銀河鉄道の夜、を読んで

 他人のために死ぬことが自分にとって幸せだなんて可笑しな話だ。


 私には、カンパネルラは後悔でいっぱいのように見える。だから最後まで「分からない。」といっていたのだ。この物語で一番哀れなのはザネリだと思う。自分の不注意で川に落ちたはずなのに自分は助かった。そしてこの先一生カンパネルラを死なせてしまった罪悪感を背負っていかなければならないだろうから。


 思わず鼻で笑ってしまったのはあの青年と少年少女のシーン。私にはこの青年はエゴとナルの塊りだと思った。全身で「私はなんて良いことをしたんだ。」的なオーラを発している。二人の少年少女は青年に殺されたも同然だろう。ジョバンニはだから納得できずに、最後は怒ったように三人を見送ったのだ。「これが本当の幸いか。タダシやかおるこが可哀想なだけじゃないか」と。


 子供にとって幸せは、本当も何も、友達と沢山遊べて、家族と一緒にいられること。ただそれだけだ。


 孤独なジョバンニには何もない。学校では苛められる。母は病床で父親は不在。そして自分には嫌でも家族を支えなければならない使命がある。ジョバンニは現実を分かっている少年だ。父親が悪いことをして監獄に入っていることを本当は知っていたんじゃないかと思う。そんな彼が唯一心の支えとしているのがカンパネルラだ。


 ジョバンニに現実は厳しく孤独なものだった。だから幻想である銀河鉄道でカンパネルラと一緒にどこまでも行きたかったのだ。たとえそれが死に向かうものでも。


 私の最大の疑問。何故カンパネルラはどの駅にも降りなかったのか。何度も読み返して一つの答えが頭に浮かんだ。カンパネルラは本当の幸いを信じて、自らを犠牲にして死んでゆく。銀河鉄道は、死の旅への電車だ。


 銀河鉄道の行き先は自らが決めることが出来る。普通の人間なら“南十字”のような、神々しい白いきものを着た人のもとへ行く。そこが銀河鉄道に乗る人間にとっての行き着く場所だからだ。だがカンパネルラは降りなかった。その時点でカンパネルラは本当の幸いだとおもわれるもの(他人のために死ぬこと)を否定したようなものだ。それでカンパネルラの旅は終わるしかなかったのだと思う。そこからカンパネルラの死者としての孤独が始まったのだ。だから最後の場面で涙を流したのだ。そして唯一の救いである天上の母しか見えなかったのだ。その先にカンパネルラが向かうのが、本当に母のいる場所なのか、また別の、新たな銀河鉄道なのかは私には分からない。どちらにしろカンパネルラの魂は成仏しないと思う。


 一方、ジョバンニにとってはカンパネルラと本当の幸いを見つけるんだという決意を持った時点で、そこからが旅の始まりだったのだ。未知なる銀河鉄道の旅の続きのはずだった。だがカンパネルラは消えてしまった。ジョバンニは生者だからカンパネルラと同じ孤独を共有することは出来ない。ジョバンニにとってはカンパネルラがいない旅の続きをすること、つまり現実で生きることとなってしまった。


 結局、ジョバンニの抱える孤独は銀河鉄道に乗る前も、降りた後も何も変わらなかった。しかし変わったこともあった。母のための牛乳を手に入れることも出来たし、父親も帰ってくることを知った。母親に牛乳を渡し、父親の帰郷を知らせる使命を果たさなければならない。ジョバンニにはそれが現実だった。厳しい現実から離れて、求めていたカンパネルラと幻想の中で生きようとしたジョバンニは、結局拒否される。そして嫌でも現実を生きなければなれないことを確信したに違いない。


 そして彼に残された使命は「本当の幸い」をカンパネルラに代わって現実に生きて探すこと。それは多分彼にとっては再び孤独の始まりかもしれない。でも私には、ジョバンニは銀河鉄道から戻ってきて、少しだけ強くなったような気がしてならない。



―18歳の時に書いた読書感想文より。

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400字詰の小宇宙 宇宙音 @tsurusawa22

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