4-1

 三月末、某日、早朝。

 鷹見市の中央、鷹見駅の待合室に三原和希の姿があった。


 和希のほかにも列車を待つ客がちらほら見える。季節は、出会いと別れの春である。新天地へと運んでくれる列車の発車時刻を待っている若者も少なくない。その中でも和希はひときわ眠そうな顔をしている。今にも寝落ちしそうな和希は見るからにスキだらけで、まぶたが下りる瞬間に傍らのスーツケースを盗まれたとして、気づくかどうかすらも怪しい。


 いざ眠りの淵に漕ぎ出さんと前後左右に揺れ始めたところで、和希は頭をはたかれた。


「……おや?」

「おや、じゃねえよ。心配かけさせやがって」

 あきれ顔で和希を見下ろすのは不破秀一である。

「昨日の晩からスマホ繋がんねーから、今朝ちゃんと駅で落ち合えるのか気が気じゃなかったわ。なんで電源切ってたんだ?」

「んや、電源切ってたわけじゃなくて、充電するのを忘れてただけ」

「らしくねーな。朝メシ食ったか?」

「くってない」

「俺も食ってねーから、売店で何か買って来るか」

「まだキヨスク開いてない」

「まじか……。じゃあ向こうに着くまでお預けだな」

「……とおもったでしょ? じゃん」

「何? メシ持ってきたの? ……って、うまい棒かよ!」

「うまい棒は国民食。子どものときに習わなかった?」

「そうなのか? それはさておき、なんでそんなに眠そうなんだ」

「昨日は引っ越しの準備で大変だったのです」

「まだ終わってなかったのか」

「正確には部屋の整理かな。ゴミを捨ててた」

「うん? 今日はゴミの回収日だったか?」

「いやー、大変だったよ。山ほどあったからね」

「ゴミ屋敷だったのか……」

「紙って重いんだね。知らなかった」

「どんだけ大量の紙を捨てたんだよ」

「相当だね。いやー大変だった。二階から一回だけで搬出し切れたのが奇蹟に思えるよ」

「ばーちゃんには何も言われなかったのか」

「あんまり言われなかった。絶対なにか言われると覚悟してたけど、あんまり言われなかった。リュックとスーツケースにパンパンになるまで詰め込んで。めちゃくちゃ重かったし、今思い返せば見るからに怪しい恰好をしてたはずだけど。夜中、ばーちゃんがお風呂に入るスキを見計らってたんだけど、なかなかお風呂に入ってくれなくて」

「夜中に捨てに行ったのか。不法投棄じゃないよな」

「あとで気が付いたんだけど、昨日はばーちゃん、夕方にお風呂済ませちゃってて、そりゃ、道理で晩御飯の後にお風呂に入ってくれないわけだよ。で、もうしょうがないから、古本を売りに行くって言って、出てきたわけ」

「あのなあ……」

「いやー、大変だったね。とにかく重かった。資源ゴミの回収日に出しときゃよかったって何回も思ったね。でもま、資源ゴミの回収にも、出しづらいと言えば、ちょっと出しづらいものだったんだけど」

「出しづらいものだったのか」

「出しづらいものでしたねえ」

「で、河川敷に捨ててきた、と」

「そう、河川敷に捨ててきた……」

「やっぱりそうなのか」

「え、なに? あ、ちょっと待てよ、どこに捨てたなんてまだ言ってないぞ? 河川敷? はは、なんのことかな一体」


「お前、昨日の夜、橋の下でBL本捨ててただろ」




 今から二年前、不破秀一が住んでいた旭井学園付属寮である騒動が発生した。その際に、持ち物検査に引っかかりそうな物品を、住民総出で寮内から一掃したのだった。ある者は潔くゴミとして捨て、ある者は換金し、ある者は友人に頼んで物品をかくまってもらった。

 しかし、秀一の手元に残ったヤバい代物の中に、成人向けのBLコミック雑誌が存在した。寮内の動乱の最中に秀一の部屋に投げ込まれた物ではっきりとした出どころもわからず、秀一はしぶしぶ自分で処分することになった。

 しかし秀一は自分の手で書籍を捨てられない人間だった。自分の名義で古本屋に売りに行く気もおこらず、そもそもコミック雑誌は最寄りの古本屋では買い取り対象ではないのだった。寮外の友人数名にそれとなく頼み込むも、色よい返事は得られなかった。そして進退窮まった秀一は、和希を河川敷の公園に呼び出し、和希にブツの処分を押し付けたのだった。


 嫌々引き受けた和希だったが、いざ捨てる前に少しだけと思ってページを開いてみたところ、耽美なるボーイズラブの世界に目覚めてしまったのだった。以来、成人向けの作品を中心として、自室の押入れのBL本コレクションが拡張されてゆくことになるのだった。

 しかし、受験勉強が佳境に入るにつれ、BL本の鑑賞に充てる時間は少なくなり、大学進学にかかる多くの作業に注力する中で、いつしか和希の意識の中からもBL本の存在は消滅してしまっていた。それがリバイバルしたのが一昨日の夜で、押入れの中にいまだに全く処分していない大量のBL本が入ったままのダンボール箱を見つけてしまったのだ。遅くはなったが、発見できてよかったと言えよう。

 このままダンボール箱の存在を忘れてこの地を離れてしまえば、遅かれ早かれ祖母の目に触れる。中高一貫校の旭井学園に通学するために六年間面倒を見てくれた祖母には感謝してもし切れない思いがある。祖母を悲しませたくはない。そのような思いもあり、なんとかブツを処分しようと奔走したのがこの二日間だった。


 ダンボール箱に気が付いた夜はどうすることもできずに就寝した。次の朝、処分するための方法を必死に考えた。家の中から出せばそれでよいわけではない。和希はこの趣味を他人に知られたくはなかった。だから、古本屋に持っていくことはできない。趣味を同じくする友人も、残念ながらいなかった。そのため友人に譲ることもできない。資源ゴミの回収も、可燃ゴミの回収も、家を発つまでには間に合わない。いっそ海に沈めてしまうかとも思い、いやしかし海は家から遠い、近場の飾利川で手を打てないかと、午後、犬を連れて河川敷をうろうろと徘徊していたのだ。


 どこに沈めたものかと血眼で河原を歩き回っていると、ひょんなことから、エロ本が捨てられている場所を発見した。「河原でエロ本を拾う」みたいな話を耳にしたことはあったが、まさか本当に河原にエロ本が捨てられているとは思わなかったが、次の瞬間、和希の腹は決まった。便乗しよう。ここに自分も、BL本を捨てよう。まだ明るい時間帯に行動するわけにはいかない。夜、日が暮れてから、それもできるだけ遅い時刻に、不審がられないように、捨てなければいけない。

 幸い橋の下の洲は、河川敷の歩道からさらに階段を下りなければいけないところにあり、背の高い葦に囲まれていて、周囲から簡単に見つかるような場所ではない。深夜零時を回ったり、あまりに遅い時刻になると危険が増すかもしれないが、幸か不幸か、この橋の下にたどり着く前に、まず祖母に不審がられないように外出する必要があるため、そもそも夜中と言っても八時か九時が関の山だ。人通りは少ないが絶えてはいない、都合の良い時間帯……だと思い込むことにした。


 なんとか祖母をごまかして外出できた和希は重い荷物を引きずって橋の下にもぐり、すべてのBL本をぶちまけた。不法投棄以外の何者でもないが、しかし、河原にはエロ本を捨てに来る人間が存在し、そしてまた捨てられたエロ本を拾いに来る人間が存在することを和希はすでに知っている。自分が捨てた成人向けのBL本もまた、志を同じくする見知らぬ仲間に拾われる可能性はある。というか、拾われてくれ。頼む。

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