第五章 奇祭執行-まつりをおこなう-
第一話 さらなる犠牲者
鬼灯屋敷へ帰り着くと、すでに親造さんが帰宅していた。
別れるときに十郎太さんから預かった鍵を手渡すと、老爺は仕方がないといった様子で笑って見せた。
やはり彼は手袋をしたままだった。
「教授先生、わしらの行いが奇異に映るとでしょう? こげんこつなって、そいでん祭りば続けようとするわしらが、先生には愚かに映るとでしょう?」
「いえ、そんなことは」
「隠さんちゃよか。じゃっどん、こいがわしらの伝統なんじゃ。ただでさえ、十一年に一度の祭りじゃ。そいば絶やしたとなれば、わしらは寄る辺を失う。愚か者と
「…………」
「無論、額月のお嬢ちゃんは丁寧に扱う。教授先生にも、悪か思いはさせん。客人じゃもん、当然じゃ。勇魚の小童の言動に腹を据えかねたのなら、あとでわしがきつく言っておく。そいけんか、なんとかお頼み申す」
そう言って、腰を曲げ、大きく頭を下げる老爺に。
ぼくはとても、否やを突きつける気持ちにはなれなかった。
「さて──雨に濡れて、身体も冷えたじゃろう? 湯殿の用意が出来ちょるけん、ゆっくり
老人は答えを聞くこともなく、また好々爺然とした表情で笑うと、そのように言ってくれた。
「ありがとうございます。ご厚意に、甘えさせて頂きます」
……ぼくは、このとき何を言えばいいのか、ちっともわからなかった。
§§
湯殿はとても大きかった。
誤解を恐れずに言えば、大浴場と表現しても過言ではない。
身体の汚れを落とし、檜風呂に足をつける。
ぼくの大柄な体を横たえてあまりある浴槽に首までも浸かれば、じんわりとした熱が全身から疲れを奪っていく。
風呂を勧められたのはありがたかった。
考えたいことが、あったからだ。
「まずは、この島の歴史について」
持ち込んだ完全防水のスマホを手にし、ぼくは書き付けていたメモを呼び出す。
鍛冶屋の老婆や、その他の島民たち、なにより鬼灯翁からの聞き取りで、おおよそのことは解っている。
江戸中期に活躍した平戸水軍から、鬼灯一根が離反。
この島を捕鯨基地として見出し、大きく拓く。
その後、多くの漁師が集まり村を形成する。
伊賦夜には定期的に座礁した鯨が流れ着き、彼らはそれを糧に本土と交渉しながら生活をしていたが、昭和に入ってから鯨の数が激減。
結果として、現在の寂れた島となった……と。
「だが、疑問はある」
あの、津波境石だ。
津波境石は、津波がこの地点まで押し寄せた、ということを示す過去からの警鐘だ。
ところが、ぼくの調べた限りでは、この島に津波が来たという資料はない。少なくとも、島民達から証言は得られていない。
あるのはいくつかの地震や荒天、食中毒や疫病についての口伝だけだ。
「なんというか……整いすぎているんだよ、この島は」
ある一時期。
そう、それこそ鬼灯一根の上陸を切っ掛けとしてスタートしたこの島の歴史は、それ以前が存在しない。
当たり前のことだが、どうにもその辺りが気になる。
本土とあまりに切り離されているというか、独自の文化すぎるというか……
「乙瀬くんに、対岸の歴史についても調べてもらおう。そうすれば、なにか掴めるかもしれない」
手早くメールを打ち込みながら、次の思索を脳裏に展開する。
この島を語る上で欠かせないもの。
寄り物だ。
「もとから漂着物の多い島だったのだろうね、彼らは流れ着いた物を共同体の財産として扱うようになった」
その一部が、赫千神社には納められているという。
……そういえば、まだご神体を見せてもらっていない。恵比寿だとは聞いているが、あるいは漂流物を秘匿し、それをご神体としている可能性もある。
恵比寿は漂着物の総称だ。
だから公開できない、と言うことなのかもしれない。
「明日、萌花くんのところに行くついでに、見せてもらえるように頼んでみるか……」
ご神体といえば、ヨギホトさまの現物もまだだ。
どちらも秘することが重要なのだろうか?
目合ひ祭りを含む、この島の慣習として隠秘が存在するのだろうか?
「ヨギホトさまについては、この島の地形を解釈に入れてもみたな」
女陰に似た形の島なので、ヨギホトなのではないかという推測だ。
形といえば、鳥居も気になる。
実際に歩いてみてよくわかったが、この鳥居は島を横断している。
港に端を発し、藻採山の中腹にある赫千神社までが片道。
そこから山を半周する形で、例の寄ヶ浜へと抜けている。
川の両端に存在する鳥居は、往路と復路なのである。
そして、それとは別に、山の中を祭祀堂まで進むルートが存在する。
これは、どう考えても参道の配置ではない。
全てが海に、或いは山へ通じているという、奇異なものだ。
藻採山には何かがあるのか。
──いや、現時点では何も断言できない。
「それに──やっぱりアワシマのことも気になるよなぁ」
流れ着いた異形を、ひとびとはアワシマと呼んだ。
じつは、アワシマと呼ばれる存在が古事記には記述されている。
国産みの際、
そんなヒルコには弟がいた。
それが、アワシマだ。
アワシマもまた、不具な子だったとして、葦の船に乗せて流されている。
和歌山にはこのアワシマを信仰する神社もあり、婦人病の治癒──女性に関するあらゆることの神として崇められている。
このアワシマと、あの怪物は、果たして同じものなのか。
ヒルコは恵比寿、漂流物は同一視される。ならばアワシマも漂着物の総称と考えることが出来ないだろうか?
前述の通り、この島では寄り神を共有財産と見る向きがある。それは鯨の遺骸でも、あるいは難破船の積み荷、乗員──遺体でも同じだろう。
だというのに、なぜか〝あれ〟だけは、皆が忌避していたように見えた。
「忌避か……そういえば誰も、菊璃巫女の遺体を運ぶのを手伝ってはくれなかった」
死、ケガレ、淀み、異端。
忌避されるもの、祟られること、おぞましいなにか。
富としての漂流物と、実害を伴うバケモノ。
同根同源。
この辺りに、解決のヒントがありそうなのだが……
「うーん、わからん!」
髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、脱力して浴槽に身を任せたときだった。
「まー、ひとりで考えてちゃ、その辺りが限界だろうよ」
しゃがれた声が、聞こえた。
「いや、うん、まあそうなんだよね……そもそもぼくは、乙瀬くんのような天才型でもないし──って、うわああああああああああ!?」
思わず悲鳴を上げる。
なぜなら、目の前には、
「よっ」
タオル一枚──と眼帯──で裸体を隠した思慕くんが、じつに気軽そうに片手を挙げていたからだ。
「な、ななな、な──」
「ふィー、寒い寒い。おれもあったまらせて貰おうっと」
バシャバシャと雑にかけ湯をした彼女は、そのまま浴槽に入ってこようとする。
それにしてもやはり、薄く平たい身体だ。
違う! そんなことを考えている場合じゃない!
「何をしているんだね、キミは!?」
「なにって……禊ぎィ?」
「ぼくはこれでも男だぞ!? そしてキミはうら若き乙女じゃないか!」
「……? ンー?」
何を言っているのか本気で解らないといった表情で、首を傾げる歩き巫女。
彼女はさらに数秒考えて。
「アア」
ニヤァっと、すごく悪い顔で笑った。
「なんだ、おまえ、おれを気遣ってるのか? ン?」
「ばっ、違う!」
「歩き巫女なんて春を売る商売をしていても、やっぱり女の子なんだから大事にしなきゃーとか、恥じらいを持つべきーとか、そんな道徳規範を童貞みたいに感じちゃってるわけェ?」
「ぐ、ぐぐぐぐ」
「莫っ迦だなぁ。……気にしなくていいんだよ、そんなのは」
急に表情を消した彼女は、一瞬だけ俯いて。
ぼくが、何か声をかけるべきかと手を伸ばしたときには。
もう、行動に移っていた。
「おりゃ」
「うわ!?」
お湯が跳ね上がる、飛沫が舞う。
キラキラと、キラキラと、灯りに照らされて、水が輝く。
「キミ!」
「へ、へへへ」
浴槽に飛び込んだ彼女は、すっぽりとぼくの腕の中に収まる形で、太股の上に腰掛ける。
小さく引き締まった柔肉の感触が、肌一枚を通じて伝わってくる。
彼女はぼくと同じ方向を見ながら、ウーンとひとつ伸びをして。
「禊ぎ、しとくべきだと思ったんだ」
「…………」
「おまえは理性的だな。こんな状況でも、股座の一つ反応させない。おれにはそんなに魅力がないか?」
「そういうことじゃないだろ、思慕くん」
「はっは。そうだよな、おまえはそう言うよな。いいや、解ってる。おれは半端者だ。どっちつかずだし……そうなるよ」
なんだか、珍しく傷ついたように彼女はそう言って。
すぐに、固い声を出す。
「……おまえだけは、おれの眼帯に触るなよ」
「え?」
「風呂にまでつけてくることを、疑問にぐらい思ってるんだろ?」
それは、まあ。
「けど、触れるな。これはな、おれをおれの
「…………」
「なあ、稀人。明日の夜には、もう祭りが始まる」
声の調子を幾らか和らげて。
彼女は直截的に、こう告げた。
「気をしっかり持てよ、プロフェッサー怪奇学。もう始まるんじゃない。まだ──始まったばかりなんだから」
……彼女のそれは、予言だったのだろうか?
あるいは、もっと恐ろしい何かだったのかもしれない。
なぜならば翌日。
ぼくらは、さらなる被害者を、目の当たりにするのだからだ。
笄十郎太が、岩に押しつぶされて、死んだのだ──
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