第三章 楽しくステキな伊賦夜島観光ツアー

第一話 若き神主と先代の巫女と

 鬼灯翁の邸宅は、控えめにいっても豪邸だった。

 例えるなら、屋根裏のスペースが大きく取られた武家屋敷だろうか?

 中庭には池があり、敷地内には倉も建っている。


 さて、ぼくらは感嘆の声を上げる間もなく奥の座敷へと通された。

 部屋を仕切る襖を複数枚取り外して作られたらしい大広間には、既に二名の先客がいた。


 ひとりは胡麻塩頭にねじりはちまきを巻いた、屈強な肉体の中年男性だった。

 もうひとりは、紫奴袴むらさきぬばかまを身につけた、背筋のピンとした美丈夫で、褐色の肌がやけに魅力的だ。

 その胸元には少し奇妙な意匠の、十字架の如きものが下げられている。


「勇魚お兄様。御客人をお連れしたわ」

「──ああ、ご苦労様だね、菊璃。それではこうがいさん、鬼灯さん、御客人に説明をしようではありませんか」


 菊璃さんにお兄様と呼ばれた宮司のかっこうをした男性は、穏やかに微笑んでこちらを見た。


「自分は、赫千かがち勇魚いさな。そちらの菊璃の兄で、若輩ながら赫千神社の神主をやっております。それで、こちらが」

「おう、おいはこうがい十郎太じゅうろうただ。ずいぶんな歳だが、いまだに青年団の団長ばやっちょる。ヨギホトさまが祭りの仕切りはおいどんじゃけん、聞きたかことはなんでん聞いっちょくれ。客人の頼みちくれば、どげんことでも応えるけんね!」


 二人の挨拶に返礼する形で、ぼく、思慕くん、萌花くんの順番で挨拶をする。

 すると、萌花くんの番にさしかかったところで、


「ああ、やっぱり。やっぱり萌花ちゃんだったんだね?」


 と、勇魚さんが優しげな声を上げた。

 彼の両目は懐かしく目映いものでも見ているように細められており。

 萌花くんも最初こそ困惑していたものの、やがて目を見開き、驚いたような声を上げた。


「あ! ひょっとして──勇魚お兄ちゃん?」

「うん、そうだとも。頼りにならない、勇魚お兄ちゃんさ」

「うわぁ……本当に懐かしい! この島を出たとき以来ですね! 私のこと、覚えてますか!?」

「そう言っているじゃないか」


 苦笑する彼と、目を輝かせる萌花くん。


「萌花くん、ひょっとしてお知り合いかい?」

「はい、先生。スッゴク小さいころ、まだこの島にいたころ親切にしてくれたお兄ちゃんなんです。お母さんの親戚で、私とはハトコの……そっか、そうですよね、おにいちゃんは当然島に残っているわけで……おじさんは──お兄ちゃんのお父さんは?」

「うん、彼らとは世代交代をしてね、こんな半端者だが、神主なんて要職を賜っているんだよ。萌花ちゃんこそ、ご両親は?」

「お母さんとお父さんは……えへへ、もういなくてですね……」

「これは……すまないことを聞いたね」

「大丈夫です。とっくに吹っ切れてますから」


 楽しそうに久闊を叙す彼らを、微笑ましい気分で見つめていると、隣に座っていた思慕くんが、ぼくだけに聞こえるよう呟いた。

 どこか、呆れたような声音だった。


「よく似てるじゃねぇーか」

「なにがだい?」

「ふん……さァてね。想い思われ振り振られ。鈍感を相手にすると苦労するって話さ」

「?」

「……いいから。聞きたいことを聞けよ。さっきもそうだが、おまえ、ここへ何しに来たんだ?」


 ああ、そうだった!

 楽しげに会話する萌花くんたちには悪いが、ぼくらがこの島を訪れた理由は他にある。

 明日からの行動のためにも、しっかり話を聞かなくては。


「ごほん。それで、お祭りの概要について説明を戴きたいのですが──」

「……ッ」

「?」

「いいえ、なにも。祭りのことでしたね、自分たちに何でも聞いてください、御客人の頼みであれば、否やはありませんので」


 一瞬だけ表情を歪めたように見えた勇魚さんは、しかし既に温和な表情を取り戻している。

 見間違いだったのだろうか?


 一方で、菊璃さんはなぜかぼくにだけ見える角度でサムズアップを向けてくる。しかもキメ顔でだ。

 解らない。

 解らないことばかりだから、一つ一つやっていこう。

 理由とは、そうやって探すものだから。


「では、お心遣いに感謝をしまして。まずはお祭りの日程をお聞きしたいのですが」

「そいにはおいが答えるけん。祭りは明後日の夕方から行われることになっちょる」


 十郎太さんが、待っていましたと言わんばかりに応じてくれる。


「当日、港に山車ば担ぐモンが集まる。こいはだいたい青年会のメンバーじゃ。格好は決まっとって、烏帽子に直垂ば身につけ、腹の前に眞魚木細工ば括り付ける。山車は舟の形ばしとって、本土でいえば精霊船のようなもんじゃ。これに、ヨギホトさまが乗り込んで、出発する」


 乗り込む、というと。

 つまり、ヨギホトさまは動く?


「ヨギホトさまの依り代は、大昔から受け継いできた木像じゃ。そいば下から操って、動いちょるようにみせる。ここはおいどんの腕の見せ所よな。いわゆるシンボルじゃ」


 男性神のシンボルとなれば、まあ男根とか、それに類似した物だろう。

 目合ひ祭りというぐらいだし、多分間違いない。

 念のために具体的な形を訊ねてみたが、


「がはははは! それは本番のお楽しみじゃ!」


 と、豪快に笑ってはぐらかされてしまった。


「そいで、だ。ヨギホトさまの入った船ば担いで、川伝いに神社を目指す。『いくなー、いくな。ふっ、はっはっ、ふー!』と音頭を取りながらな。で、行き道がてら島のモンたちからほどこしば受けて回る」

「ほどこし、ですか?」

「そうじゃ。おいどんはヨギホトさまを歓待せねばならん。煮染めやお供え物ば山車に投げ込んで、代わりにヨギホトさまは泥を投げる。これを受けたモンは子宝ば得ると言われちょる」


 音頭の「いくな」とは、どういう意味なのだろう?


「そいはおいどんにもわからん。ただ、むかしっから、ヨギホトさまばお迎えするときは、『いくなー』と呼ぶのが慣わしなんじゃ。魔除けのときには『もどせー』っち言うが」


 なるほど。

 興味深いが、ここをツッコムと話が大きく脱線する気がする……自粛するか。

 それで、神社に着いたあとは、どうなるのだろう?


「ここからは、自分が説明しましょう」


 勇魚さんが、言葉を継いだ。


「山車を連れた一団が境内に入り、ヨギホトさまを舞殿の前に安置します。この舞殿で、巫女──つまり菊璃が祈念の神楽を奉納し、その後、巫女とヨギホトさまは神社の裏手にある祭祀堂──ウロブネにて一晩を明かしてもらうことになります。翌日の昼、ヨギホトさまは堂から出され、巫女は祭りの終わりを宣言します」

「その、ウロブネというのは」

「自然の洞窟を整備したもので、中にふたつの扉があるものです。いわば、神と巫女が同衾を果たす神域ですね」

「ははぁ、それで目合ひ祭りというわけですね?」

「さて、自分たちも祭りの名前の由来を考えたことは……」


 またか。

 致し方ない。


「わかりました。それで、祭りは全行程が終わりですか?」

「ええ、ヨギホトさまと巫女が無事外に出れば、我々には豊作大漁と無病息災を約束されます。これで祭りは終わりです」

「なるほど、なるほど」


 しきりに頷いてみせる。

 うん、いや。解っていない部分は多いが、それは実際に目にして調べてという形になるだろう。言葉では伝わらないものばかりあるのが、奇祭というものだ。


 そう、これは奇祭なのだ。

 聞く限り、縁日のそれのような一般的な祭りとは違う。

 神幸祭という時点で珍しいものだし、神幸祭のみっつの分類──ミアレ、ミソギ、オイレのどれとも微妙に違う。

 興味深い、じつに怪奇的だ。

 加えて一つ、興味をそそられていることもある。


「ちなみに勇魚宮司」

「なにかな?」

「その胸元にある、奇妙なデザインの十字架は……」

「ああ、これかい」


 彼は快活に笑うと、そっと持ち上げて見せた。


「この島の、宮司の証しのようなものでね、赫千神社の神紋に由来する形をしている。ほかにも、魔除けとしての効果があると信じられている」

「ちなみに、ご神紋は」

「さて……鯨をみたてたとか、なんとか」


 なるほど、それで勇魚か。

 勇魚とは、いさなりの王に由来するとおり、捕鯨に関わる地域に多い名前だ。

 恐らく、この辺りに彼の名前のルーツはあるのだろう。


 いや、しかし、本当にワクワクするな。

 この島には、興味深い独自の文化がある。

 もっと、ずっとたくさん調べて回りたい……


「そいで、先生さん」


 考え込んでいると、親造さんがありがたい提案をしてくれた。


「少し休んだら、島のなかば見て回ったらどがんじゃろうか? 寄ヶ浜よりがはまに藻採山、赫千神社の本殿と、見たかもんがいくらってありましょうが。案内にはほれ、菊璃ばつけるけん」

「それは、願ってもないことですが……萌花くん、キミはどうする?」

「当然私も先生と──」

「そのことなんだけれどね、萌花ちゃん。じつは折り入って相談事があるんだ」

「こら、赫千の。御客人にそげんことばいうもんじゃなか」


 急に話に割り込んできた勇魚宮司を、鬼灯翁が窘める。

 勇魚宮司は顔をしかめたが、


「いや、島長。これはどうしても必要なことなので」

「……ふん。精々でしゃばらんことぞ。先代のようになりたくなければじゃ」

「はい……」


 と、不承不承といった様子で許可を取り付けた。

 この辺り、どうやら揺るがないパワーバランスがあるらしい。

 勇魚宮司は、それから、


「萌花ちゃん。夕方の一時だけでいいから、自分に時間をくれないかな? そういう約束を、鬼灯の家とはしていたと聞いているのだけど?」


 うっと押し黙る萌花くん。

 本当なのかいと訊ねれば、彼女は無言で頷く。


「それが協力の条件なら、仕方がないだろうね」

「ですが、先生……いえ、そうですね、仕方がないことなんですが」

「まあ、安心しろよ。稀人にはおれが着いててやるからさ」

「それが不安なんですけど!」


 むきーッと怒りを露わにする萌花くんと、ケラケラと笑う思慕くん。


「まあ、まあ。ちゃんと茶請け菓子ぐらいは出すからね」


 言って勇魚さんが、気安く萌花くんの肩を抱き寄せた。

 彼女たちの様子は、実の兄妹のようにも見えたが。

 そのとき勇魚さんが、粘り着くような笑みを浮かべていたのだけが、いささか不可解だった。


 ともかく、これで話はまとまったと、胸をなで下ろしたときだ。

 大広間に続く襖が、音を立てて開いた。


「はいはい、話は終わりだと言わんばかりのところ、失敬しますがねぇ。島の皆さんがた、まだこの貝木教授にお伝えしていないこと、あるんじゃございやせんか?」


 蛭井さんが、ニヤニヤと笑いながら、そこに立っていて。

 そして彼女は、どこか悪意のある声音で、とんでもないことを口にした。



「そうですよぉ、十一年前の祭りで起きた事件──祭祀堂、先代巫女失踪事件のお話でさ!」

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