第六章 プロフェッサー怪奇学の仮説推理

第一話 額月萌花の失踪

 朝。

 雨音で目を覚ます朝。


 はて、昨日のことは夢だったのかと目を開けると、部屋の中は荒れ果てていた。

 絶句するとともに、慌てて部屋から飛び出す。


 外は、赤い雨。

 地獄のような、空模様。

 どうしようもない、異形の空。


「おお、教授先生。おはようございます」

「親造さん……!」


 ちょうど行き合った鬼灯翁に、ぼくは慌てて説明を……しようとして、思いとどまる。

 あれは怪奇的な出来事だ。

 どう考えても、ありのままを告げて、信じてもらえるわけがない。

 どう話すべきか思案して、口をパクパクしていると、彼はなにかを察してくれたようで、


「わしに、見せたいものでも?」


 と、言ってくれた。


「そうなんです。部屋が!」

「部屋……?」


 取って返し、自室に戻る。

 荒れ放題になってしまった室内を島長に見せると、彼は顎を撫でた。


「ははぁ、教授先生もお盛んで」


 違う、そうじゃない。

 そういうことじゃあない。

 話すしかない、たとえ信じてもらえなくとも、ありのままを。


「なにか、青白いものに昨晩ぼくは襲われて。それで、萌花くんがいて。それに雨ですよ! なんですか、この赤い雨は……」

「わしは雨についてはわからんが……しかし、巫女どんが? ふぅん……よか、よか若者にせじゃ」

「親造さん!」

「じゃったら、確かめに行くかのう」

「な、なにをですか?」


 彼はかすかに笑って、こう告げた。


「朝飯を食ったら、祭りの締め括りじゃけぇ」


§§


 ……この島の人々は、本当にこの奇祭を大事にしているのだろう。

 いまさらになって、ぼくは痛感していた。


 誰が死んでも、何があっても決行する。

 その不退転の覚悟がなければ、こんな異常気象の中、ほとんど全ての住民が山の上に集まったりはしない。

 そもそも、だれひとりだって赤い雨に疑問を覚えているものはいないようだった。


 祭祀堂の扉は、やはり固く閉ざされている。

 許可を取って確かめた限り、施錠は間違いのないものだ。どうしたって扉は開かない。


 谷頭さんが鬼灯翁から鍵を恭しく受け取り、錠前を外す。

 かんぬきも外し、扉が──開く。


 しんと静まりかえった薄暗い屋内から、白く煙った冷気が立ちこめた。

 もう夏だというのに、冷たい空気。


 固唾を飲んで、内部を覗き込む。

 ……萌花くんの姿はない。

 ヨギホトさまだけが鎮座ましましている。


「確か、萌花くんは奥の部屋にこもっているんでしたよね?」

「うむ、巫女はそこでお役目ば果たす。まずは、ヨギホトさまにお帰り頂かねば、悪霊に獲り喰らわれてはかなわん」

「悪霊……?」


 首を傾げている間にも、選ばれた正装の島民が内部へと入り、船型の山車を持ち上げ、外へと運び出す。

 彼らの顔に、ぼくは見覚えがあった。

 勇魚さんの取り巻き……?


「そういえば、勇魚さんの姿がない?」

「おお、そういえばそうぞ。神主がこの場に立ち会わんとは、所詮は先代と同じか。小童が」

「親造さん?」

「いんや……しかし、なにか妙じゃ」


 島長はしきりに首を傾げている。

 確かに、なにかおかしい。

 先日、闇の中で見た祭祀堂と、いま灯りに照らし出されるそこは、同じようでいてなにかが違う。


「……壊れている」


 ぼそりと呟き、自分でも背筋が震えた。

 そうだ、壊れている。

 堂内の板張りが、洞窟の壁面が、なにもかもが傷だらけで、強い力でたたき割られたように壊れている。


 まるで暴風の去ったあと。

 あるいは、或いは今朝の、ぼくの部屋の──


「も、萌花くんは!」

「すぐに確認させる! おい、奥の扉ばひらけぇ!」


 ぼくの危機感が伝染したのか、切迫した様子で親造さんが命令を飛ばした。

 先ほどまで彼にあった余裕、あるいは慢心のようなものは、きれいさっぱり消え失せていた。

 役職のものが、扉を開いて。


 そして、誰もが表情を凍り付かせた。


「なっ」


 ぼくもまた、言葉を失う。

 一堂が騒然となる。

 不穏と不安を煮詰めたような雰囲気が一気に拡散し、ぼくはたまらず祭祀堂へと駆け込んだ。


 なぜなら。

 なぜならば──


「萌花、くん……?」


 そこに、彼女の姿はなかったから。


 そう、祭祀堂ウロブネに。

 自然の洞穴を人の手によって加工した祈りと鎮魂の場所に、額月萌花の姿は影も形もなく。


「なんだ、これは──?」


 そこには青白い。

 ぶよぶよと肥え太った、人間の胸から下を切り取ったような、醜悪なオブジェが坐して。

 時折ブルリと、身を震わせているのだった。


「──伊賦夜島連続巫女失踪事件」


 その言葉を口にしたのが蛭井さんだったことを、ぼくはあとで知ることになる。



「額月──萌花ぁあああああああああああああああ!!」



 教え子の姿を求めるぼくの。

 その無力な叫びが、辺り一帯に虚しくこだました。

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