第17話 生きているだけで素晴らしい!

 真夏の太陽が照り付ける中、僕は例年通り父の墓前で手を合わせた。一昨年から母親も加わった墓を掃除して花を供え副住職の大下さんに挨拶をして帰るのが恒例行事となっていた。本当はお彼岸やお盆にも来ないといけないことはわかっているのだが、さすがに母親の変わりはできていなかった。

「陽介、一年ぶりだね」

 この寺の副住職である大下さんは僕がカブスカウトをしていた時にお世話になっていた。僕はボーイスカウトになる前に止めてしまったのだが父が亡くなりここに眠るようになってからも何かと気に掛けてくれていた。

「すみません。ご無沙汰しています」

「もうすっかり一人前の警察官だな」

「まだまだですよ。僕なんて何もできなくて」

「陽介の長所は謙虚なところだけれど、もっと自信を持たないとそれが短所になってしまうよ」

「はい」

 いつものように優しいまなざしで諭してくれる。確か僕より十五歳上であったはずだが、副住職になってからは年齢がもっと上に見えるようになっていた。貫禄がついたということなのだろうか。僕にはまだないものだった。

「お客さんが来ているよ」

「えっ?」


 本堂に上がると中学生くらいの少年とその父親らしき男性が正座して待っていた。

「初めまして、三河と言います。この子がお父さんに命を助けて貰った息子の比呂です」

 僕の父は火災現場で命を落とした。詳しい状況を母親から聞くことができなかったことを後悔している。だが、いつか誰かから聞きたいと思いつつ、そんな気になれないでいた。

「陽介はお父さんが亡くなった時のことはよくは知らないとお母さんから聞いているよ」

「はい、誰かを助けたとは聞きましたが・・・」

「私の妻は当時育児ノイローゼとでも言うのでしょうか心が病んでいました。少し前から自殺願望を口にしていたのですが、私は仕事が忙しく、相手にしていませんでした。そしてあの日、自殺を図り家に火をつけたのです」

 三河さんは昨日のことのように憔悴しきった顔で告げてくれる。僕は何だか他人事のように受け止めていた。

「私は仕事を言い訳にして妻を見殺しにしてしまいました。更には君のお父さんも殺してしまった」

「殺したなんて言わないでください。父は自分の仕事を全うしただけですから。僕も子供の頃はその事実が受け止められなかった。でも今になってやっと父のことを理解できるようになりました。いいや理解しようと努めています」

「陽介」

 大下さんの大きな手で肩を掴まれて僕の胸は熱くなった。

「僕を助けてくれて、本当にありがとうございました」

「その言葉で天国の父も喜んでいるよ」

「この子に事実を話したのは最近になってからでした」

「僕がすぐに『殺してやる』とか『死んでやる』って言っていたから・・・」

「そうなのです。そろそろちゃんと事実を話さないといけないと思いまして。そうしたらその消防士さんのお墓参りがしたいと言い出してくれて、実は妻の墓もここにあるものですから・・・」

「そうだったのですね」

 僕は大下さんを見た。大下さんは申し訳なさそうに頷いた。


 僕は寺を出て駅まで十五分で着く道のりを三十分以上かけて歩いた。父親が亡くなった状況がわかったところで何も変わらない。家を放火したという亡くなった女性を恨む気持ちは微塵もなかった。ただただ、父が命を落としてまで助けたかった命がすくすく成長している事実に僕は感動していた。


 その日の夕方、僕は美和子さんから呼び出されキッチン富士に向かった。

 ドアを開けると多くの顔見知りの人たちで一杯だった。

「陽ちゃんお誕生日おめでとう」

 多くの歓声とパーティークラッカーの音が響き渡っていた。僕は呆然とただ立ち竦むだけだった。

「陽介ごめんなさい」

 開け放たれたドアから息を切らした涼子が駆け込んで来た。

「どうしたのよ、涼子ちゃんそんなに慌てて」

「陽介は自分の誕生日が嫌いなの。だって今日はお父さんの命日でもあるのだから」

 肩で息をしている涼子が叫ぶように言った。

 一瞬その場が静まり返る。

「ありがとう涼子。でも、僕はもう大丈夫だから」

 涼子は夏休みを利用してオーストラリアに語学留学に行っていた。美和子さんもそのことを知っていたから涼子にはキッチン富士に集まる日時しか伝えてはいなかった。涼子はここに来る途中で今日が僕の誕生日であること、もしかしたら美和子さんはサプライズの誕生日パーティーを企画したのではないかと心配になり駅から走って来てくれたようだった。

「ごめんなさい。陽ちゃん」

 美和子さんが僕の手を取り謝ってくる。

「本当に大丈夫ですから。確かに僕は子供の頃、今日という日を受け入れることができませんでした。あの日、父が予約をしてくれた誕生日ケーキをテーブルに出して父の帰りを待っていました。夕方発生した火災現場に急遽出動していた父は約束の時間を過ぎても帰ってこなかった。電話が鳴り母と病院に駆け付けると包帯だらけの父がベッドに横になっていて・・・家に帰ると置きっぱなしのケーキが目に入り僕は思わず床に叩きつけていました。僕の十歳の誕生日でした。それから母は誕生日ケーキを買うことはなく・・・・・・」

 誰も息すらしていないのではないかというくらい人の気配が消えていた。換気扇かエアコンの音だけが異様に大きくなる。

「だけれど今日、父が助けた少年に会って、僕は父を・・・許すことができました」

「許す?」

 涼子は恐る恐る僕の顔を覗き込む。

「ああ、表現が難しいのだけれど、今そう思った。僕は昨日まで父を許せなかった。だって僕より他の命を選んだのだから。でも、そうではなかった。警察官になってこの街で美和子さんをはじめここにいる皆さんと出会って沢山の経験をさせてもらって父がしたことの意味がやっとわかりました。そして今日、その少年が『ありがとう』って言ってくれて・・・」

 その後の言葉が続かなかった。僕は声を上げて子どものように泣きじゃくっていた。父の死から始めてのことだった。美和子さんと涼子に抱きしめられ、周りにいる人たちの温かい眼差しの中、しばらくは涙を止めることができなかった。


 僕はこのところ警察官を続けるべきかどうか真剣に悩んでいた。美和子さんのような洞察力も観察眼もなくこれからやっていけるのか自信が持てなかったからだ。でも今ここへ来てみて多くの人々が僕の誕生日を祝福してくれている。信用して頼ってもくれている。人が集まる場所にいられる事実が僕の背中を押してくれた。僕は警察官を続けよう。偉くなるか現場に居続けるかそれはまだ決められないけれども、何より困った人を助けること、事件を未然に防ぐことにだけ注力して、僕にできることを精一杯していきたい。僕は底辺生活者としてこれからも多くの笑顔を見ていきたい。父と母の分も生きていきたい。だって生きているだけで素晴らしいことなのだから。

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僕は底辺生活者のお巡りさん たかしま りえ @reafmoon

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