終章
世界で一番ラブコメからかけ離れた男子高校生
憎くなるほどに澄みきった青い空の下、男子高校生はコンクリート壁に細長い背を預けていた。滅多に人を見ることのないこの屋上は、彼が好む場所の一つ。
右膝を立て、一方の左足は地に伸ばし、図書室で借りてきた時代小説を彼は黙読する。
「ここにいたのね、探したわ」
凛とした声が、彼の意識を本から上へと引き寄せた。しかし彼女へは目を向けず、
「探したという割には、苦労したようには聞こえないけど。たぶん秋月さんなら、ここはすぐにわかったと思う」
「それは私と同類だから、という意味かしら? 残念、私とキミは違う生き物よ」
「そっか」
佐久間はそっけなく返事をする。
燐は言われるでもなく佐久間の隣に立つと、臀部のスカートに手を宛がい、そのままそっと腰を下ろし、わずかに顎を上ると天空を眺め、
「佐久間くんの隣も悪くないわね。この落ち着きは私好みかも」
「ボクの隣よりかは、小清水くんの隣のほうが居心地はいいはずでしょ」
「別に蒼斗と比べてはいないわよ。蒼斗の隣も好きだし、ここも好み。それだけよ」
「ありがとう」
そうして両者の間に沈黙が流れる。しかし、居心地の悪そうな表情、仕草は決して示さない二人。
ふと、燐が独り言のように、
「鳴海愛依の件は先生に、それに企画委員のみんなに伝えといたわ。そのことを本人にも」
「鳴海さん、どんな反応した?」
「泣きそうな顔して、黙って受け入れてくれたわ」
燐は前に傾き、忍びに佐久間の顔を覗いて、
「勝手なことするなって、てっきり怒られるかと思ったけど。これでよかったの?」
「ボクは鳴海さんに何を言われようが嫌われようが、別にどうだっていいよ。ただ、もしボク以外の誰かがボクの立場だったら……って考えるとね」
「そうね。泣いて許されるなんて甘いものじゃないわ、彼女のしたことは」
そして燐は腰を上げ、
「雫玖とはどうなったの?」
「あの頃に戻っただけだよ。それだけ」
「佐久間くんはそれでいいの?」
「……、どうだろう」
「本当にそれでいいの?」
「出雲さんには出雲さんの世界があるから」
「……そう」
そよ風が黒髪を揺らす中、燐は目元に掛かった前髪を掻き上げ、
「キミがそう考えるのなら、私は何も言わないわ」
空気の流れに乗せるように、燐は儚く呟いた。
「さてと、そろそろ帰ろうかな。試験も控えてるし、今日から勉強時間を増やさないと。秋月さんも頭が悪いなりには、最低限の努力はしたほうがいいよ」
燐に続き、佐久間も立ち上がろうと地に手を付いた、その時だった。
「やっぱり私のこと、見くびってんじゃん」
燐とも違う女子の声が、佐久間の動きを遮った。
「出雲……さん?」
目の前で仁王立ちをする同級生。年相応の背伸びをしたように整えられた薄茶のショートヘア、続いて視界に飛び込む童顔気質な愛らしい顔。
どのクラスにも数人はいそうな女子、――――出雲雫玖は両手を腰に当て、腰を据える佐久間を前屈みで凝視し、
「もうっ、探したんだよ! 教室とか図書室とかいろいろ!」
ムスッと頬を膨らませ、雫玖はさらに身体を傾けて、
「それと私の気持ち、勝手に決めつけないでよねっ。あの女に嫌われたからって、それが佐久間から離れる理由になるのっ?」
「だって出雲さん、鳴海さんとは……? 憧れだって…………」
「あんなのもう友達でも何でもないし。それに憧れじゃなくて、反面教師ですから。たとえみんながあの女を持ち上げても、私はいつでもそっぽを向いてあげるんだからね」
「本当に、それでいいの?」
「いいよ、私が決めたことだから」
雫玖がそう宣言すれば、二人を傍から見守っていた燐はふっと顔を綻ばせ、
「雫玖は大物ね。私も雫玖を目指して頑張りたいわ」
「私だって燐を尊敬してる。もちろん、全部じゃないけどね?」
二人はしばらく顔を見合わせると、やがて笑い声をお互いに漏らした。
それを見た佐久間も人知れず口元を緩めるが、その拍子、
「出雲さん、前々から気になってたことがあったんだ」
「ん?」
「前にショッピングモールに行った時、八坂さんに会ったよね。その時に思ったんだけど、ボクたちの関係っていったい何なのかなって」
拍子抜けでもしたように雫玖はふわっと目を見開いたが、すぐに微笑み、
「そんなの決まってるよ」
そうして彼女は佐久間に右手を差し伸べて、
「私たち、友達でしょ?」
そっか……、佐久間は呟いた。
そして彼は雫玖の手を取り、その場を立ち上がり、
「これからもよろしく、出雲さん」
◆◇◆
ひょっとすると人というものは、『主人公』や『脇役』なるカテゴリーに分けられるのかもしれない。たとえば部活動の全国大会で大活躍する者、人にはないような密度の高い日々を過ごす者、はたまた幼馴染との恋に花を咲かせる者など――……、彼ら、彼女らをきっと『主人公』と呼ぶのであろう。だが一方で、たとえば勉学に青春の大部分を消費する者、特に何事もなく毎日を過ごす者、はたまた単なる友達作りが一大イベントになる者など――……、そんな『主人公』に添えられるような『脇役』が、この世界の多数派を占めているのが現実。
それはもしかしたら彼も例外ではないのかもしれない。彼は決して『主人公』などと呼ばれない。理由は幾分かあろうが、結局は彼を『主人公』と見なす者は少数派のはずだ。
だけれども。
長い黒髪を振りまいて廊下を歩くその男子高校生と対面した時、彼と出会った時から抱いていた一つの疑問を問いかけてみた。
「ねぇ、佐久間っていったい何者なの?」
すると彼は立ち止まり、頭の動きで空に黒のウェーブを描いたのち、手で髪を靡く。
――――だけれども彼は知っている、自分は『脇役』というカテゴリーにも括られるようなつまらない存在でもないということを。
私と過ごした時間の中で、その答えを導いたのだから。
『自分』を尋ねられた時、彼はこう返すと決めているらしい――――――。
「ボク? ――――ボクは佐久間導寿だけど?」
世界で一番ラブコメからかけ離れた男子高校生 安桜砂名 @kageusura
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