第二話 奇祭の孤島一周ツアー
「おまたせ。さあ、乗ってちょうだい」
軽快なエンジン音を奏で、屋敷の裏から滑り出てきたのはジムニーだった。
菊璃巫女は、その楚々とした姿とは対照的な車を、手足のように操ってみせる。
「名車ですね。それも、骨董品的な価値だ」
「いやね、貝木教授。先代神主──わたしの父が本土から取り寄せた物で、いまでも現役よ。あぜ道山道砂浜まで、この島のどこにだって行けるわ」
「これは申し訳ない。確かに頼りがいがある」
フレームに手をかけながら、助手席にお邪魔する。
後部座席には、思慕くんと萌花くんが、お互い嫌そうな顔をしながら乗り込んでいった。
「それじゃあ、まずはどこから案内しようかしら?」
「えっと、どこでも……先生が行くところなら、ついて行きますよ、私は!」
「キミの研究のための調査なんだけどね、これ」
やはり経験不足が露呈するらしく、萌花くんはどこから調査すべきか見当もつかない様子だった。
ぼくは苦笑し、助け船を出すつもりで、こう言った。
「それでは、島の名所を、一通り」
§§
鬼灯翁の家宅は藻採山の麓にあって、少し離れると最初の目的地はすぐに見えた。
いや、近すぎて、これまでは見上げることもできなかったというべきだろう。
「離れたから解るでしょ。ございとーざい。見上げましては藻採山。その中腹から突き出しますが〝
車を路肩に止めた菊璃巫女が、茶目っ気たっぷりに告げる。
降車し背後を振りかえれば、小高い山が一つ。
山の中腹、青々と茂った緑の合間から、確かに黒々とした奇岩が突き出していた。
貌無岩。
のっぺりと全体が研磨されたように丸く、凹凸がほとんど見られないその奇岩は、貌無岩の名前が確かに相応しいように思えた。
どれほどの年月、雨風に晒されればこうなるのだろうか?
遙か頭上の奇岩が経験した気の遠くなるような時間を思うと、少しばかり身の毛がよだつようだった。
特徴的な部分は他にもあった。
貌無岩単体はのっぺりとしているのだが、そのいただきにはまた別の岩が乗っかっているのである。
これがなんだか、木舟のような形をしている。
「ああ、あれはねカジロブネって呼ばれている岩で、ちょっと凄いのよ。近くで触ると、ぐらぐら揺れちゃうの」
「え、それって落ちないんですか!?」
「そう、これが落ちないのよねぇ。鬼灯のおじいちゃんが言ってたとおり、島中落石だらけなのにアレは落ちないのよ」
「へー!」
素直に感動している様子の萌花くん。
しかし、ぼくの脳髄はお構いなしに分析をはじめる。
怪奇的なものは全て好奇心の的だ。
「静岡県下田市に似たようなものがある。海岸にあり、潮が引いたときに触ってみると揺れる。これは神船岩といって、古い時代に神様がやってきて乗り捨てた船の名残だという」
「あの岩もそうだって言うんですか?」
それは調べてみないと解らない。
ただ、カジロブネとは恐らく〝神代船〟と書くのだろうから、共通点はゼロではないだろう。
「距離があって正確にはわからないけど、どちらの岩も、この辺りの地質と同じものに見えるね」
「……先生。あんな巨大なものを運んでくるちからは、人類にはありませんよ。同じに決まってるじゃないですか」
「もっともだ」
仮に運んできたとしても、誰が山肌に突き立て、誰が巨岩の上に別の岩を乗せるというのか。
「では、菊璃巫女。あの岩は、どうして貌無岩と呼ばれるんですか?」
「昔は顔があったから、と聞いているわね。そのときはカジロブネとあわせて天狗の子守岩とよばれていたとか。ちょうどカジロブネが、抱き上げられている赤ちゃんに見えたとかなんとかで」
「ふーん。よかったじゃないか、萌花くん」
「へ?」
おいおい、我が教え子。
間の抜けた声を出すんじゃあない。
「山に登った河童と天狗はときに同一視され、同じような現象を引き起こす。天狗礫とか天狗倒しだね。また、川天狗という種類もいる。思わぬところでキミの論文の接点が見いだせたんだ、喜ぶべきだよ」
「は、はぁ……? でも、なんか、こじつけみたいじゃありません、それ?」
こじつけではない。
物事の根底には、同じものが横たわっていることがある。
一見多種多様でいてしかし、じつは同じものを違う方向から眺めていただけに過ぎなかったのだと気付かされることは、この学問をやっていると、結構多いものだ。
「今回ばかりはおれも同意見さ」
思慕くんが、複雑そうな表情で肯定してくれた。
「始まりは同じ、同根同源。そういうのはさ、なんつーか……あるもんなんだァぜ」
「ふーん……」
納得できないようで首を傾げる萌花くん。
しかし、河童に天狗ときたか。
そうなってくると、これも俄然気になってくる。
「菊璃巫女、一つお尋ねしたい」
「なにかしら」
「赫千神社の御祭神は、いったいなんですか」
「…………」
ん? と思ったときには遅かった。
どうにも居心地の悪い、奇妙な空気が流れはじめていたからだ。
巫女の全身からは、突き刺すような冷たさ──深海の重苦しく淀んだ冷気のようなモノが放射されていた。
……ぼくの釈明としては、こうだ。
かの神社はこの島唯一の神社である。
普通に考えれば、稲荷、金比羅、恵比寿などを合祀したなんらかの社ということになるだろう。
孤島における神社の役割とは、あらゆるものの安全を祈願することだからだ。
しかし、何を主だって奉っているかとなれば、話は違ってくる。
神仏習合と分離のはてに、土着の神がなんらかの神仏と同一視されるなど、この国では日常茶飯事だった。
だからこの島でも、きっと同じことが起こっているだろうとは、想像に難くない。
あるいは、ヨギホトさまそれ自体を奉っていた──なんて可能性もあるだろう。
純粋な学術的興味から出た問いかけだったが。
しかし、もしかすると、かなり空気を読めていなかったのかもしれない。
事実、
「恵比寿様よ」
菊璃巫女は、抑揚のない口調で、そう告げた。
「…………」
「いやね、何を考えているのか、ちっとも解らない目をしてる。聡明なのか、暗愚なのか解らない」
「それは、黒眼鏡の下に目があるからですよ。むしろぼくには、あなたがたにこそ思惑があるように見える。外の人間を歓迎する……小さな共同体としては、むしろ逆のように思いますけどね」
こともなげに彼女は否定するが、ぼくはもう少しばかり食い下がってみた。
縁起の一つでもぶってくれれば。そう思いながらジッと見つめ続けるが──それもここらが限界だったらしい。
「や、やだなぁ先生! それは神社を訪ねたときに、またあらためて詳しく調べればいいじゃないですか!」
「…………」
「先生~! お願いですから一般人は学術的興味だけで生きていないと理解してください。ち、知的好奇心を満たしたいなら、もっと色々ありますよこの島には! さあ、次に生きましょう次! あの……その……時間もないですし……ね?」
ブンブンと両手を振り回して、慌てた表情の萌花くんが割って入る。
どうやら充満していた緊張感にたえられなかったらしい彼女の振るまいが、全員の硬直を和ませた。
菊璃巫女も、すでに先ほどの冷たさを消してしまっていて、これ以上追究できるような空気でもない。
ぼくは重いため息を吐いて、萌花くんの頭を撫でた。
「ちょ、先生、セクハラなんてあり得ません!」
「まあ、いまだけはよしとされてくれよ」
「そんなこといったって、く、くすぐった──」
まったく。
「キミはいささか、ぼくにとって出来過ぎた教え子なのかもしれないね」
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