3-9
真っ暗な闇が自身の周囲を包み込んでいる光景を、俯瞰的に依夜は眺めている。
夢だ、と気付くまで、そう時間は掛からなかった。
これは〝事件〟の夢。サーゼリア王国で、ルシフェルの襲撃を受け、為すがままに視力を失った三年前の記憶。あの時ほど、自身の力のなさを嘆いたことはなかった。力があれば、弱くなければ、目を失うこともなく、親友であるキョウコを亡くすこともなかったというのに。
場面が転換する。そこには親友の姿があった。何かを喋っているか依夜には聞き取ることが出来ない。自分自身がフェードアウトしているからだ。でも、彼女の表情は優しかった。それだけが依夜の眼に強く焼きついた。
気が付けば、自室に戻っていて布団に横たわっていた。
〔やっと我に戻ったか、この馬鹿娘が〕
起き抜けに罵声は勘弁願いたい、と内なる声に言い返したかった。けれど、こうなった原因が依夜自身にあったのを思い出すと何も言えなくなった。ただ、ゆっくりとその身体を起こして、依夜は顕現の許可を出す。すると人間サイズのルアーハが傍らに現われた。
「まったく、高天殿に言うだけ言うて、あまつさえ逃げてくるとは何事じゃ。儂の言葉すら耳を傾けんで、部屋に戻ってくるなり布団に直行とは呆れて物も言えんわ」
言っているんですよ、ルアーハ。とは言えなかった。
依夜の半身たるルアーハは、基本的に穏やかな性格を持つ。
だが、怒る時は母親以上にきつく怒る。それは依夜のためを思っての事だというのは伝わってくるので、今回のも言い返せないでいた。
「……だって、今まで誰も否定する事無かったから、つい感情が高ぶってしまって……」
依夜は、自分でも分かるくらい言葉が尻すぼみになっていくのを感じていた。
「だからといって、言って良いことと悪いことがあります」
「お母様? いつの間に!?」
意識外から聞こえてきた声に、依夜は心底驚く。
「最初からいましたよ。貴女が部屋に向かう途中で、私とすれ違ったのに気付かなかったのですか? ただ事ではないと思い、慌てて貴方の部屋に来て見れば、布団を頭から被って寝ているんですもの。心配にもなりますよ。それで、ルアーハに念話で訊ねました、何故こうなったのかを」
依夜は、ルアーハの方を見る。すると、彼は一つ頷く。それで分かった。ことの顛末を話したという事に。詞御に言ってはいけない事を言ってしまった自覚はある。だが、今更どうしたら良いのかが、分からない。
そんな様子を見かねてか、女王は、この場では母親として依夜に接するべく行動に移す。
視線を感じ、依夜は顔を上げると、立っている母親と目が合う。すると、母は腰を下ろし、依夜と同じ目線に合わせ、言葉を続ける。
「依夜。覚えていますか、編入試験後の理事長室でのやりとりのことを。私は『高天さんに、〝恩がある〟』と言いましたよね」
そうだ、確かにそう言っていた。でも、今話す事なのだろうか? そう依夜は思った。
「ルアーハから、三年前のサーゼリア王国で起きた事件の事を打ち明けた、と聞きましたが、その時、〝ルシフェル・ゼガート〟の事を話しましたね。そして、奴がとある浄化屋に捕縛されたという事も」
「まさか!?」
ルアーハが叫ぶ。今の話と、女王から詞御に伝えられた〝恩〟という話、それを統合するならば、導かれる答えは一つ。
「想像通りです、ルアーハ。捕縛不可能と全世界に言わしめた上位・甲種級の暗殺者、ルシフェル・ゼガート。それを捕まえた人物が、当時、浄化屋を生業としていた高天さんだったのです。一般的には公表はされてませんけどね。彼が我々の悲願であった奴の逮捕、それを成し遂げてくれたのです。間接的とはいえ、いわば我々の恩人なのですよ。高天さんは」
依夜は、言葉も出なかった。一度の直接対戦に、今日の序列決定戦を観て、彼の強さは分かっていたつもりだった。しかし、自分の想像以上の人物だと言うのが母親の言葉を聞いて、より強く思った。
そして、激しく後悔した。詞御は、依夜の代わりに、いや、奴にこれまで殺された要人の家族や関係者の無念を一斉に晴らしてくれたのだ。そんな詞御に自分は、なんて事を言ってしまったのだろう。彼の欠損をえぐるような事を言ってまで。
依夜は深くうなだれてしまった。そんな依夜の肩に温かい感触が伝わってくる。それは、母親の手だった。依夜は顔を上げる。優しい眼をした母親の視線が飛び込んでくる。
「今は貴女自身、まだ整理できていないようですから、明日にしなさい。自身が悪いと思っているのならまずは謝る事です。それに、いい機会です、私からも言っておきたいことがあります。本来なら、私やお父様が言うべき事だったのですが、〝あの事件〟の事を、そして、貴女の強い決意を知っているが故に言い出せませんでした。いや、それも言い訳に過ぎませんね」
初耳な事だった。何を? と依夜は言葉ではなく目で母親に問う。
「高天さんが言っていた、〝現在〟の貴女自身に、目を向けてはどうか? という事ですよ」
「そんなに……存在が薄かったの?」
依夜自身、そんな自覚は無かった。
きちんと一本の芯を持って、これまで生きてきたつもりでいたから。
「時折、自身を蔑ろ、とまではいきませんが、生き急いでいるような、自身の命は二の次みたいな処があったのは、紛れも無い事実です。私たち、いえルアーハもです、内心はハラハラして見ていたのですよ。改めて聞きますが、三年前から
恐らく、他の時に言われていれば「あるっ!」と頑固に肯定したのは、依夜自身、容易く想像が出来た。でも、冷静になり、改まって過去を振り返る。
これといった趣味を持つわけでもなく、学業以外の時間は、寝食を除けば、全て自己の鍛錬か公務に掛かりきりだった。親友の思いを叶えたい、その為の〝力〟が欲しい一心で。だが、鍛錬も公務で帝王学を習得しているのも、全ては、親友のあの言葉に突き動かされての行動だ。そこには自分の意思が介在していないことに依夜は気付く。
すると、先程の詞御との出来事が、すっと受け入れる事ができた。詞御の言うとおりだった。依夜自身の思いは何一つとして語ってはいない。話したのは全て親友の思いだ。それに気付いた依夜は、母親の言葉も、素直に受け止める事ができた。
依夜が気付いたのを、その表情から感じ取ったのだろう、母親の気配がもっと柔らかくなる。
「別に過去を捨てなさいとか未来を見すぎては駄目、とは言いません。貴女がこれまで頑張ってきたのは、あの事件に巻き込まれた者は良く分かっていますし、誇りに思っています。キョウコさんも同じ気持ちだと思いますよ。でも、貴女の幸せが無ければ、誰も喜ばないのも事実なのです」
「わたし自身の幸せ……」
言葉に出してみると、何とも不思議な感じがした。
「直ぐに答えを出しなさいとは言いません。出る物でもないでしょうから。けれど、覚えていて欲しいのです。誰も貴女一人に全てを背負わせたくは無い、と思っていることに」
「……はい」
「いい返事です。今夜は何もせず、身支度したら寝なさい。泣いて目を腫らした状態で高天さんと会うわけにもいかないでしょう?」
「確かにそうじゃな、今の依夜の姿はとても殿方にみせられたものではないのう」
「うっ……」
母親とルアーハの言葉を受け、依夜は手鏡を取って覗き込んでみる。自身の目は別な意味で真っ赤に染まって、髪もあちこち撥ねていた。
はっはっは、と豪快にルアーハは笑い、母親は苦笑している。そして、ルアーハはもうこれ以上は言う事は無い、と言って依夜の内に戻っていく。母親も、立ち上がり、依夜の部屋を後にする。もう何も心配はいらない、という表情をしていた。
依夜は手早く就寝の準備をして、今度はきちんと布団の中に入る。
部屋の照明を消し、目を閉じ、依夜はそっと両手を瞼に触れた。角膜をくれた親友に語るように、大事に、慈しむ様に。
〔全く世話を焼かせる〕
苦笑するかのようなルアーハの声をどこか遠くで聞いたような聞かないような、依夜が寝る前に覚えている記憶はそこで途切れた。
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