うどんの虫

@fukk

うどんの虫

 虫は旅に出ようと考えていた。この地域は都市開発が進み妙に住みにくくなってしまったのだ。虫には生まれてからずっと通っているうどん屋がある。自然と体はそこへ向いた。


虫には嫌いなものが3つあった。理由とともに紹介する。



1、感傷主義(センチメンタリズム)な人間。


 虫は眉を顰め、小さな声で言った。

うどんには塩分と加水率が決まっている。武蔵野うどんの塩分は高く加水率は低い。武蔵野うどんに限ったことではないけれど職人がその日の湿度や気温を見ながら粉を練っているんだ。美味しさのあまり涙されて味に影響が出ても、迷惑だろう。


2、白米至上主義な人間。


 虫は目を細め、椅子に深く腰を掛け、言った。

うどんは基本的にうどん粉と呼ばれる中力粉でできている。混乱しないように言っておくけど中力粉も小麦粉だよ。


武蔵野うどんは全粒粉を入れることもあるから少し茶色っぽくなることもある。うどんの麺は太く、ごつごつとしていて、厚みも均一ではなくしっかりと存在感のある男麺だ。


白米は確かに美味しい。噛めば噛むほど甘みが出てくる。


けれど、その点で言えば武蔵野うどんも負けてはいない。加水率が低いということは麺が固くなるだろう。


そのことによって、半強制的に噛みしめて食べるという行為が生まれて、麺の力強いコシと小麦の優しい甘みが口の中に広がる。昔、武蔵野台地は米よりも小麦を生産する方が適している土地だったんだ。あんまり米にこだわりすぎるのも良くないと思うね。


3、出汁を一口も飲まない人間。


 虫は一旦呼吸を置き、手を顎にかけ俯きながら言った。

確かに、麺だけでも十分普通のうどんではないことが分かっていただけるだろう。汁に手を付けないというのも通な食べ方だと思う。


だけど、考えてみてほしい。麺に変態的にこだわっておいて汁になにも工夫をしないということがあり得るのか。それは否でしょう。


基本は鰹出汁を利かせた醤油ベースの甘辛い汁。そこに薬味、糧(かて)と呼ばれる具(ゆでた野菜や肉)が入る。肉は細切りにした豚肉で甘みのある油が汁によく合う。これは肉汁うどんとして提供されている。セットで天ぷらもついてくる店が多いよ。汁は温かく、麺は冷めたままざるに盛られている。


口に入れた瞬間、麺の小麦の香りと汁の甘しょっぱさ、豚肉の旨味を一度に楽しむことが出来る。とどのつまり、汁があってやっと武蔵野うどんの真骨頂に辿り着くというわけだ。最後に一口汁を飲んだ時、そいつが陰の健闘者であることがはっきりとわかるよ。



虫は反対に、うどんを美味しそうに食べる人間は好きだった。食欲を刺激されるからだ。


「うわ、こいつ麺に引っ付きやがった」


「いいじゃない、一緒に食べれば」


うどん、美味しいものね、と女が話しかけてくる。男の生暖かい息が強く身体にあたり、耐えられず手を離した。しっかりとうどんは口に含んでいる。もちゃもちゃと小麦の味を感じながら、職人の顔を一瞥し開いている窓から外に出た。


外は蒸し暑く、身体が焼けるように痛い。日陰に移動した。


食後に、自然豊かなこの土地を歩いてみるのもお勧めする。食べる前でもいい。まだ都会では見ることのできない風景がたくさん残っている。武蔵野うどんがなぜこんなにも美味しいのかが分かるかもしれない。


うどんを食べ終わると、虫はゆるゆると動き出す。トトロの森にあると噂されている虫の桃源郷を目指して羽を広げた。

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