第三話 希望の探究

「この島に前乗りしたとき、徹底的に隠れられそうな場所を探しといたんでさ。で、ここはその成果ってわけです。伊達にふらついてたわけじゃあ、ありゃしやせんぜ」


 彼女が案内してくれたのは、海岸沿いにある洞窟のひとつだった。

 いつの間に運び込んだのか、山積みなっている荷物から、彼女は小型のカセットコンロを取り出し、手早くお湯を沸かしはじめた。


 しかし、ぼくの脳髄はいくつもの出来事の連続に麻痺してしまっていて、とても正常に稼動しているとはいえない。

 まずもって状況を整理できていないし、何から考えればいいかも解らない。

 茫然自失していると、蛭井女史が話しかけてきた。


「先生さんは、ですよぉ。この一件を、どう睨んでやすか?」

「どう、といわれても」


 人が死んで、消えて、異形が残っただけだ。


「それでさ」


 パチンと、彼女は膝をたたく。

 その瞳に、熱情が燃えている。


「十一年前、この島から失踪した巫女、額月多根子たねこ。彼女は」

「ああ、知っているよ。萌花くんの母親で、交通事故でなくなったという──あれ?」


 そこまで口にして、ぼくは違和感に囚われた。

 見遣れば、蛭井女史がニヤニヤとこちらを見つめている。

 試されていると感じた。

 ほんの僅かな好奇心が、心という内燃機関にかすかな火を点す。

 凍り付いていた頭が、僅かに回転をはじめる。


「額月多根子は、萌花くんと同じように密室の中から消え失せた。けれど、生き延びて普通に本土で暮らしていた……?」

「でなきゃ、幼い萌花ちゃんをこの島から連れ出す人間がいないはずでしょうよ」


 このことを、島の人たちは知っていたのか?

 勇魚さんは初め会ったとき、萌花くんの両親が死んだことを知らなかった。

 しかし、ご両親は? と確かに訊ねてもいた。

 失踪していたのなら、消息を訊ねるのは自然だが……


「つまり、島民の間では、失踪した多根子さんが本土生きていることは、公然の秘密だった? その上でとぼけていた?」

「まあ、そういうことになりましょう。祭祀堂からは消えたが、生きているのは知っていた。そして、我が子を連れて逃げ出したこともね。そいで、こっからが本番なんですが」


 急浮上した事実に困惑するぼくを。

 さらに追い込むように、ルポライターは突飛な真実を口にする。


「その多根子さんを殺したのは、この島の連中なんですよ」


§§


「どういう、ことですか?」

「どうもこうもありやしません。あたしはね、あのとき偶然、その場に居合わせたんです」


 なんだって?


「いまから八年前のことですよ。そのころ駆け出しのひよっこだったあたしは、まったく無関係な別件を追って、長崎の山中にいやした。ぱしゃぱしゃ写真など撮っていやしたら、突然クラクションが鳴った」


 蛭井女史曰く、こうだ。


 クラクションが鳴ったあと、盛大なクラッシュ音が響き渡った。

 慌てて公道に降りると、そこでは交通事故が起きていた。

 道には衝突のショックで投げ出されたのか、少女がぐったりと転がっており、彼女は慌てて駆け寄った。


「まだ息があると安心したときでした。車から、男がひとり這い出てきてですね、あたしに言うんですよ。『その子を連れて逃げてくれ』って」

「それが」

「ええ、たぶん萌花ちゃんの父親……後に調べて解りやしたが、額月惣四郎そうしろうです」


 その人物は、こう続けたらしい。


「『このままじゃ、その子まであいつらに連れ戻されてしまう。多根子は既に奴らの──』ってね」

「どういうことですか?」

「当時はあたしもさっぱりでした。ですがね、いまなら解る」


 ぐつぐつとお湯が沸き、湯気が舞い上がる。

 それはぼくと、蛭井さんの間を漂って、一瞬彼女の表情を隠す。

 潮風が吹く。

 湯気が晴れて露わになったのは、ひとを食ったような表情で笑うマスコミではなく、真実を探ろうとするジャーナリストの顔だった。


「この島の人間は、何らかの理由で額月母子を必要としていたんでさ」

「……証拠は?」


 蛭井さんは瞑目し。

 まぶたに焼き付いた光景をそのまま言葉にするように、口を開いた。


「惣四郎の警告を聞いた次の瞬間、車が大爆発を起こしましてね、あたしは萌花ちゃんもろとも、爆風で吹っ飛ばされました。そして、それが幸いしやした」


 炎の向こう側に、蠢く影があったのだという。

 数人の影は、なにかを背負って走っているようだったらしい。


「爆発で奴らはこっちを見失った。あたしは、咄嗟にカメラを構えて。ええ、バッチリ取ってやりましたよ。それが、こいつでさ」


 差し出された写真を見て、ぼくは息を呑んだ。

 なぜならそれは、目合ひ祭りの正装をした人影で。

 手には、包丁が握られており。

 なによりも、


「人間の、胸から下の遺体……」


 そんな悍ましいものを背負いながら逃げていく複数人の姿が、克明に映し出されていたのである。


「おそらくそれが、額月多根子の遺体の大部分です。事故で見つかってないっていう、彼女のね」

「このことを、警察には?」

「もちろん、言いやしたよ。善意の協力は市民の義務! ですが、こんなのは当然信じてくれやせん。あたしは、胡散臭いジャーナリストですから」

「萌花くんは、あなたを知っていたのですか?」

「……それがね。事故の時に頭を打ったらしく、それ以前の記憶があやふやになっちまってたんですよ、あの娘は」

「だからか!」


 だから、彼女の証言と、実際の母親の死に様が食い違う。

 だから、彼女の出自と、この島の連中が口にする過去が噛み合わない。

 おかしいと思っていたのだ。

 この島で産まれたと言いながら、この島について何も知らない彼女のことが。

 彼女自身が語る半生と、この島の住人達が口にする事柄が合致しないことが。


 だが、これで辻褄が合う。


 そして、ぼくは連鎖的に思い至る。

 彼女が質屋の常連だったというのは、おそらくはこの境遇からくるものだろう。

 人々とのつながりを求めたのも、また過去を失っていたから。

 合点がいく。噛み合いはする。


「もともと、その事件を切っ掛けにして、あたしは伊賦夜島巫女失踪事件を追いかけはじめたんです。真実ってヤツを暴きたくて。そうして調べていく中で、疑惑はドンドン膨らんでいった」


 そこにつけて、菊璃巫女殺人事件が起きた。


「あたしはピーンときましたね、この島の連中には、なにか後ろ暗い隠し事があると。そして、それが人を三人も殺さなきゃいけないことだってんなら、こいつはとんでもないスクープだ。カルトによる連続殺人だ! なんとしても世の中に公開しないといけねぇ! そう思って、行動してました」

「…………」

「でね、その上で、貝木先生のご意見を伺いたいんですが」


 彼女は、沸かしたお湯をカップに注ぎ、こちらに手渡してくれながら、言った。


「一連の奇妙な事件は、人間の仕業ですかい?」

「…………」


 カップから伝わる、熱いぐらいの熱量。

 それは、彼女の情熱そのものであるように思えた。

 このお湯を受け取り、そして口にするのなら、ぼくはこのジャーナリストと、誠実に向き合わねばならないだろう。


 しかし、そんなことが出来るだろうか?

 プロフェッサー怪奇学などと揶揄される、真っ当とはかけ離れたぼくに。


 すでに怪異現象を体験してしまったぼくが、この一件に否と。

 人による殺人であると、判を押すことが、出来るだろうか?


「……っ」


 脳裏をよぎったのは、教え子の顔。

 手の掛かる、けれど自分をどこまでも無条件に慕ってくれる女の子の、儚い微笑み。


「稀人」

「……思慕くん」

「おまえは、これ以上――」

「ごめん」

「え?」

「いまは、キミの優しさに甘えるときじゃない」


 ぼくは、カップを握りしめ。


「……っ」

「ちょっ」


 慌てる蛭井女史を無視して、一息にあおった。


 熱が食道を焼き、胃を灼熱で炙り、そして血液を通じて全身へと伝播する。

 燃え上がる心、沸騰する好奇心。

 凍結していた脳みそが、いまようやく、フルスロットルで回転を始める。


「この貝木稀人には理念がある!」


 心が命じるままに、胸が叫ぶままに、ぼくは言う。


「それ即ち、怪異の実在を証明することだ……!」


 だが。


「怪異を証明するためには、全ての虚実を──嘘偽りを暴かねばならない」


 そして、この島は虚飾に塗れている。

 嘘っぱちのテクスチャが、島全体を覆い包んでいて事実を見えなくしている。

 だったら、それを引っぺがすしかない。


「十一年前、この島から消えた巫女は、本土にて無事だった。もしも、一連の事件全てが人間の手によるものなら、同じように彼女も」


 額月萌花もまた。


「いまだ無事に、生きているかもしれない」


 だったら、やるべきことはひとつだろう。

 たったひとつ、それを為すために、きっとぼくはここにばれたのだ。


「伊賦夜島連続巫女失踪事件、および笄十郎太ならびに赫千菊璃殺害事件の真相を──ぼくは暴いてみせる!」


 そうさ、だってこんなの。


「ちっとも怪奇的ではないからね!」


 その瞬間。

 確かにぼくは、一条の希望を見いだしていた。

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