかい?」

「あ……するってぇと、まさか」


 そう、そのまさかだ。


「口減らし。生まれた子どもを殺して回ったんだよ」


 江戸時代、子殺しは非難されるものではあったが、罪に問われることはあまりなかった。

 それだけ、子どもが生きて行くには困難な時代だったからだ。


「ある地域では、産まれたばかりの赤子を殺すことを〝もどす〟と表現する。七歳までは神のうち。産まれたばかりの赤ん坊は、人間ではないので、神の国へ戻すという意味だ」

「いや、いやいやいや。だったら藻採山ってのは!?」


 そうだ、子どもが戻る山だから、藻採山なのだ。


「おそらく、死んだ子どもの遺体を、あの山から川に流したのだろう。小流川というのも、子どもが流れるという意味合いがあるのだと思う。あるいは流産そのものだ。あの注連縄が逆の鳥居も、山から流したのだと考えれば辻褄が合う。子どもの魂が戻ってこないようにしたんだ。海に流すのはままある風習だし、違うかい、思慕くん?」

「どうかね。ただ、かつて海にあった社は、荒ぶる魂を鎮めるためのものだったのさ」


 やはり、そうか。


「じゃあ、山姥の俎板ってのは……」

「……これは、ぼくの推論になるが」


 おそらく、食糧難に対して、赤ん坊を奪って食べた者がいたのだろう。

 そこから着いた地名だと思われる。

 天狗の子守岩というのも、いま考えれば恣意的な名前だ。


「ヨギホトさまに饗される神饌。あれも随分露骨だ。サザエを上に二つ並べ、その下にアワビを置く。またはむき身の伊勢エビを反り返らせて置く」

「子宮とご立派ってところさ。見立てるのは大事なんだよ、まじないにおいてはな」

「……オーマイ」


 ペチンと、蛭井女史は右手で顔を覆った。

 心なし、血の気が引いているようですらあった。


「しかし、大事なのはここからなんだ、蛭井女史」

「これ以上、なにが」

「これは、伊賦夜島の歴史にはないことなんだけれど。歴然たる事実として聞いてほしい」


 かつて、この島は。


「大津波によって、一度壊滅しているんだよ」

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