第三話 赫千神社にて
わずかに雨脚が陰ったのを見計らって、ぼくらは鬼灯屋敷を出た。
風は依然として強く、海はまだまだ船の運航が適う様子ではない。
それでも向かわなくてはならない場所があって、蛭井女史を除いたぼくらは外に出たのだった。
彼女は彼女で、調べたいことがあると言っていた。
横殴りの風に、レインコートを持って行かれそうになりながら、ぼくらは登山を決行する。
目的地は、藻採山の中腹にあった。
赫千神社。
恵比寿や金比羅などが合祀されているという、この島に一つだけの神社。
件の道祖神と、鳥居に導かれて川沿いを進み。
踏み固められた土の上を、滝のように雨水が流れ落ちるつづら折りの参道を、慎重に登って。
最後に百段近い階段を上り終えると、そこに、島の規模とは不釣り合いな大きさの社があった。
拝殿に、舞殿……神楽殿か? 奥には本殿も在るように見受けられる立派な社。
つまり、ご神体の現物がこの神社には存在する証左だ。
規模は鬼灯屋敷よりも広く、敷地内には資料と祭具の保管でもしているのか、倉も建っている。
菊璃巫女はヨギホトさまを一時的に保管するとも言っていたから、その役割かもしれない。
そんな神社の境内、社務所の付近に、人だかりがあった。
渦中に島長である鬼灯親造老人の姿を認め、ぼくらは近寄る。
彼らもこちらに気がつき、僅かに眉根を寄せた。
よくみれば、彼はまだ手袋をはめている。冷え性なのだろうか?
「こいは御客人。こがん天気のなか、なんばしに来たとね?」
「親造さん、こんな時だからこそ、ぼくはここに来ました。祭りを続行するというのは、本当ですか?」
出来るだけ声を荒らげないよう注意して放った言葉は、しかし詰問のような鋭さを帯びていて、その場にいた島民達は押し黙った。
浜で見た宮司の取り巻き、鬼灯翁、青年団の
ぼくは、さらに言い募る。
「それに、ぼくの教え子を──萌花くんを巫女に仕立て上げるだなんて、どういうつもりで」
「それは、自分から説明しよう」
割って入る声があった。
見遣れば、社務所のなかから宮司姿の美丈夫が姿を現すところだった。
褐色の青年。
「赫千、勇魚」
「ええ、貝木稀人教授。自分ですとも。さて、まずは祭りを続行するという話についてですかな?」
「っ。そうです。この嵐の中、さらに人がひとり亡くなっているというのに祭りを続行するなんて、尋常ではない」
「雨天決行ってやつだよ。それとも、荒天断行と言うべきかな?」
「あなたはっ……自分の妹が亡くなっているというのに、どうして平然としていられるのかっ!」
「ふっ。余所者が吠えるじゃないか。御客人でなければ、海に突き落としているところだ」
せせら笑うように、男が言った。
野生獣のような、粗野な表情。
口調すらも、心なしか尊大になっている。
「自分と妹は確かに良好な間柄ではなかった。だが、あれは島のために身を挺して貢献したのだよ。だからこそ、祭りを続けなくてはならない」
「勇魚さん──っ」
カッと頭に血が上る。
思わず握り込んだ拳に、誰かが触れてくれなかったら、ぼくは民俗学者として逸脱した行動を取っていたかもしれない。
視線を落とせば、思慕くんがぼくに触れていた。
彼女の手は、震えている。
見遣れば、あの敵意しかないような黒目が、心なしか揺れているように見えた。
「…………」
ひとつ、深呼吸。
頭を冷静に努めて、ぼくは理由を求める。
郷に入っては郷に従え。民俗学を志すなら、その共同体のルールを尊ばねばならない。
ぼくは、安心させるように、思慕くんの手を握り返した。
「なぜ、そこまで祭りの続行にこだわるのですか?」
「お為ごかしを述べても退いてはくれないのだろうな。あなたの眼球には真実を目指す光が見える。……いいでしょう、自分も胸襟を開くとも。簡単に言えば、自分たちは祭りが失敗に終わることを恐れている」
恐れている?
「この島の歴史は、江戸時代まで遡ることが出来る。ヨギホトさまの祭りは、それこそこの島が拓かれたころから始まった。祭りは常に、自分たちに豊穣をもたらした。けれど、それは同時に、恐ろしい面も秘めていた。祭りを怠ったとき、この島には災厄が訪れるんだ」
災厄。
それは例えば、先代巫女が失踪したときのような。
「ご存じとあらば話が早い。あのときの食中毒のように、この島はこれまで幾度も罰を受けてきたのだ。それは地震であったり、神隠しであったりしたけれどね」
「…………」
「だから、自分たちは恐れている。祭りが滞ったとき、またぞろ何かよくないことが起きるのではないかと」
彼は袖で口元を隠し、視線だけを真っ直ぐにこちらへ向けながら言った。
……なるほど。そう説かれれば、ぼくは反論することが出来ない。
端から見れば単なる不運、関係のないような事柄でも、その地に住む人たちにとっては地続きの事柄なのだ。
これが常識なのだ。
けれど。
「どうしてそこで、萌花くんを巫女にするという話が出るんですか」
「ああ、それはね」
問いただすぼくの言葉に。
褐色の宮司は、場違いにもほどがある爽やかな笑みを以て、答えた。
「額月萌花の母親が、先代の巫女だったから、だよ」
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