狐の嫁入り

きさらぎみやび

狐の嫁入り

「ねえ、たっくん、狐の嫁入りって知ってる?」



 そう教えてもらったのはいつのことだろうか。

 一人っ子だった僕は、お隣に住んでいるちょっと年上の燈子とうこさんが姉代わりだった。物心つくまでは本当に自分の実の姉だと思っていたかもしれない。


 お隣の天野家と僕の笹塚家は母親同士が幼馴染であり、僕と燈子さんは本当に姉弟のように育てられた。「私たちは両家で一姫二太郎だからね」というのが母親同士の合言葉のようだった。


 街から少し外れたうちの近所ではたまたまこの二軒が集落からはずれたところに並んで建っており、共に父親が単身赴任で長く家を空けていたことも重なって、立地的にもまるで同じ敷地のごとくの気安さで互いの家を行き来していたものだ。


 小学校までの道のりも他の家とは離れていたから、いつも僕は燈子さんと手を繋いで学校に通っていた。


 それが原因でからかわれることもあったし、たまにはふてくされて離れて登校したこともあったけど、燈子さんは困ったような笑みを浮かべながら穏やかに僕を見守ってくれていた。


「うちの燈子は達哉くんが生まれてからすっかりお姉ちゃんになったのよ。達哉くんのおかげね」


 なんてよく燈子さんの母親の美和おばさんに言われて、訳もわからず嬉しがっていたりした。

 だから燈子さんが中学に上がってしまい、一人で小学校に登校するようになってからは、学校までの道のりはひどくつまらないものになっていた。早く燈子さんと同じ中学に通いたいな、と思いながら小学校の最後の2年間を過ごしていたように思う。


 中学に上がってからは小学校よりも生徒数も増え、学年同士の差が大きくなって、学校内で燈子さんと会うことは極端に少なくなった。僕がサッカー部に入って忙しくなったこともあるし、思春期を迎えて「女の子」への接し方がよくわからなくなってしまったこともあり、自然と燈子さんとは疎遠になっていった。

 それでも部活の練習の合間、図書室の窓の近くに佇んで本を読みふける燈子さんを、練習で泥だらけの格好で眺めていたりもした。


 同じ学校に通えていたのは結局中学時代の一年間が最後になった。


 燈子さんは街なかの進学校に通うことになり、遅れて中学を卒業した僕はその学校とは反対方向の工業高校に通うことになった。


 朝、登校の際にたまたま鉢合わせることがあっても、お互いに軽く会釈をするくらいで、子供のころのように二人で話し込むなんてことはまったくと言っていいほど無かったように思う。


 燈子さんは高校を出た後、都内の大学に通うことになり、天野家を出ていった。引っ越しの前日は両家で「進学おめでとうパーティ」が盛大に催されたけど、なぜだか僕はひどくふてくされていた。


 たぶん寂しかったんだと思う。


 それに気づいたのは翌日、誰も乗らなくなった燈子さんの自転車が天野家の軒先に寂しげに置かれているのを見つけたときだった。その自転車と同じように僕も置いて行かれた気がして、その日の夜、僕は部屋で一人泣きはらした。

 燈子さんも遠くの街で一人、僕と同じように泣いているんじゃないか。ふとそう思った時、初めて僕は彼女をずっと好きだったことに気がついた。


 燈子さんを追いかけて彼女のいる街まで行けたらいいのに。

 そう思ったりもしたものの、ただの高校生でしかない僕はもやもやとした気持ちを抱えたまま高校生活を過ごすしかなかった。


 高校を卒業し近くの板金工場に就職した僕は、そこの事務員をしている女の子と付き合ったりしてみたけど、なにかが違う気がしてすぐに別れてしまった。仕事自体は自分に合っていたのか、黙々と溶接をしたりするのは楽しかった。無心になってできるだけ奇麗に金属同士をつないでいる時は、頭の中が真っ白で穏やかな気持ちになれた。


 仕事にも慣れて後輩もでき、工場の中でもそこそこの立ち位置になってきた頃に、母親から燈子さんが結婚する、という話を聞かされた。相手は大学時代の同級生らしい。家のすぐそばの神社で神前式を挙げることになり、僕も式に招待された。


 結婚式当日は良く晴れた日だった。


 家を出る前に天野家の両親と燈子さんがうちに挨拶に来た。


「本日はよろしくお願いします」


 そう挨拶する燈子さんの顔はその日の天気のように晴れやかで、いままで見たことがないような喜びの表情だった。

 こんなに明るい人だっただろうか。いや、そもそも僕は燈子さんをどこまで知っていたのだろう。彼女の人生のほんの最初の一部分しか僕は知らないということを、いまさらのように思い知らされた。


 スーツに着替えて神社の境内に集合し、皆で花嫁の登場を待つ。


 白無垢をきた燈子さんは、少し俯き加減でゆっくりと歩いてくる。その表情は少し緊張しているようにも見えたけど、静かに、そして穏やかに薄くほほ笑んでいるさまは、僕の記憶の中にある燈子さんそのものだった。


 ふいに、ざあ、と音がして日差しの中を水滴が舞う。


 天気雨、狐の嫁入りだ。


 僕は燈子さんから狐の嫁入りの話を聞かされたのが、まさにこの神社だったことを思い出した。穏やかに薄く微笑む、色白の顔。彼女のことを好きになったのは、その瞬間だったのかもしれない。


 雨で濡れそぼる境内を、しずしずと花嫁行列が進んでいく。滴る新緑の木立に、目も覚めるような朱色の和傘が彩りを添える。木々の緑色、和傘の朱、そして白無垢の純白がコントラストを描き、天気雨が全てを調和させる。


―――――それはとても美しい光景だった。


 僕はその光景をまばたきもせずに目に焼き付けながら、いつの間にか涙をとめどなく流していた。


 狐の嫁入りで雨が降るのは、誰かが泣いているからなのかもしれない。静かにほほ笑みながら歩む燈子さんを見つめながら、僕はそんなことを考えていた。


 つかの間の天気雨が去ってゆく。再び強度を増していく日差しの中、そこには鮮やかな虹が生まれていた。

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