第二話 伊賦夜島連続巫女失踪事件
「これは、何事ですか」
騒然とする民衆を割って、つかつかと歩んできたのは褐色の肌の美丈夫。
勇魚宮司が、襟元をただしながら、やつれた顔でこちらを見た。
「……まさか」
一瞥して状況を理解したのだろう、彼の顔が青ざめる。
「馬鹿な、あり得ない。ありえては、いけない──」
譫言のように呟く勇魚宮司。
だが、これで終わりではなかった。
すべて、ここから始まった。
「た、たいへんじゃ! 赫千菊璃の遺体が派出所から消えてなくなった! それに、笄十郎太の遺体も消え去って、か、代わりに、訳のわからん白いぶよぶよが──」
突如駆け込んできた田所巡査が、取り乱しながら叫ぶ。
彼によれば、菊璃巫女の遺体は派出所の方で保管していたが、気味が悪くて出来るだけ見ないようにしていたらしい。
それが、今朝になって忽然と消えたというのだ。
「鍵はかけちょった! じゃっどん、毎日見とったわけじゃなかけん、いつ消えたかまでは……」
「田所巡査、十郎太さんがどうこうとも、言っていましたね?」
ぼくはなんとか立ち上がり、彼に尋ねる。
すると巡査はコクリと頷き、
「ここに来る前、もしやと思ってカジロブネの落ちた場所に行ったんじゃ。そしたら──」
言葉に詰まった彼を押しのけ、ぼくは走り出す。
「あ、学者先生! わしらもいくぞ」
触発されたように、鬼灯翁が。
そして勇魚さんたちも、後に続く。
祭祀堂の反対側、貌無岩の直下にあたる場所へと駆け込んだぼくが見たのは、衝撃的な光景だった。
同じだ。
同じだった。
それは、祭祀堂で見たのと同じもの。
人間の水死体のような肌を持つ、肥え太った異形が、下半身を巨岩に押しつぶされて横たわっていた。
……昨日まで、十郎太さんがいた場所にだ。
くらりと目眩がして、思わず頭を押さえる。
やさしく、背中を支えられた。
「思慕くん」
振りかえると、厳しい表情をした彼女がいて。
そして、追いついてきた島民達が、騒然とし始める。
誰もが顔色を悪くして、
「アワシマ……」
「祟りだ」
「堕歳児の祟り……」
「十郎太はアワシマに成り果てたのか」
などと、口々に言い始める。
「もどせ……」
「……もどせー」
「もどせぇぇ、ながれぇぇ」
「ええい、静まれ!」
口々に呪文のような言葉を発しはじめた島民達を、勇魚さんが一喝する。
だが、彼らはやめない。
勇魚さんは舌打ちをすると、取り巻きたちを呼び集めはじめた。
そうして、ちらりとこちらを向く。
「稀人、逃げるぞ」
背後から聞こえたのは、酷く小さな声。
次の瞬間、ぼくは思慕くんに思いっきり手を引かれていた。
「逃がすな、追え!」
勇魚さんが叫ぶ。
島民達が目の色を変える。
そこではじめて、恐怖心が湧き出した。
「ひっ……」
喉元まででかかった悲鳴を飲み込み、力の萎えかけた足に活を入れ、思慕くんにひかれるまま、森のなかへと飛び込む。
背後では、放たれた猟犬のごとく、島民達が走り出している。
なぜだ?
何故ぼくらは追いかけられている?
「自分で考えろ、莫迦!」
考えろと言われたって、さっきから頭が働かない。
何をしているのか解らないし、何をしたらいいのかも解らない。
ただ、振り向けば鬼のような顔をした島民達がいて、それが、無性に恐ろしくて。
「し、思慕くん、どこへ!?」
「さあな! とにかくいまは逃げの一手だ!」
メチャクチャに森の中を走り回り、獣道を滑り降りて、そのまま横合いに飛び込む。
寸前まで自分たちがいた場所を、ほんの僅かな時間のあと、勇魚さんの取り巻きたちが、凄まじい形相で通り過ぎていく。
彼らの手には、いつの間にか刃物があった。
おそらく、眞魚木細工に入れてあったものだろう。
いや、そんなことを悠長に考えている場合じゃない! 明らかにぼくは混乱している。
これは異常事態だぞ、逼迫した緊急事態だ。
このままでは、ぼくらは。
「あるいは、殺されるかもな」
押し殺した声で、思慕くんが笑う。
その額には、珍しくも冷や汗が浮かんでいた。
走っている間に脱げたのだろう、フードが外れて、彼女の烏羽玉色の髪の毛が、びっしょりと雨の雫を吸っている。
「逃げるしかないとしても、この島から出る手段がない。それに、こんなところに隠れていたんじゃ、すぐに見つかって──」
「それなら、あたしがお役に立てると思いますがね」
虚を突いて後ろから聞こえた声に、ぼくらは飛び上がりそうになった。
拳を構えながら振りかえれば、そこには、
「おっと、その体力はとっておいてくだせぇ。へっへっへ、なぁに妖しいもんじゃありませんよ。あたしは──」
「ひ、蛭井女史!」
蛭井遙香。
びっしょりと雨に濡れた、ルポライターがそこにいて。
「教授さん、協力してくださいよ。いまこそこの島の──非道を暴くときですぜ」
酷く真剣な表情で、そう言ったのだった。
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