第四話 そして教え子は神社へ向かう
「お邪魔するわよ、鍛冶屋のおばあちゃん。このかたたちに御馳走をしてあげて」
「おんやまあ、菊璃さまじゃないかね。そちらさんは件の?」
「うん御客人。もてなしてあげて欲しいのよ」
「もちろん菊璃さまが仰るなら、うちらは歓迎しますけん! おお、おお、御客人とはありがたや、ありがたや……」
赫千神社の威光なのか、それとも菊璃さんの人徳なのかは解らない。
けれど鍛冶屋と呼ばれた老婆は、ぼくらを拝むように手を合わせる。
……うーん。さすがに過剰な歓迎のされ方をしている気がしてきたぞ?
「そんなことはないわ。これがこの島の普通なの」
「そうですか。……むむ?」
「あら? 何か気になることがあった?」
「はい。この、軒下に飾られている物は、ひょっとして」
「これはね、厄除けの包丁よ」
やはり、見間違えではなかった。
そこに吊されていた物は、よく磨き抜かれた包丁だったのだ。
「ヨギホトさまをお迎えする前後の一週間、包丁を吊す風習があるのよ」
「先生、これって……」
「ああ、遠野物語などで有名な、〝共同墓地に刺されている鎌〟と同種の物だろうね。本来は、死体によくないモノが取り憑かないようにする魔除けだけれど……」
しかし、包丁を吊すという話は、あまり聞かない。
籠やザルを吊すという話もあるが、そもそも、なんの厄を祓うモノなのか……
考え事をしていると、老婆がぼくらを呼んだ。
招かれるがまま家に上がらせてもらうと、こざっぱりした居間に、かの箱──眞魚木細工が並んでいた。
一目で解った。
箱根細工に似た模様の寄せ木細工。
大きさは、両手のひらに余るほどで、どうやらお膳としての役割も兼ねているらしい。
精緻な紋様の蓋を開ければ、なかにはナイフ、箸、フォーク、お手拭き、水の入った容器などなどが収納されている。
どうやら持ち運べるようになっているらしく、お膳としての役割をも果たしているらしい。
使い慣れているのか、菊璃巫女などはさっさと必要な物を取り出して、蓋を閉じる。
「さあさ、好きなだけ召し上がってくだせぇ」
「ありがとうございます」
人好きのする笑顔をする老婆の好意に甘えたところで、箱の上に料理が並べられる。
萌花くんの箱の上には、左右に壺焼きにされたサザエが。真ん中には、茹でられたアワビが殻に盛られて置かれている。
一方でぼくの側の箱には、生のままの伊勢エビ……らしきものが、殻を剥かれた状態で置かれていた。
「えっと……」
「箱の中の包丁や箸で切って食べるのよ。この島では、最低限の調理でお出しして、客人の手ずからに食べてもらうのが最高のもてなしとされているの」
そう言われてしまえば、無碍には出来ない。
豪に入っては豪に従えとも言う。
「いただきます」
手を合わせ、感謝の言葉を述べると、ぼくは料理に手をつけた。
かじりつくと、半端に渇いた海苔を噛み切るような『かぷつん』とした食感のあと、どろりとした甘みが立ちこめてくる。
なんとも言えない気分で、モチャモチャと咀嚼していると、
「……なんだか、懐かしい気がします、先生」
一口アワビをかじった教え子が、ぽつりと複雑な心境をこぼしていた。
「母の味ってことかい?」
「……お母さんの味は、忘れちゃいました。高校に入る前に、事故でお父さんと一緒に死んじゃったので」
「えっと……ごめん」
「あ、いいんですいいんです!」
彼女は無理矢理といった調子で笑い、両手を振ってみせる。
「自動車事故で下半身が切断されちゃって、まだそのときのパーツが見つかってないとか結構グロい感じの亡くなり方だって聞いているんですが、じつは私、よく覚えてなくて! だから、気にしないでください」
うん、いや。
……ぼくの食欲がなくなったが?
さすがに雰囲気がアレなので、露骨に話題をすり替えることにする。
「ところで、えっと……鍛冶屋さんは、この島でお育ちになったんですか?」
「ええ、ええ。婆は生まれも育ちもこの島ですけん」
「この島の歴史を聞くことは出来ますか。たとえば……」
そう、一番はじめ、この島を訪れたのはどんな人間だったのか、とか。
「…………」
お婆さんはゆっくりと目を開くと、ちらりと菊璃巫女の方を伺った。
彼女は小さく首を振ると、ついで頷いた。
老婆が、やんわりと微笑む。
「鬼灯
それが、親造さんの先祖に当たる人物らしい。
彼は、この島が鯨の狩猟に向いていることを突き止めると、当時の長崎にあった大村水軍から精鋭を選び出し、この地に一大捕鯨基地を設立。
そのまま松一本生えなかったこの地を開墾し、発展。
莫大な富を一代にして築き、藩主から認められて姓──鬼灯を賜ったのだという。
「水軍ゆうてもあれくれものが多かったけんね、本土のもんはうちらば
なるほど、それならば船長さんたちの忌避も理解できる。当時の水軍といえば軍隊として認められていた武士とは違い、海賊──無法者として扱われていた。ならば、海にかかわるものである以上、ある程度は恐れられて当然と言える。
歴史レベルで蟠りがあったと言うことか。
しかし、待てよ……?
そういえば古い伝承のひとつに、河童が水軍となった、なんてものもあった。
これはもしかすると、思わぬ接点を見つけてしまったのかもしれない。
「そいで、一根さまはひとをよく使う御方で、島の外のものを重用されたんじゃ。それで、御客人を歓迎する風習ができあがってな。まあ、いまじゃあ海産物ぐらいしか名物のない鄙びた島やっけど、昔はそのおかげでたいそう賑わって……それに、祭り。なによりヨギホトさまの祭りで、この島は豊かになってなぁ──」
所々で堂々巡りするお婆さんの興味深い話は、終わることなく続いていく。
§§
行く先々で出会う島民の方々は、誰もが友好的で常に笑顔を浮かべている温和なひとびとという印象だった。
ぼくらが客人だと解ると、あれこれととにかく世話を焼こうとしてくれて、ありがたいようなくすぐったいような奇妙な気分に陥った。
そういう歓待が、長く続いたからだろう。
夕暮れまでの時間を目一杯に使っても、島の全てを見て回ることは出来なかった。
気分としては、大英博物館に泊まり込んでいるのに近い。
まだまだ、見たいもの知りたいものはたくさんあるが、ともかく一度鬼灯翁の邸宅に引き返すことになった。
「意外と上手く行きませんね……」
萌花くんはしょんぼりしているが、それは大いなる思い違いだろう。
「キミは拙速が過ぎる」
フィールドワークの本質は、地域の人々との関わり合いだ。急いで話をしようとしても、まずは信頼を得られなければ始まらない。
つまり、午前中にぼくがやらかしたとおりにだ。
「ぼくらは幸い、客人ということで歓迎されている節があるが、本来はもっと時間をかけて事に当たらなければいけないんだ。上っ面だけの理解とふれあいでは、同じように表面的なことしか読み取ることは出来ない」
「うぐぅ……耳が痛いです」
さらに肩を落とした彼女は、しかしすぐに笑って見せた。
どこか遠く、あるいは記憶の中を覗き込んでいるような、そんな笑みだった。
「やっぱり、懐かしいです」
「うん?」
「私はですね、先生。そんな先生の言葉に救われて、フィールドワークの楽しさを知ったから、今日まで頑張ってこれたんです。だから──」
彼女がその続きを口にしようとしたとき。
車が、止まった。
「鬼灯家に到着よ。さあ、先生さんと思慕ちゃんは降りてちょうだい」
菊璃さんが、肩をすくめながらそう言った。
萌花くんはこれから、菊璃さんに連れられて赫千神社へと向かうことになっている。
赫千神社の当代神主である赫千勇魚さんと相談をするためだ。
その相談を聞くことを条件に、ぼくらは島への上陸を許可されたらしい。
「……萌花くん、大丈夫かね?」
「まさか……心配してくれるんですか、先生!」
パッと表情を輝かせる我が教え子。
ぼくは彼女の両肩に手を置き、首を振って見せた。
横に。
「いや、この旅行はあくまでキミの論文の手伝いなので、キミがいないとぼくは本格的な調査が出来ないんだ」
「は?」
「萌花くんには大いに期待している。しかしそれはそれとして、神社、藻採山、島の反対側! 調査したい場所が無数にあるんだ。ヨギホトさまのことだって、もっとたくさん知りたい。だから、出来れば早く戻ってきてくれないかなぁ──って!?」
「せ、先生の、ばかぁ!!」
急に殴りかかられた。
彼女の顔は、怒りで真っ赤になっていた。
「ひょっとして心配してくれているのかなって考えた私がバカでした! そんなオカルトありえませんもんね! バーカ、バーカ! もう知りません! この──バカぁぁ!!」
怒鳴るなり彼女はぼくを車の外に放り出し、そのまま力強くドアを閉めてしまった。
なにが起きたか解らないまま、車は再発進する。
すれ違うとき、運転席の巫女が、おおげさに肩をすくめているのが見えた。
『あなたも苦労するわね』
彼女の口は、そう動いていたような気がした。
しばし、呆然としていると、
「難儀なもんだな、おまえも」
同じように車から放り出されたのだろう。
ぺたんと地べたに座り込んでいる思慕くんが、憐れみのこもった声を投げてくる。
「よしよし、おれが慰めてやるぞ」
おいで、おいでと手招きをする彼女に誘われて、腰をかげめ、視線を同じ高さまで持ってくる。
すると歩き巫女は、
「目を閉じろ」
と、言った。
言われるがまま従うと、彼女は。
「……べー」
なにか、ざらりとした。
熱く、湿り気を帯びたモノが、両のまぶたの上を這った。
「う、うわぁ!?」
思わず、情けない悲鳴を上げて尻餅をつく。
目を開けると、そこはヌルリと湿気っていて。
舐められたのだ。
そう悟ったときには、思慕くんは立ち上がっていた。
「何をするんだ、キミは」
「そう
「何を言って」
「いいか、稀人。覚悟をしておけ」
ぼくが言葉を続けるのを、無理矢理押し込めるようにして。
夕日をきつく睨んだ歩き巫女は、険しい声音で、告げるのだった。
「おまえが見たかったものは、すぐに見れるぞ」
彼女の表情は影になって見て取れず。
ぼくは。
ぼくはただ、座り込んでいることしかできなかった。
「嵐が、来る」
§§
この日の夜、また地震があった。よくあるというのは本当なのだろう。
萌花くんは帰ってこなかった。
彼女との再会は、明くる日の朝まで待つことになる──
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