第三話 遙かなる眞魚木細工を求めて

 それから、ぼくらは港があった地区を基点に、時計回りで島を一周した。


 ちょうど入島したときに見えた灯台側へ、船着き場からぐるりと回った形だ。

 鬼灯翁が注意したとおり、あちこちにこぶし大、或いは人間の頭部ほどもある岩が落ちており、落石注意というのが本当だったことがよくわかる。

 今後も一人歩きは注意が必要だろう。


伊賦夜いぶやの島民の半分ぐらいは漁師ね。残りの五十パーセントが農家と畜産業で、余りが専門職。例えば神主、眞魚木まなぎ細工職人、あるいは鍛冶家……まあ、現役じゃないひとも多いけど」


 辛うじて舗装された道を走りながら、運転席で菊璃巫女は案内を続けてくれている。

 ギクシャクとしていた先ほどまでの雰囲気も、もはやそこにはない。


「自給自足が出来る人数比には思えませんね」

「当然、本土と貿易しているのよ。海産物を売って、生活必需品を買って」


 それでも、食糧事情だけでも到底まかなえそうにない気がするのだから、限界集落というのは怖ろしいものだ。

 現代日本の暗部である。


「この島で唯一の港──あなたたちが入ってきたところね──あちら側一帯に漁師は集中しているの。一方で、外縁部を半周、もしくは山を越えた辺りには砂浜が広がっている。そのほかの場所は、切り立った四十メートル級の断崖か、山姥やまんば俎板まないたと呼ばれる波状岩で、ちょっと舟が寄りつくのは難しいわね」


 波状岩──隆起海床りゅうきかいしょう奇形波蝕痕きけいはしょくこんのことだ。

 地殻変動によって隆起した地形が、長い時間をかけて波板状に変質した物だが……しかし、山姥、というのはなんだか気になる。


「どうして、そんな名前で呼ばれているんだろうか……」

「昔、藻採山には山姥がいて、子どもに悪さをしていたって言い伝えがあったのよ。それをヨギホトさまが改心させて、山姥は宝を差し出し、島は大いに潤ったというの」


 ……だとすれば、俎板というところに若干の意図を感じる。山姥と言えば人食いの鬼だ、こどもを切り分けるのに何を使うのかと考えれば、俎板への連想は難しくない。


 また、山姥というのは渡来者──外国の人間が転じた者だという説もある。

 見かけや言語の違いから共同体を追い出され、疎外から山にすんだという説だ。

 これは、足柄山の金太郎がわかりやすい例だろう。彼は大和の人間にはあるまじき筋骨隆々で、肌は赤かったという。


 ただ、長崎の方でそのような逸話は聞かない。距離を隔てているとはいえ、だいたい言い伝えというのはどこかで似たような話が出てくるものなのだが――


「……いや」


 それ以前になぜ、ヨギホトさまは人々を救ったのだろうか?

 何も理由がない状態で人間を救う来訪神というのは、ちょっと想像がつかない。

 神幸祭というのは、対価を差し出すことで富を得る祭りだ。

 あくまで共同体のものたちは、神を歓待することで富を得るのだ。


 鬼や物の怪を調伏して神に祭り上げたわけではない。

 神仏に助けを乞うたわけでもない。


 これでは、まるで。

 まるで来訪神歓待説話ではなく、ヴァリエーションとしての六部殺しのような……


「あ、これは繰り返しの質問になるのですが、ヨギホトさまというのは、どんな姿をした神様なのでしょうか?」

「それはね、先生さん。祭り本番が始まってからのお楽しみよ」


 そうはぐらかされるのは解っていたが、やはり気になる。


「どこに保存されているとかは聞いてもいいですか」

「勝手に見にいかないと約束できるならいいわ」

「それは」


 もちろん。

 ……たぶん?


「……普段は公民館。集落の中央にある公園と併設された施設で管理されてるわ。で、祭りが終わった直後だけは、しばらくの間うちの神社で預かることになっているの」

「なにか、大きさとか、形状の問題でそこにしか置けないと言うことですか?」

「さあね」


 まったく、上手にはぐらかしてくれるものだ。

 ぼくはこれ以上の追求を諦め、教え子へとお鉢を回す。先ほどの二の舞を避けたいというのもあった。


「萌花くんは、なにか知らないのかい?」

「へ?」


 いや、へ? ではなく。


「えっと……考えてもみませんでした。そーですよね。御輿を担ぐ祭りなんですから、偶像があるわけで」

「彼らは山車だと言っていたけどね、御輿なのかい?」

「あ、えっと、よくしらないんですけど」

「そうか」

「先生は、なにか思うところはありますか?」


 逆に訊ねられ、ぼくは思案をしてみる。


「ヨギホト、という言葉自体に覚えはない。けれど、それを因数分解していくと、少しは形が見えるかもしれない。たとえば──ヨギ」


 サンスクリット語で、ヨガを行うもののことをヨギと呼ぶ。

 他にも、日本語で余木、もしくは転訛して期待を意味する豫期であったりするかもしれない。

 ハングルでヨギは〝ここ〟という意味を持つ。


「ハングルって、それはさすがに強引じゃないですか? 難しいでしょ、ハングル」

「強引なものか。ハングルはそもそも、ひらがなと同じく女子どもでも使えるようにと流布された人工言語だ。簡便さ故に、日本まで伝わっていてもおかしくはない」


 その場合、ヨギの源流は海を隔てた場所にある、ということになるが。


「じゃあ、ホトはなんなんですか?」

火炉ほどというものがある。囲炉裏や香炉、ボイラー室なんかを差す言葉だ。うーん、ひょっとこみたいなものかなぁ。もしくは──地形だろうか」

「地形?」


 意味を受け取れていないらしい教え子に、ぼくは携帯端末を取り出し、簡単な絵を描いて見せながら説明した。


「この島の形は、藻採山を中央からやや上に、川を以て左右に分けられている。そうして周囲は、波状岩。この形状は、〝ほと〟に近い」

「ほと……?」


 何のことか解らないと彼女が小首を傾ぐので、ぼくは黒眼鏡を一度押し上げ、答える。


「ほと──女陰だ」

「じょ」

「つまりは外陰部だね」

「がい」


 ポンと、音が鳴るような勢いで顔を赤くする萌花くん。

 いやいや、民俗学なんてやっていたら、こんなのは日常茶飯事だろう……


「これらのことを統合すると、ヨギホトさまは男神でありながら女性的なシンボルを持つ偶像だと推測されるわけだけど」

「ば、ばーか! 先生の破廉恥! そんなセクハラありえません!」

「あ、やめなさい、車内は狭い!」

「まあ、二十二歳処女にはきつい話題だよな。おれとは違う」

「なぁっ!? しょ、処女のなにが悪いんですか!?」

「べっつにー」

「むきぃぃぃぃ!」


 こちらの制止など無視して、ぽかぽかと殴りかかってくる萌花くん。

 そして思慕くんが無闇にあおり立て、喉の奥で笑うものだから、教え子の怒りはヒートアップしてしまう。

 怒りの矛先は何故かぼくに向いて、対応にあくせくすることになって。

 そうこうしていると、


「なあ、稀人」


 急に表情をそぎ落とした思慕くんが、喧噪を割って囁きかけてきた。


「え、なんだい? 見たとおりキミの所為で取り込み中なんだが?」

「おまえ、この島に何しにきたんだっけ?」


 それは当然、萌花くんの監督と。


「あ」

「……今日何度目だ? 目が移ろいやすいってのも考えもんだな。どうやって生きて来れたのか、疑問にすら思う」


 シニカルに笑う彼女に触発され、ぼくは今の今まで忘れていた好奇心を思い出す。

 ムクムクと鎌首をもたげるそれを、これ以上抑えるのは無理だった。

 萌花くんを無理矢理、後部座席に押し込んで、ぼくは運転席の女性へと向き直った。


「菊璃巫女。じつは気になっている物があるんです」

「なぁに?」

「島長たちとの話し合いでも出てきましたが、眞魚木細工。ぼくは、それをまだ、一度も目にしていない」


 この島を訪ねた理由のひとつに、その箱がある。

 歩き巫女である思慕くんが持つ、あの不可思議超越な御霊箱。それと、この島の箱がどれほど似通っているのかを確かめたかったのだ。

 島に来るまでに独自で調べてもみたが、写真の一枚すら見つからなかった。


「だから、一目見たいと思っています」

「また断られるとは思わなかったの?」


 それで好奇心を抑えられるのなら、ぼくは民俗学の教授なんてやっていない。チャレンジはどんなときだって必要だ。


「ふーん? 本当にいい先生ね、あなたは。でもね、萌花ちゃん。勇魚お兄様様はもっとイイ男よ!」

「なんで、そんなにお兄ちゃんを推してくるんですか?」

「いずれわかるわ、いずれね」


 でも、だったら丁度いいと、菊璃巫女はひとり頷いてみせ。


「これから会いに行くお婆ちゃんは、この島のことをよく知っているし、なにより料理が上手なのよ。わたしが頼んであげるから、食べていけばいいわ」

「いや、ぼくが言っているのは箱のことで」


 別に、お腹がすいたわけではなく。


「あ、先生」


 そこで萌花くんが、申し訳なさそうな声をかけてきた。


「言い忘れてましたけど、眞魚木細工はご飯にまつわる物なんです」

「なんだって?」

「それから……えっと……」


 きゅるるる……。


 鳴り響いたのは貧相な腹の虫。

 しばし沈黙に包まれる車内。


 頬を赤らめ下を向く萌花くんに、口元を押さえ肩をふるわせている思慕くん。

 ぼくは一つ、ため息を吐き、


「訂正。ぼくは、凄くお腹がすいている」

「ふふふ、学生思いの、いい先生を見つけたものね、萌花ちゃん?」

「あぅ……こんな気遣い、ありえません……!」

「羨ましいわぁ。そうそう、勇魚お兄様もすっごく優しくてね、きっと萌花ちゃんを大事にしてくれると思うのだけど」

「だーかーらー、よして下さいよ、菊璃さーん!」

「あらあら、お兄様のよさが解らないなんて、うふふふ」


 とまあ、落ち着きもなく。

 打って変わってやけに饒舌な菊璃さんの計らいで、ぼくらは港近くの民家を訪ねることになったのだった。



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