【1】〝死〟のそのまた向こうへ

 二年と七ヶ月。予想してたより少し早かった。


 999回を数えた日。あの洞窟へと舞い戻る為に、二人はどちらともなく旅の準備を始めた。

 外出の際にはいつも持つようにしていた革袋は、ボロ小屋に置いてきた。もう、儀式の後のおやつなど必要ないのだから。


 前に来た時よりも、明らかに口数の少ない二人。お互いの心の内を知ってか知らずか、黙々と前へと進む。


 そして、洞窟に辿り着く。あの死神が、ニタニタと二人を待ち構えていた――――


 


「――――やぁ、おかえり。待ってたよ」


 死神が笑う。心底愉しそうに。


「お望み通り、終わらせてきた。これでいいんだよね?」

「ああ、バッチリさ。次に死ねばちょうど1000回、楽しかったかい?」


「ああ、反吐が出るほど楽しかったぜ。おら、とっとと殺せよ死神」

「ふふふ、いいよ? さくっとってあげよう」


 死神はあの時と同じく、身の丈を超す大鎌を構えた。


「ふぅ、やっとかよ」


 アリシアは鎌を凝視して言った。僕はそんな彼女の横顔を見る。


 綺麗な顔だ、と思う。それに、彼女のさっぱりとした性格、大雑把な行動、その全てに僕は惹かれていた。


 最後なんだから、告げるべきかな。いや、最後だからこそ、告げないべきかな。


 女々しくて意気地がない僕は、死ねない日々の中で芽生えたこの思いを、最後の最後まで持て余している。


「痛みは無いよ。さぁ、逝ってらっしゃい」


 死神が言う。慈悲のような憐憫のような、静かな口調で。


 鎌が威圧感を増していく。999回死んで来たから、分かる。あれはもう、触れただけで死ねる代物だ。


 事ここに至って僕はようやく、自分は今から死ぬのだと意識できた。もう、身代わりになる命は存在しない。体に悪寒が走り、ぶるぶると震えだす。


 多分、アリシアも同じだったんだろう。彼女の唇が、小さく震えている。


 そして、声なき声で呟いた。

 

 『怖いよ』って。


「……大丈夫、怖くないよ」


 僕はアリシアの手を握った。思えば、自分からアリシアに触れるのはこれが初めてだ。彼女は目を見開いた。


「僕がいる。僕はずっと君と一緒だ。だから、怖くないんだ」

「フェロー……俺と一緒に地獄に来てくれるか?」


「もちろん。惚れた女の子の為なら、ね」

「……そっか。それじゃ、地獄でもよろしくな」


 アリシアは笑う。僕も笑う。お互いの目尻から涙が伝う。ぎゅっとぎゅっと、温かい手を握り締める。

 鎌が、振るわれる――――



「――――はい、おはよう」

「……………………は?」


 そこにいたのは、天国に舞う天使でも地獄に蔓延る悪魔でもなく、ついさっきまで目の前にいた死神だった。


 体を起こして見回すが、さっきの洞窟だ。何も変わっちゃいない。


「……んぅ?」


 と、僕の横から声。アリシアだ。


「フェロー……ここ、地獄かぁ……?」

「残念、ここはつまらない現世だよ」


 僕達を地獄に叩き込んだはずの死神が、とぼけた声でそんな事を言う。


「……つまり、僕達は死んでない?」

「こうして生きてるんだから、そりゃ死んでないでしょ」

「いやいやいや、俺達さっき1000回目の死を」

「最初に言ったよね。1000の命をあげた、って」


 死神がにたにたと笑う。相変わらず訳が分からないけど、なんとなくその顔をぶん殴りたい。


「つまり、元からあった一つの命を加え、君達には1001の命があったわけですね? そこから1000を引いたら?」

「……1」

「大正解! これで全部終わり、って思った? 残念でした~」


「なんで、こんな……?」

「言ったはずだよ。死にたい人を死なせるのは、つまんないって」


 悪戯がばれた子供のように、死神は笑う。


「誤解されがちだけど、死神は〝生〟と〝死〟を司る神だよ? 分別くらいは弁えるさ」


 そして、死神は言い放つ。さっきまでのおどけた振る舞いが嘘のような、氷のように冷え切った眼差しで。


「くだらない〝死〟は見飽きたんだよ。もう二度と来るなバカが」


 ふっと、煙のように消える死神を見て、僕は悟った。


「……僕達は畏れ多くも死神様に、生きる事の素晴らしさを体で教えてもらった、って事になるのかな」

「何だそりゃ」


 生きる事がイヤになって死に〝逃げ〟ようとしてた。なのに、その死を美化しようとして、あろう事か死神様を利用しようとした。

 それはきっと、この上ない〝死〟への侮辱だった。あんな誰も得をしない罰ゲームをさせられる程の。


「……さて、と」


 何にせよ僕達は、たった一つの命しか持っていないただの人間に戻った。だからこそ、訊かなきゃ。


「ねぇ、アリシア。死にたい?」

「………………、……いや」


 たっぷり考え込んだ後、アリシアはいつになく真面目な顔で言う。


「なんか説明しづらいけど……もうちょっと生きてみたくなった、かな」

「奇遇だね、僕もだよ」


 僕達は笑い合う。あれだけ死にたがってたくせに何とも情けない話だけど。

 けどまぁ、これが人間として普通なんだから、いいよね?


「さぁて……帰るか! 1000回死んだ俺達にはもう怖いモノなんかねぇぜ!」

「うん……と言いたいとこだけど、もう次は死ねないんだ。不死じゃなくなった事が周りにバレるのも怖い。ここから遠い新天地で一からやり直すのが無難だね」


「そっか、それもそだな。金はある程度あるが、働き口も見つけねぇとな」

「それだけど、料理屋とかどうかな? 僕の料理、それなりでしょ」


「お、いいなそれ! サラダは俺に任せろ!」

「はいはい、頼んだよ」


 当然のように彼女は僕についてくる気らしいし、僕も彼女がいるのが当たり前だと思っていた。今さらそこを確認する必要もない。

 生と死を共有した相棒、あるいは〝死〟を冒涜した共犯者。それでいい。これ以上の関係性なんて、望まない。


「……そういやフェロー? さっき言ってたよな、俺の事を惚れたおん」

「はいはい、行くよアリシア。早いとこ出発しないとまた死神様に怒られるからね」

「あ、おい、ちょっと待てって! 俺の幻聴なんかじゃねぇよなぁアレ!?」




 

 きっと、この先に待ち受けているのは修羅の道だ。死後の世界にあるというそれよりも、遥かに血生臭い現世の地獄。


 けれど、修羅の道だろうと道は道だ。まだ、続いてる。ならば歩いていこう。


 彼女が隣にいれば、どこまでも行ける。そんな気がするから。

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不死人のコンチェルト 虹音 ゆいが @asumia

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