正義信仰
きくらげ二等兵
第1話 へいおん
「らっしゃーせぇ、こんちわぁ」
私は何度と繰り返したか見当もつかぬ決まり文句を口にした。
幾度も繰り返されたその言葉はすり切れたビデオテープのように本来の鮮明な発音は失われていた。
ピンポーンピンポーンと自動ドアが客の来訪をしつこいほどに伝える。
軽くノイローゼになりそうなほど聞き飽きたその音は、何度も続いた。
私はその度に決まり文句を吐く。
ただただ、機械のように。
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
私がこのようなお手本のような挨拶をしていたのは、今は昔の話である。
まぁ、もともと活舌が良い人間ではないというのも事実である。
だが、コンビニアルバイトとしては何も珍しい話ではない。
店内に響く接客用の挨拶に耳を傾けている客なんて稀有であろう。
結果として求められるのはレジ対応のみであるといっても過言ではない。
日々、訪れる客も仏頂面の常連客ばかりである。
彼らは飽きもせずに、毎日同じ煙草を一つだけ買いに訪れるのだ。
時に贔屓の煙草が欠品している場合、鬼神のごとく、あるいは烈火のごとく激怒する者もしばしば。
そんなときは…
「申し訳ございません。」
この魔法の言葉は大体いかなる時にも炸裂する。
気のよさそうな老婆にも、ヤニに頭を侵されつくされたであろう爺にも効果はある。
ここで例に高齢者を挙げた理由は謝罪を往々にして求めるのは高齢者ばかりだからである。
そして、日々コンビニに常連として訪れる客も半数ほどが高齢者である。
少子高齢化をこうも肌に感じたのは皮肉にもコンビニでバイトを始めた大学生になってからであった。
無理もない。
何故ならば大学以前の教育、つまりは学校教育においては教師以外、同世代以外との関わりはほぼ存在しえない。
まぁ今思い返してみると教師陣も高齢化が進んでいた事実には目を向けるべきだったかもしれない。
だが、初等教育、中等教育において社会に対して疑念の目を向けるマセたガキなどほとんど存在しない。
仮にいたとして、そのガキが周りからみて異端として排除されるのがオチだ。
だが、社会とは不思議なもので最終的に成功者として名を残すのは大体『異端』とされる存在である。
『異端』として扱われる覚悟のある者が只者でないのは事実だが、大衆に溶け込むその他大勢、あるいは『模範』と呼ばれる存在は社会に出た瞬間にその価値を失う。
いざ、就職活動において重要視されえるものは、アイデンティティ、個性、主体性等々だ。
学生生活を送る上では不必要、寧ろ邪魔であった存在が二十そこそこになって突如必要とされる。
まさに社会とは個性的で、滑稽だと言わざるを得ない。
しかも、単に個性的であるだけで尊重されるわけではない。
その『個性』にも高貴、下賤と暗に社会は判断している。
また、その基準も時代によって変遷し続けている。
そして、私の個性的な接客の挨拶は残念ながら、下賤と判断されている。
毎度のように注意されるものの特にペナルティがあるわけでもない。
故に直す必要もない。
そう判断できるのが私にとっての自由主義的な社会の利点であった。
だから、私は
「申し訳ございません。」
この魔法の言葉をその度に機械のように繰り返すのだ。
さて、アルバイトも終わりの時刻が近づいていた。
「トイレ掃除行ってきますね。」
「了解。いってらっしゃい。」
同じシフトに入るおばさんに声をかけ、私はトイレ掃除へと向かう。
特に汚れた様子は見当たらず、軽めに掃除を終える。
日に何度もトイレを掃除しているコンビニでは酔っ払いやホームレスが来店しない限り、酷く汚れたり、整備を必要とすることは無いのだ。
さて、トイレ掃除を終えると先ほどまで居なかった客が大量発生。
おばさんは一つのレジで何人もの人が並ぶ列を相手にしている。
私は慌てて制服を着て隣のレジを開放する。
トイレ掃除のときは制服を脱がなければならない。
この今までは何とも思っていなかった規則が今ほど不快に感じたことはない。
いや、同じことがあればまた感じるのだ。
きっと今までにも何度もあっただろう。
いつだって、不幸はしたり顔で私たちにすり寄ってくる。
しかし、悲しいかな、人間は喉元過ぎれば熱さを忘れる。
目の前から不幸が消えればそれで満足なのだ。
「嫌なことは忘れられない」
そんな言説もあるが、大したことない不幸など小さな幸福より忘れるものだ。
でも、今この瞬間においては、私にとってこれ以上の不幸は存在し得なかった。
「二番目でお待ちのお客様、どうぞ。」
相も変わらず仏頂面の客がのそのそと移動する。
「セブンスターソフト」
コンビニで働いてわかったことが幾つかある。
まず、日本の少子高齢化が思っていたより深刻であること。
次に、コンビニに訪れる客はほとんど単語でしか話さないこと。
最後に、ヤニが切れた親父は非常に機嫌が悪いということ。
私の目の前の親父も例に漏れず、不機嫌であった。
千円札と十円玉をカウンターに投げる。
十円玉は多少転がり、私の目の前で何とか止まった。
転がってカウンターから落ちたとしてもきっと私のせいにするのだろう。
ともかく、この客を捌かねばならぬ。
こういった類はレシートを要求しない。
早急にお釣りを返すことが求められる。
したがって、自動レジから排出される小銭、一つしかない五百円玉を差し出す。
客はこれまた不服そうに受け取り、のそのそと帰る。
彼が毎日不機嫌そうに時間を浪費して、一つずつ律義に買う理由は私にはわからない。
だが、きっと彼にも理由があるのだろう。
少なくとも、私は時給を受け取っている身。
文句を言わずに業務に勤しむしかない。
そう、例えるならば工場のロボットのように。
コンビニのバイト程度には個性を必要とされることもない。
幸か不幸か個性の乏しい私にはぴったりな職場であった。
「ごめんね、春ちゃん。」
「いえいえ、ではお疲れさまでした。」
十分ほどすれば客はほとんど捌けた。
故に私は今度こそ帰る準備をする。
それまでの間に客が混雑することもなく無事帰路につく。
アルバイトが始まる前は明るかった空が嘘みたいに暗い。
嫌味のように綺麗な星が夜空を彩る。
今日のような日にスポーツをしたらどれほど気持ちよかっただろうか。
そんな妄想をほどほどに、夜道をダラダラ歩く。
秋という季節が始まって間もないのに異様な寒さが私を襲う。
北海道在住という地理上の弱点を恨む。
生まれてこの方、修学旅行以外で津軽海峡を渡ったことは無い。
冬に雪が積もらない地域があるということはにわかに信じがたい。
ともかく、秋晴れというに相応しい一日であったことは明白だ。
こんな日には、キャッチボールがしたかったものだ。
女子でキャッチボールを好む人間は私以外、他に知らない。
でも、好きなものは好きなのだ。
私は如何にもといった女子ではない。
大学生にもなって化粧一つしていない。
着ている服はスポーツブランドばかり。
私は、イケてない女子そのものだ。
だから、私は高校時代、日々バドミントンに時間を費やしたのだ。
だが、大学生になってからはさっぱりである。
大学にまで入って全力でスポーツに打ち込む気はなかったのでサークルに入った。
だが、私の入ったバドミントンサークルは所謂『飲みサー』であった。
だから、バドミントンをやった記憶など最初の数回しかない。
故に、自然と私はバドミントンサークルを辞めたのだ。
酒は飲めないことは無いが、別に飲みたくもない。
まして、アルコール中毒の人間と飲む酒ほど不味いものはないのだ。
酔わない体質というのも困ったものだ。
同じくバカになれるのなら飲み会も楽しいかもしれない。
だが、私は何時までたっても冷静で、目の前の人間たちは次第に奇行に走る。
常に、他人のケツを拭かねばならぬ状況を想像してほしい。
自ずと、彼らから距離を置くことは自然であろう。
夜道には思っている以上に人がいる。
それは、この近辺が飲み屋街の比較的近くだからに他ならない。
『五稜郭』と聞くと観光地を思い浮かべる人が多いかもしれない。
それは間違いではない。
だが、地元の人間にとって五稜郭とは時に、歓楽街を指す。
中核市ながら、少子高齢化の著しい地方都市、函館の数少ない娯楽の場である。
そんな五稜郭には若い酔っ払いも居れば、中年の禿げた酔っ払いも居る。
酔っ払いのイロドリミドリといった地獄絵図は大体毎日広がっていた。
もちろん、バイト先のコンビニも時にしてこういった酔っ払いであふれる。
彼らが上機嫌なのは非常に結構なことだが、私たちは幾度も辟易させられている。
ふと、道の端に目をやると傍らの石ころが彼らの吐しゃ物で彩られていた。
これもまた一種のアートと言えなくもないかもしれない。
だが、私はそんな主張をするクソッタレが現れないことを願った。
そして、明日の朝には誰かが掃除してくれることも願った。
きっと、日本だとそれは現実になるのだろう。
公衆衛生という点に関しては日本に生まれて本当に良かったと思っている。
それは私が軽く潔癖だからでもあるのかもしれない。
一種の恥辱にまみれた道を抜けると閑静な住宅街に出る。
先ほどまでの喧騒は虚実であったかのような静寂が広がる一帯には活気がない。
部屋に明かりが灯されている家も数えるほどしかない。
暗闇に閉ざされた住宅街の実体はその殆どが空き家である。
残りの少しは、早寝のお年寄りといったところであろうか。
少なくとも、近所に同年代が走り回っている姿は見たことがない。
しばらく歩くと、いきなりパステルカラーの色合いが目に入る。
私の隣家は壁塗りのたびに度肝を抜く彩色を施す。
今はミントグリーン、その前はパステルピンク、さらにその前はパッションオレンジ。
噂によると元自衛隊幹部の旦那さんがいるらしい。
その旦那さんを見かけたことはないけれど。
ごそごそと、カバンを漁る。
本来あるべき場所にキーケースは存在しなかった。
コンビニに忘れてきてしまったのだろうか。
いや、違うポケットに入れているのだろう。
探してみると、案の定あった。
鍵穴に差しこむと、鍵は少し硬くなっている。
自分よりは年下の家だとしても、ある程度年期は入っているものだ。
そういう意味で言うと、人間とは案外長持ちするものだ。
二十年、存在しても青二才扱いだ。
ガチャリとドアを開ける。
私を迎えるのは暗闇のみであった。
父も母も寝室で枕を唾で濡らしているに違いない。
父が犬アレルギーであるため、玄関で愛犬が迎えてくれもしない。
私は意外と少女趣味だったりもするのでワンチャンを飼いたいと思っていた。
しかし、無理を通す訳にもいかない。
ファザコンというやつでもないが、親に無理を強いるのは酷なことだ。
少なくとも、私が大学に通えているのは父が働いているから。
恩人ともいえる存在に、我儘を言うほど私は幼くなかった。
居間に足を踏み入れると意外と部屋には温かみが残っていた。
それは、我が家の密閉性が高いからであろうか。
お天道様の恵みのおかげだろうか。
そのどちらともであろう。
私は朝シャン派なのでサッサと部屋着に着替えてしまう。
使い古されたタンスは角が丸みを帯びていた。
少し引っ掛かりのある感覚を無視しながら引き出しを引く。
中にはネットで買ったばかりのパジャマがあった。
しかし、タグをとるのが面倒なので使い古しのパジャマを着る。
いったい何時になったらおニューの服を着るのか。
それは私にもわからなかった。
「おやすみぃ」
だれに言うでもなく眠りにつく祝詞をささげる。
きっと同年代と比べれば眠るには早い時間だろう。
だが、無意味に睡魔と戦う必要性も感じない。
私はただ、凡庸に欲望のままに生きるのだ。
ふと気が付くと、眩しい。
最近、眩しさを感じると自ずと起きてしまう。
日の出を迎え、間もなく目を覚ます。
それの繰り返しだ。
目覚めは悪くないので、すぐに布団から出る。
私の部屋は並みの人程度には掃除している。
だから、足元にあるゴミを踏んで躓くということもない。
がたん、と隣の部屋から音が聞こえる。
きっと両親のどちらかが起きたのだろう。
あるいは、そのどちらもといったところだろうか。
「おはよう。」
「「おはよう。」」
壁越しに挨拶を交わす。
それぞれ、直ぐに部屋から出るわけではない。
でも、挨拶を交わすのは人として当たり前のことだ。
チュンチュンと雀が朝を知らせる。
私は朝の到来など、とっくに承知しているが心地よさは感じる。
ふと、スマホを手に取り通知を確認する。
メッセージアプリの通知が数件あった。
その半分は公式アカウントからのメッセージだ。
だが、もう半分は友人からのメッセージだ。
送られてきた時間を見ると深夜、いや早朝の四時であった。
私は朝の四時に起きるかもしれないといったレベルなのに…
私はそんな風に思いながら、とりとめのない返事を返す。
こういったメッセージアプリの会話など大したことないのだから真面目に返す必要はない。
一通り返事をし終えると、私は着替え始める。
高校時代からお気に入りの水色のウィンドブレーカーを身に纏う。
その水色はかつて買った時と比べると色あせている。
そして、ポケットの辺りの縫い目もすこしほつれかけている。
でも、私の青春時代を共にしたこのウィンドブレーカーの傷みは勲章だ。
私は勲章を身に纏い、二階の自分の部屋から一階へと降りる。
テーブルの上に乱雑にまとめてあるワイヤレスイヤホンを手に取る。
電源を付け、スマホとつなげる。
音楽は最近流行りのアニソンをかける。
ランニング用の靴を手に取る。
ここまでは毎朝の一連の動作である。
変わったことといえば最近、靴紐を変えたことくらいだろうか。
『ほどけない靴紐』という商品だったが、本当にほどけていない。
こんな便利な靴紐があったならば、もっと前から利用すべきだったと思っていた。
でも、私がこの便利な靴紐に出会ったのは部活を辞めた大学時代なのである。
とはいえ、これでも元運動部のはしくれだ。
未だに朝のランニングを日課としている。
だが、日に日にタイムが落ちているのには目を瞑りたいところだ。
玄関を出ると、気持ちよい朝…というわけでもなかった。
晴れ間は何処にも見当たらず、真っ白なよどみが空を覆っている。
ぼんやりと朝靄もかかっている。
昨日の幻想的な夜空は私の意識とともに消え失せたらしい。
兎にも角にも果たすべきことがある。
家の前、つまりは駐車場の部分で軽く足を伸ばす。
準備運動とは思いのほか大事である。
以前、私がバドミントンに汗を流し続けていたころ、それを思い知った。
アキレス腱を切った彼はバドミントン部の外部コーチであった。
「バチン」
伸ばし切ったゴムパッチンを真ん中で裁断したかのような破裂音が印象的だった。
「あぁ、確かにアキレス腱は『切れる』ものだ」
そう感じたものだ。
彼は確かに青年とは呼び難い年齢であった。
だが、日々運動を欠かしている様子の無い彼がアキレス腱を切った。
その厳然とした事実は私に準備運動を必須のものと印象付けた。
その日、確かに彼はいつもしていたはずの準備運動を怠っていたのだ。
つまりは、そういうことなのだろう。
アキレス腱を十分に伸ばした後、私は五稜郭公園に向かう。
五稜郭公園とは世間一般が思い浮かべる『五稜郭』のことである。
かつて、箱館戦争の舞台となったそれである。
血塗られたであろう戦場の跡地は今や桜の名所として名を残している。
桜の木の下には死体が埋まっているという都市伝説は、この五稜郭において、そこまで想像に難くない出来事である。
しかし、彼らの夢想した『蝦夷共和国』の跡地は現在も形を残していた。
彼らの夢は叶わずとも、彼らが夢描いた痕跡は観光名所として残っていた。
それだけではない。
私のような一市民が日ごろ利用する公園としても存在するのだ。
五稜郭公園は花見会場かランニングコース。
それは住民の一般的な見解であった。
かくいう私も、毎日のようにランニングコースとして利用していた。
特に理由はない。
ただ、何となく、だ。
レガシーを感じるとか奇々怪々なことは言わない。
近辺の道を走るというのも一つの手ではある。
だが、如何せん函館は道を走る車のマナーが非常に悪い。
歩行者優先という前提を知らないのではないかと思うほどである。
横断歩道を渡っているときに肝を冷やしたことは一度や二度ではない。
さて、五稜郭公園に近づいてきた。
五稜郭公園の近くには五稜郭タワーというタワーがある。
東京スカイツリーのように異様な高さを誇っているわけではない。
だが、タワーの展望上からみる春の五稜郭公園の優美さは別格だ。
かの有名な星型を桜色が彩る。
函館と聞くと夜景を連想する人が多いだろう。
だが、桜の名所でもあるのだ。
そして、市民にとっては桜の名所としての五稜郭の方がなじみ深い。
春になると、大学生や中年の花見という名の飲み会で一層騒がしくなる。
春とは、この少子高齢化に悩む函館すら活気づけるのだ。
元来、春とは物事の始まりを象徴し、喜びによって彩られるものだ。
―私には似合わない季節だ―
波野春。
それは私の名前だ。
春のように明るさを呼び込む子であってほしい。
そう願われて天より生を承った私。
人間の願いなど無意味であることの象徴と言えるかもしれない。
根暗、それが無難な私の性格に対する評価だ。
少なくとも、私は春のように他人に『暖かさ』は与えられない。
『正義』とか『思いやり』とか、皆ほど自分にはなかった。
だからこそ、自分がない。
そういった類は常に他者に委ね続けてきた。
今現在だってそうだ。
私は空っぽ。
だから、何色にも染まれるし、何だって出来る。
ジトっと額に汗が感じられるほど走っていると、日差しが多少差し始めた。
一面にわたっていた雲も風によって流され始めた。
雲を流す風は私の肌も刺してくる。
これ以上走ると、汗が冷えるかもしれない。
そう感じた私は、この辺で帰宅することを決意した。
帰り道を走っている間は、ドンドン晴れ間が広がっていった。
空を完璧に覆っていた白いよどみはその面積を半分ほどに減らしていた。
見慣れた玄関が私を迎える。
今朝は、流石に居間に人影がある。
父も母も居間へと降りてきたようだ。
「今日は大学、何時から?」
「あー今日は午後からかなぁ。」
「相変わらず良いご身分だな、大学生ってのは。」
父の嫌味に思わずムカッとしてしまう。
さほど、悪気があるわけではないのだろう。
だが、彼が私以外の同年代の父であれば、きっと口一つ聞いてくれなくなるだろう。
「あはは、まぁこれでも私、大学生の割には忙しいからさ。」
「そんなもんか。」
会話はここで途切れる。
仲が悪いからとか、そういうことではない。
ただ、話すことがなくなっただけだ。
沈黙になって気まずくない、それが本来の信頼の証だ。
中途半端な仲の人だと、思わずとりとめのない話をしてしまう。
だが、父に対してとりとめのない話をする必要はまるでないのだ。
彼との仲が自然消滅することはあり得ないのだから。
彼は早々に朝食を食べ終えていた。
「じゃ、いってきます。」
「いってらっしゃい。」
父は中年男性らしく新聞を目にすることもなく出かけて行った。
意味もなく積み上げられた経済新聞はせいぜい掃除道具にしかならない。
「ピーポーピーポー」
救急車の音が遠くから聞こえてくる。
「最近、多いわね。」
母がぼそりと呟く。
如何にも心配な素振りをして、私の方へ意見を求める。
「函館にはお年寄りが多いからね。ぶっ倒れる人も多いし。」
「救急隊員の人も可哀想にねぇ。」
「でも、仕方ないよ。人ってのは死ぬもんだからさ。」
「冷たい事言うのね、春。」
母は私が心無いかのように蔑んだ視線を送ってくる。
しかし、彼女のように心配する素振りを見せて人が助かるのだろうか。
私が見ず知らずの年よりを心配したところで得るものなど何もない。
「・・・そうかな。」
ここで会話は途切れる。
父との会話とは異なり険悪な空気をまき散らしながら。
互いに言葉を交わすこともなく、私は自分の部屋へと引き上げる。
悪い気分を誤魔化すのに、漫画ほど便利なものはない。
私は所謂腐女子なので、ボーイズラブコミックを好む。
特に理由はない。
好きなものは好きというだけである。
きっと母も綺麗ごとが大好きなのだろう。
それに一切罪はない。
ただ、私が嫌いなだけだ。
特に理由はない。
嫌いなものは嫌いというだけである。
「ブブブ」
マナーモードであるため、振動のみが着信を知らせる。
私は新調して間もないスマホを手に取る。
非通知であるが故に相手が分かってしまうのも皮肉である。
「お疲れさまでした。カスミさん。」
「いえ、気分は晴れましたか?」
「それはそれは、朝靄のように」
「また、相談に乗りますよ。」
「では、またよろしくお願いいたします。」
一分にも満たない会話だった
「人ってのは死ぬもんだからね。」
私は電話の相手に『正義』を委ねている。
今朝、彼の『正義』の名のもとに人を殺めた。
そんな私の心を人はどう評するのだろう。
きっと空っぽだと評するだろう。
でも、少なくとも私の気分は朝靄の晴れ渡った空のように爽快であった。
正義信仰 きくらげ二等兵 @THKamijo
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