第四話 願いと疑惑とウロブネと

「し、しかしですな。おいどんとしても、この天候で祭りば続行させるちゅうのは、職務にもとるわけでして」


 駐在の田所さんは、いまだ鬼灯翁たちに食い下がってくれているが、恐らく徒労に終わるだろう。

 祭りは、何があっても開催されるに違いない。

 ぼくは、舞殿で稽古をはじめた教え子を見る。

 そのすぐ傍には、指導をする宮司の姿があって。


「先生、これはチャンスなんです!」


 数分前、教え子は必死な表情でそう言った。


「論文の主題となる奇祭を、文字通り体験できて、その主人公にもなれる。こんな機会、これを逃したら次はいつになるか……いえ、一生ないと思うんです!」

「しかしだね萌花くん」

「先生だっていつも言っているじゃないですか、その共同体の人たちと同じ目線に立たなきゃ、祭りの本質は解らないって。これがそうなんじゃないですかっ?」

「萌花くん、キミは……」


 彼女のあまりの熱意に押されて、ぼくはその場を引き下がってしまった。

 本物の想いだと感じたからだ。

 いまのぼくには、それを覆すだけの言葉がなかった。


「……けれどもね、我が教え子よ。どうか考えて欲しい。人死にが出ている中で検討した論文が、果たして卒業論文として採択されるかどうか、それはぼくにだって解らないことなんだぞ?」


 こんなところで無理しないで、もっと別のアプローチをする方法だってあるんだ。


「だって、キミは若いんだから。何度だって、やり直せるんだから」


 ぽつりと、誰に聞かせるわけでもなく呟く。

 舞殿の上では、萌花くんが様になる神楽を見せていた。どうやら、昨日の時点で巫女になることを決め、ある程度の練習をしていたらしい。

 弱って見えたのも、その疲れによるものだったのかもしれない。


「案外苦労性だな、おまえって」


 ふと声をかけられる。

 隣を見ると、歩き巫女が思慕くんを見つめていた。

 普段通りの、何事にも冷笑的な彼女が立っている。先ほどまでの、弱さは欠片もなかった。


「担当だからね。教え子の世話ぐらい焼く。これでも、彼女には期待しているし」

「ハン。だとしても、ずいぶんな思い入れじゃないか。そのうち嫌になるぞ」

「……キミは、ひょっとすると言葉が足りないのかな」


 何を主語としているのか、いつもわかりにくい。


「巫女を含む予言者ってのは、明確に言葉を伝えねェもんだ」

「なるほどしかり。解釈の余地が、未来を作る。確定させては元も子もない」

「ああ、おれの言葉はどっちつかずだ。だから、おまえがなにに期待しているかも問いはしない」

「…………」

「それはそうと、稀人。あの青年団の団長が、ウロブネの見回りに行くそうだ。この雨でどうにかなってないかの確認だとよ。ほっといていいのか?」

「それは」


 本来、伊賦夜島を訪ねたのは萌花くんの引率だ。

 彼女は論文の精度を上げるために取材を望んでいた。

 だから、ぼくがいろいろと詳しく調べ上げる必要はない。適宜アドバイスさえすればよい。いや、それ自体不要かもしれない。研究室の方では、天才乙瀬夏乃子が動いているのだ、必要な資料など明日の朝には集まっていることだろう。

 でも。


「……随行できるように、話をしてみよう」


 何もしないなんてのは、まっぴらごめんだ。

 ぼくは、有り得べからざることの本質を求めている。

 探究心こそが、ぼくの本質だ。

 のっぴきならない異常事態の中で、この貝木稀人は確かに。


 何か異様なことが、また起こると感じていたのだから。


§§


 ウロブネ──祭祀堂は奇妙な場所だった。

 神社からさらに頂を目指すと、ぽっかりと拓けている場所が現れる。

 その中心には注連縄の巻かれた、黒い大岩が鎮座している。


 十郎太さんは大岩に手を合わせると──しかるにこれはストーンサークルのような磐座いわくらに相当する物で、神の依り代か何かなのだろう──その裏側へと大きく回っていく。

 ぐるりと半分ほども回ると、大岩の背後に堂のような建造物があるのが見て取れた。

 しかし、堂と言っても大きさは人の身長よりも大きな門構えをしており、なにかの祭殿といった雰囲気を醸し出している。

 前述の岩を加味すると、おそらくここは神籬ひもろぎ──社以外の、祭祀を行う場所だ。


「こいが、祭祀堂だ」


 十郎太さんが示す祭祀堂の扉には、強固な錠前がはめられていた。

 彼は懐から鍵を取り出すと錠前に差し込む。鍵には、勇魚さんの持つ十字架に似た紋様が刻まれている。


「こん鍵は、本来鬼灯家で管理されるもんだ」

「はい?」

「おいはいま、青年団の団長やけん預かっちょるが、またあとで返しに行かねばならん」


 そんなことを言いながら、彼は鍵をひねる。

 やがて、ガチャリと音を上げて錠前が外れた。


「途中までになるが、なかば見るか?」

「ぜひ、お願いします」

「わかった」


 ギシッと、重たい音を立てて扉が開く。

 十郎太さんがすかさず懐中電灯を向けたことで、中の様子が明らかになった。


 天然の洞穴──いや、石窟だった。

 壁は岩肌が剥き出しであり、床にだけ板が組まれている。

 内部はそこそこ広く、一種の道場ほどもあった。


 さらに電灯の光が照らしていく先には、小さな扉。

 扉の両隣には、岩壁を削ったものと思わしき、磨崖仏のような物が見受けられる。

 ひとめでは具体的な判別がつかないが……恵比寿、だろうか?


「この手前の大広間に、祭りの当日はヨギホトさまば運び込む。そこで、巫女とヨギホトさまは一晩を伴にする。朝が来たらヨギホトさまば回収。巫女は朝が来る前に奥の祭祀堂でお籠もりばすると」

「儀式が二段構えになっているのか、興味深い」

「……学者先生は、どげん思う?」


 内部の状況に心を奪われていると、十郎太さんが唐突にそう言った。

 何事かと思って彼の方を向くと、中年の青年団団長は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて。


「この祭りは、ただしかと思うか?」


 と、重ねて問うてきた。


「……余所者のぼくには、なんとも」

「おいは!」


 彼は、たえかねたように大声を上げ。

 それから急に萎縮したようにトーンを落として、ぼそりと呟く。


「ひとが死ぬような祭りは、間違っちょると思う」

「それは、どういう」

「……祭りば辞めたかもんもおる……そういうこったい」


 言うなり、十郎太さんはむっつりと口を閉ざし。

 それ以上、もう何も喋ってくれなかった。


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