第五話 稀人問答
「なあ、稀人。おまえ、なんで怪異なんか信じてる?」
ウロブネからの帰り道のことだった。
神社を経由せず、鬼灯屋敷に戻るべく近道を取っていると、唐突に思慕くんがそんなことを口にした。
雨の勢いは変わらず、山道に不慣れなぼくらの代わりに、十郎太さんは先頭に立ってくれている。
だから、彼女の声は多分、ぼくにしか届かなかった。
「おれが言うことじゃねェし、だがおれしか言えねェことだが……怪異なんてのは大抵錯覚だ。幽霊の正体見たり枯れ尾花。この世のほとんどは、科学ってやつで説明がつく」
だってのに、なんでおまえは怪異を信じるのかと。
彼女は、ぼくに問う。
肩をすくめ、いまさらの質問に答える。
「なんでと問われれば、信じたいからということになるね」
「満足のいく答えじゃねェな」
「まいったな……」
では、少し突き詰めて考えようか。
どうしてぼくが怪異を求めるのか。
それは、多くの出来事を目にしてきて、歴史や民俗学を学んだ結果、物事の一番深いところに、人知の及ばぬ何かがあると確信したからだ。
「例えば、河童の伝承だ。今でこそ、頭に皿を乗せた緑色の妖怪が河童だけれど、もとは猿のような見た目をしていた。ちょうどキミとはじめて出会った夜に、ぼくが持っていた剥製のようにさ」
「ああ、あれか……」
「現在の河童は、確かに科学的にあり得ない存在だけれど、古い時代の河童は、いてもおかしくないというリアリティがある。なにせ見た目が猿だからね」
また、河童は尻子玉を抜くとされているが、これは魂とも人間の内臓ともされている。
水死体である土左衛門は、肛門括約筋が麻痺しているため開ききっており、まるで肛門に手を突き入れられたようになっていることからついた説だ。
尻子玉を抜かれた人間は河童の同類になるという話もある。
「その場合、ふやけた
たとえば、ぬっぺふほふは大陸にて〝
一方河童も、自分を助けた人間に万能の傷薬を与えるとも言う。
「このあたりは、なんだか人魚の逸話にも似ている気がしているんだ。八百比丘尼を知っているかい? 人魚の肉を食べたばかりに八百歳を生きた女性の話で。そうそう、人魚を食べるという話もそうだ。美しい人の姿をした人魚は食べづらいけれど、はじめの頃の人魚は人面魚だった。それなら食べられるだろうという現実味がある」
「話が横道に逸れてんぞ」
「あ、ごめん。えっと、だから、物事を読み解いていくと事実がある。そして事実というのは、案外多くの場合奇妙なもので、かつ根っこの部分が繋がっているように思えるんだ。それに」
「それに? なんだ?」
「…………」
ぼくは、そこで言い淀んだ。口にすることを憚った。
なにせこの話をすると、ほとんどの人は笑い出すか、あるいは呆れてしまう。
酷いときなんて、哀れまれることだってあるし、怒られもする。
でも。
或いは、この少女なら。
「……ぼくはね、川に流されたんだ」
「あ?」
「怪訝そうな顔をするなよ。これでも、勇気を振り絞って口にしているんだから。昭和によくあった話さ。ぼくの両親は、実の親じゃない。そして彼らは、口を揃えてぼくの出自をこう語る」
まるで笑い話のように、笑ってしまったほうが楽だというように。
「『おまえはみかん箱に入れられて、川を流れてきたんだ』とね」
彼らはそんなぼくを拾い、育てたという。
そして、稀人という名前をつけた。
「稀人は客人──マレビト信仰を示す言葉だ。自分たちとは違う異界からやってきたモノを、古くから人はそう呼んで区別してきた」
来訪神もまた、マレビトと呼ばれる。
事実として、ぼくを拾ったあと彼らは大いに金銭を儲け。
そして、破滅するように急逝した。
「幸福を、不幸を、禍福のどちらかわからない物を運んでくる余所者。ぼくは、はからずしてそれを体現した。だからだ」
だから──あるのだと思った。
歴史の闇の中、民間伝承の奥底に。
のちに歪曲されようとも、厳然と揺るがぬ神秘と怪異の源泉が、確かにあるはずなのだと。
桃太郎や瓜子姫のように、ぼくと同じ境遇の存在があったのだと。
「そう、信じたんだ」
ゆえに、貝木稀人は怪異を捜し求める。
まるで、同胞を見つけたいが如く。
きっと、自分のルーツを探るために。
そうでなければ、自分を自分だと、確立することが出来なくて。
ぼくは、怪異と己を比較して、自分もまた取るに足りない人間であると定義したいのだ。
「なんて……笑っちゃうよな。いや、いいよ。信じてもらえるとは思ってないし──」
「おれはおまえだ」
「――え?」
笑ってしまおうとした。
全部笑い飛ばして、冗談だったことにしようとした。
なのに。
なのに彼女は。
とても真剣な表情で、ぼくを見上げて。
「おまえはおれだ。おれも、箱に入れて流された。そして、こうなった。こうなってしまった」
「思慕くん?」
「おれは、人間を見てきた。人間を真似てきた。けれどいつしか、人間に興味がなくなった。同胞すらも、どうでもよかった」
「…………」
「本当のことをいえば、物見遊山だった。傍観者を気取っていた。運命がどう転がるか、楽しもうとしていた。だけど、気が変わったぜ稀人。おれは、おまえに肩入れする。おまえが歩もうとする凡庸で苛酷な、険しい道のりを尊重する。真実へ進もうとするおまえを、過去を忘れないおまえを尊ぶ。おれはおまえたちが、愛惜しくて仕方がないから」
「…………」
「だから、稀人」
彼女は、言った。
「おまえは、間違っちゃいない」
他の誰でもない。おれが、肯定してやると──彼女は、そう言って花のように微笑んだ。
「────っ」
喉の奥が鳴った。胸の奥が溢れた。目尻が熱く焼け付いて、なにかが零れ出しそうになった。
「ぼ、くは」
……ぼくは、なんと続けようとしたのだろう?
もう二度と、その言葉はわからない。
なぜなら。
「うわぁああああああああああ!?」
先を行く十郎太さんが、金切り声のような悲鳴を上げたから。
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