22.3

 朝霧に沈む吉田旧市街地の空気を、国道を走る救急車のサイレンが切り裂いて行った。

 時刻は午前六時三十分になる頃。日の出時刻は一応過ぎているものの、太陽はまだ中国山地の向こうに隠れたままで、昨晩までの嵐が振り撒いた雨粒が濃い霧となり街を覆っている。一日に二回存在する「境目の時間」の、丁度ひとつ目の時間帯だ。

 朝早い者たちは活動を始めているその時間帯、まだ視界は薄暗いが、深夜と明け方の辻見廻りをしている狐たちは既に巡回を終えていた。救急車が街の総合病院に入ってサイレンが止んだ少し後、一台の軽自動車が、のろのろと細い旧市街地を走る。

 新聞配達をしているその軽自動車は、視界の悪さも手伝って少し配達時刻が押していた。更には、運転手の体調もあまり良くはなかった。――その時、運転手の精神は「境目の時間」の魔力に呑まれていたのだ。

 住宅へ新聞を届けるため、軽自動車は旧道から、更に細い市道へ左折を試みた。毎日、何百回と曲がった辻である。ここ数日は曲がり角の手前に赤いコーンが立っていて少々目障りだが、それでハンドルが狂うほど道に不慣れなわけではない――はずだった。

 ガタン! と派手な衝撃が車に走り、車体がアスファルトを擦る嫌な音が響く。

「うわっ!?」

 ハッと夢から飛び起きたような心地で、運転手は車を急停止させた。どうやら、車一台分の道幅しかないクランクを曲がり損ねたらしい。後輪が片方、脱輪して空を掻いている。手前の赤いコーンはどうやら撥ね飛ばしてしまったらしく、横倒しになっていた。

 物音に気付いた近所の住人が、何事かと出て来て運転手の助けに入る。その者に車の尻を押してもらいながら発進し、軽自動車は難を逃れた。

「アンタぁ、大丈夫かい」

 手助けしてくれた近所の住人に問われ、運転手である老齢の男は頭を掻いた。

「いやあ、何とも思うとらんかったんですが、ほうつけとったらしゅうて。ありがとう」

 言って、男はそのまま軽自動車を出発させる。それを見送った近所の住人――こちらも老齢の男は、はてと首を傾げた。こうした軽微な単独事故は、はたして警察に言わずとも良かったであろうか。

(まあ、多少車の腹を擦っただけじゃろうし、本人がエエならエエんかのう)

 そう納得して、たまたま目に入った横倒しの三角コーンを起こしてやる。何の事情で置かれた物か分からないが、ここにあっては道の出入りに少々邪魔だ。

「ちぃと脇に除けといちゃろう」

 呟いて、男は赤い三角コーンを――美郷が作った辻封じの呪符を、辻から離れた場所に置いてしまった。

 辻の周囲から人の気配が消えた後。辻の真ん中にじわりと何かが浮かび上がる。

 霧が凝るようにして現れたそれは、辻の異界に閉じ込められていた鬼女面であった。



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撮って出し更新2回目。これにて一旦休憩です!!! 割と最低なところで止まりますが、次の場面は暗くないです。

ちなみに、調べると「単独事故でもその場で警察を呼べ」とのことです。

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鬼女の慟哭~クシナダ異聞~ 歌峰由子 @althlod

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