第五話 解釈、推理、仮説
「藻採山の中腹、赫千神社より下方に津波境石があった」
「津波さか……なんですか、そいつは?」
「津波記録石ともいうこれは、石碑のようなものなんだ。以前、この地点まで津波が襲ったという記録、過去からの警鐘だよ」
「……? しかし、この島に津波が押し寄せたなんて話は」
そう、ない。
だからこそなのだ。
「捏造されている」
妙にしっかりとした歴史の正体は、作られたカヴァーストーリーに過ぎなかったということだ。
鬼灯一根の入植は事実だろう。
そして、彼が何らかのブレイクスルーを成し遂げ、その結果今日までこの島が生き延びてきたのも事実だろう。
「だが、そこで語られていることは全て、真っ赤な嘘っぱちの可能性がある。後日の創作に過ぎなかった確率が高い」
「だったら」
そう、それは暴かなければならない。
「ですが、ですがですよ、貝木先生」
蛭井女史が、困惑したように首を傾げる。
「この島には嘘っぱちの土壌がある。ええ、そいつはわかりやした。ですが、それが事件と、どう関わってくるんですかい?」
「いい質問だ」
プロフェッサー怪奇学としては、こう答えよう。
「彼らは、自分たちの犯した殺人を、怪異の所為にしようとしているんだよ。井上円了がいうところの〝偽怪〟──打算による怪異の捏造だ」
「なんですって?」
「伝統や習慣というのは、他人から馬鹿げたものでも、そこに住まうものたちにとって絶対の不文律であったりする。そうでなくとも、蔑ろには出来ない、日常に一体化しているものだ。だから、常識というのは地域によって可変する。善悪に対する考え方が、まるっきり違ったりするのはそのためだ」
「へ、へぇ……?」
「……順序が逆なんだ」
事件が起きたから怪異が産まれたのではない。
「怪異がいたから、仕方なく事件を起こしたのだと、彼らは思いたいのさ」
「…………」
この辺りは複雑だ。
順を追って事件を紐解いていこう。
「一番初めの事件、先代巫女こと額月多根子失踪事件だけど……これについては保留にする」
というのも、その根幹が、恐らく最新の事件、額月萌花失踪事件と同じだからだ。
「だから、やっぱり最初に考えるべきは菊璃巫女の死についてなんだ」
「ありゃあ他殺でしょ。心の臓をひと突きでしたよ」
「うん、田所巡査は明言しなかったけれど、おそらくそうだろうね」
「じゃあ、あの……なんでしたっけ? ウバザメに乗り上げられた理由ですか?」
「違う。考えるべきなのは──」
そう、彼女の死で一番謎めいている部分は。
「誰が、なんの目的で赫千菊璃を殺したか、だよ」
§§
ふと、ぼくは思慕くんを見遣った。
生前菊璃巫女とは親しそうにしていた彼女だから、なにか思うところがあるんじゃないかと考えたからだ。
しかし、違った。
彼女はいまだ雨粒の滴るフードの下から真っ直ぐに、その黒目がちの隻眼をもってぼくを見つめているだけだった。
ゾクリと、背が震える。
まるで、なにかを測られているようで──
「貝木先生」
「あ、え?」
「しっかりしてくだせぇよ。それで、誰が殺したって言うんですか、あの巫女さんを」
「……ぼくは、勇魚さんじゃないかと、睨んでいる」
「なんですって!?」
蛭井女史が頓狂な声を上げた。
もちろん、それはぼくにも理解できる。
彼には一見して、妹を殺す理由など存在しないように思えるからだ。そもそも、兄が妹を殺すなど、ぼくらの常識ではあり得ない。
けれど。
「ぼくだって、確証はないんだ。けれど、用意が周到すぎたんだよ」
「なにがですかい」
「勇魚宮司はね、菊璃巫女が亡くなる前から萌花くんに巫女の稽古をつけていたんだ」
「あ!」
そう、そうなのだ。
彼は、まるで実妹が死ぬことが解っていたかのように、萌花くんを巫女に仕立て上げていたのだ。
逆に考えれば、彼はあの日、菊璃巫女が死ぬと知っていたことになる。
「仮説はある。けれどこれを裏付けるためには情報が足りない。だから、次の殺人についての解釈を話そうと思う」
「笄十郎太、ですね」
十郎太さん。
彼は何故殺され、いかようにして巨大な岩に押しつぶされたのか。
「殺害の理由は……恐らく祭りに消極的だった、もしくは祭りをやめさせようとしたからだろう」
事実、十郎太さんはぼくらに中止を願っていた。
そして、その帰り道で、あの怪異に遭遇した。
それはあまりに、あまりにタイミングがよすぎるのだ。
「あれをぼくは幻覚の類いと考えていた。けれど、ヨギホトさまの像を見て考えをあらためた。誰かが、十郎太さんを狙って芝居を打ったのではないかと?」
「そいつは、だれです?」
正直、解らない。
けれど。
「間違いなく、祭りを続けさせたかったものたちだと思う」
これを踏まえた上で大岩、カジロブネだ。
「どうやっても人間の力では落とすことの出来ないカジロブネを、いかにして十郎太さんに命中させたのか。結論から言おう──重しを使ったんだ」
蛭井女史が、眉根を寄せた。
そうして、すぐさまカメラを触ると、現場をうつしたと思わしき写真を出してくれる。
ぼくはそのうちの一枚を選んで、告げる。
「これにちょうど写っているんだ、その証拠が」
「どれです?」
「この、五つの穴だよ」
それは、カジロブネに穿たれた、人間の指より太い五つの穴。
ボーリングの球のような形で開いているその穴こそ、巨石を動かしたトリックだとぼくは睨んでいた。
「こんな穴っころになにが……まさか先生、てこの原理だなんてふかすんじゃねぇでしょうね?」
無論、違う。
そこには恐らく、くびきが打たれていたのだ。
それも、ロープと重しがつけられた。
「くびき?」
「ああ、返しのあるタガネのようなものを打ち込んでいたんだと思う。そして、反対側にはロープ。ロープの先端にはおもりをつける。五つも重りがあれば、当然カジロブネのバランスは変わる。任意の場所めがけて落下させるのも、重りの位置次第では難しくない」
「ですが、重りなんて現場には……」
「あるじゃないか、この島には重りに使ってもばれないような、ありふれたものが」
「?」
首を傾げる彼女に、ぼくはもったいつけずに告げた。
「落石だよ」
そうだ。
この島では、頻繁に落石が起こる。
それも結構な大きさの石だ。
あれを重しに使って、後にロープとタガネだけ回収すれば、痕跡など残らない。
「はぁ……? なんとなくは解りましたが、そう上手く行きますかね?」
「どうかな。しかし、説明は出来る。翻って菊璃巫女だけど、もしかすると彼女も祭りに反対していたんじゃないだろうか? でなくとも、今回の祭りにとって邪魔だった、とか」
であれば、殺されたことへの辻褄が合う。
推論に推論を重ねているいびつな推理だが、それでも形が見えてきた。
「そして、最後の事件だ」
最初と最後の事件。
伊賦夜島連続巫女失踪事件だが──
「ウロブネ――祭祀堂は完全に密室だった。中に入ったとき、ぼくが確認している。どこにも、出入りができるような場所はない」
「なら、不可能犯罪じゃないですかい?」
いや、違う。
仮説はある。繰り返しになるが、仮説はあるのだ。
ただ――
「この仮説を証明するためには、あるものを確認する必要がある」
「そいつは、なんですかい?」
彼女の問いに。
今度はぼくはもったいをつけて。
……正確には、少しばかり常識という臆病風に吹かれながら。
こう告げたのだった。
「ヨギホトさまの神秘を、暴かなきゃいけないんだよ」
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