4-2

 なんとかBL本を捨ておおせた和希だったが、この一連の行動を目にしていた人物がいた。秀一である。和希と同じ大学に進学する秀一は、翌日の朝に同じ列車でこの地を発つ約束をしていた。集合場所や集合時間など、あらかじめ二人の間で決めてはいたものの、前日に少しは確認をしておきたかった。しかし和希はそれどころではなく、スマホの充電すらも忘れていて、電話もLINEも連絡が取れなかった。和希の祖母宅の固定電話に電話をすると、和希は外出していると告げられる。引っ越しの前夜に本を売りに行くような性格ではない。心配になった秀一は、和希と遭遇する頻度が最も高かった川沿いの土手を目指して走った。そこで、橋の下に潜り込む和希を見かけたのだった。


「一体、何をしてるのかと思ったよ。すぐに声をかけようかとも思った。でも、なんか様子がおかしいと感じて、つけさせてもらった。……で、BL本の山があった」

「……見てたんだ」

「悪い。ま、捨てちまったもんはもうしょうがねー。済んだことだろ。捨てる神あれば拾う神あり、だ。あれも、いずれどこかの物好きに拾われていくんだろうよ」

「……そうかな」

「ああそうだ、エロは偉大だからな。BLが好きな人間が拾っていくだけじゃなく、どっかのだれかのBL好きを開花させちまうかもしれん」

「……気持ち悪くない?」

「何に対してだ? BL好きってことに関しては、別にどうとも思わん。誰が何を愛好しようがそいつの勝手だろ。それに、和希にBLを教えてしまったのも、俺かもしれんしな……。ともかくBLが好きということについては気持ち悪くはない。……俺は好かんがな」

「……ふーん」

「今さらだが、郵送する、という手はなかったのか?」

「あ!」

「まさかと思ったが、浮かばなかったのか」

「ああ……」

「もう終わったことだ」

「ああ……」

「ところで今何時だ。……列車が来るまで、あともう少しか。しかし、朝食っとかないと腹が減るな。何か食いもん、持ってないか」

「……そんなこともあろうかと」

「俺の分も用意してくれてんの? 気が利くじゃん……って、うまい棒かよ!」

「うまい棒は国民食。嫌いな子どもはいない、ってばーちゃんが言ってた」

「和希のばーちゃんが言ってたなら、そうかもしれんが……いると思うけどな、うまい棒が嫌いな子ども」

「いるの? いらないの?」

「いる。……コーンポタージュ味か。俺はめんたい味の方が好きなんだけど。……あ、ちょっと待ってちょっと待って、コーンポタージュ味のうまい棒、おいしいおいしい」

「のど乾いた」

「そりゃうまい棒食ってりゃ、のども乾くだろ。……なに、俺が買ってくんの?」

「午後の紅茶、ストレート」

「朝イチの紅茶だろ。……すまん。俺も寒かった」

 飲み物を買いに自販機の前に立つ。泣きそうになっていた和希も少し落ち着きを取り戻しつつある。和希に泣き顔は似合わない、と秀一は思う。

「ほら、午後ティ」

「ありがと。うまい棒、いる?」

「いや、もういらない……。メインで食べるものでもないだろ」

「じゃあ、ブタメン」

 和希はリュックから小さなカップ麺を取り出す。駄菓子屋でもよく見かける、子どもから大人まで人気のカップ麺だ。

「ブタメン!? お湯が無いと食べられないじゃん!」

「そのままバリバリ食べる子もいるよ」

「朝からそんなに塩っ辛いもの食べられないよ」

「せっかくばーちゃんが朝食にって持たせてくれたのに」

「よりによってブタメンか! もっと違うものを持たせてくれ、ばーちゃん!」

「『和希ちゃん、汽車の中であのクソガキと一緒に食べるとええ』って渡してくれたのに」

「ばーちゃん、俺を誰かと間違えてないか……? 俺のことなのか……?」

「ブタメンは宇宙食って言ってた」

「事実誤認だぞ、ばーちゃん……」

「そういやばーちゃん、スマホのモバイルバッテリーも持たせてくれたよ。『和希ちゃんは電話を充電し忘れることがあるからね』って」

「何が飛んでくるかわからないばーちゃんだよな」

「そういやスマホ、まだ電池切れたままだった。さっそくモバイルバッテリーで充電しよう」

「なんだこれは……みるみる充電されていく……モバイルバッテリーってこんなにすごいものなのか……?」

「お、起動できるようになった。……あ、LINEが来てる。わ、桜!」

「何? 柴犬のサクラ? ばーちゃん、LINEで飼い犬の写真を送って来たの?」

「違うよ、ばーちゃんはSNSはインスタグラムしかやってないでしょ」

「インスタグラムやってんのか……」

「ほら見て、今にも開きそうな桜のつぼみ」

「へえ、もう今日の内には開花しそうな感じだな。この写真は友達から?」

「んー。……彼氏?」

「ぶふぉおっ!! ちょ、なに、おま、彼氏いんの!?」

「友達だけど?」

「え、あ、そう……。びびった、もうなんなんだよ……」

「ほら、もう列車が来るよ」 


 和希が指をさす先の電光掲示板には、目的の列車の到着時刻が迫っていることが示されている。手荷物を取りまとめ、二人は乗車に備える。切符は持った。生活用品の大部分はすでに新居に送った。必要なものは向こうで買いそろえる。いらないものは、捨ててきた。たくさんの思い出を街に残して旅立つ二人には、まもなく始まる新しい生活が線路の先に待っている。

 

 隣の席で寝息を立てる和希の横顔が窓ガラスに映っている。それを見た秀一は、和希の横にいられることを幸せに思う。

――まだはっきりと彼女に想いを告げてはいないが……ま、焦ることはない。俺たちの大学生活は、これから幕を開けるのだから。


 のびやかな三月の風を連れて、列車は前へ前へと駆けてゆく。まもなくこの街では桜の花が咲く。ひとつのつぼみが顔をあげると、他のつぼみもつられて花を開かせる。春色に染め上げられた川沿いの街並みと、まだ見ぬ景色に思いを馳せる青年を乗せ、めぐる季節は春へと移る。


(終)

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河川敷。めぐって、春 凍日 @stay_hungry

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