第44話 あおいろラスト(11) 最終話
九
頭の中は、もうたくさんだった。少し先のことを何度もなぞって、ひたすらそれを繰り返す。
終礼が終わったら、いよいよだ。式終わり、担任から一人一人へ卒業証書の授与が行われている中、俺はひっそりと唾を飲む。
教室は、どこかがらりとしていた。生徒は全員来てはいるけれど、掲示物もなにも一切が剥がされている。あるのは一部の女子の手によって為されただろう、黒板の桜の絵のみ。クラスメイト全員の名前が、桜の花びら一枚一枚に書かれている。
ついに卒業だ。式を行っていた時より、今の方が実感を持って思う。そうしていたらちょうど名前が呼ばれた。黒色の筒とともに卒業証書を受け取り、一言二言、担任の遠山先生からいただく。
席へ戻ると、
「なんだぁ、卒業できたんだね」
後ろから良太が俺ににやにやと囁いた。葵もそれを聞いていたらしい、頭を下げて髪で隠すようにくすくすと笑う。
「やればできる、ってのが腹立たしいよな」
「うんうん。本当に留年したら面白かったのに」
「はは、大雅が後輩か~。可愛くなさそうだな」
こう好き勝手言われると、反論しないわけにもいかない。
「あのな、俺だって二学期からはちゃんとしてただろ」
「二学期からは、ねぇ。職員室大好きなのは変わらなかったけど」
「……好き好んで行ってねぇよ」
終わったら、すぐに教室を出て、三組へ。周りの目はもう関係ない。あの秋の日みたく遠慮することもない。中庭かどこかへ呼び出して、あとは伝える。良太と葵と三人、話しながらも、描いたシナリオを頭で追う。
そのうちに、担任の遠山先生による総括があって、終礼が終わった。俺はとっくにまとめていた荷物を手に、すくと立ち上がる。
「なんだよ、大雅。急ぐような用事か?」
一歩を踏み出したところで、葵に捕まった。
「こんな日に焦って帰らなくてもいいだろ。そうだ、アルバムになんか書いてくれよ。卒業祝いのメッセージ」
にっと笑い、俺を席へと促す。
「急いでるから今度じゃだめか」
「絶対書かないことくらい分かってんだよ、何年の付き合いだと思ってるんだ。それに、俺にも事情があるんだよ」
「なんのだよ」
「いいから、ほらペン。あぁ赤もあるけど使うか」
「……黒でいいよ」
半ば無理に持たされたペンのふたを取る。とはいえ、見られていたら書きづらいもので、葵のアルバムを自席に持って行き思案する。それまでまるで考えていなかったから、なかなか言葉が出てこず焦りも重なって初めに落とした位置からペン先が動かない。
さすがは人気者の葵だ。そうしているうち、周りに人が寄ってきて、おのずと俺の周りも囲われる。彼らもまたアルバムを広げて、それぞれにメッセージをなんてやり始めたから、おちおち抜け出せなくなった。
どうしたものか、思っていたら、胸ポケットに入れていた携帯が鳴る。一言書いてから取り出して見ると、渡辺さんからだった。
色々計画は狂ったけれど、今度こそ行かなければ。葵の表情を伺う。
「なんだ、トイレか? 行ってこいよ。荷物は見ててやる」
「大雅のアルバム貸しといてよ。僕もなにか書いとくね」
やっぱり葵には全てを見通されている気がした。良太は、たぶん分かっていない。
教室を出る。うちと同じように、人がそれぞれ集まっている他クラスの横、渡り廊下と半ば走り気味に別棟へ。
重い扉を開けつつ、いつか、紙切れ一枚を失くして焦って取りに来たのを思い出した。
あの時、出会った彼女を今は失いたくない。
やはり人は誰もいなくて、空気が乾いていた。足音を確かめるように、一歩一歩進む。その長い廊下の真ん中、渡辺さんは壁に背中をもたれかけて佇んでいた。
「……少しくらい急いだっていいんじゃないの」
こちらに気づいて一瞥をくれる。
「別棟入るまでは急いでたよ」
「見えないとこで急がれても分かんないじゃん。まぁいいけどさ」
渡辺さんは、胸元につけたままの造花を少し整える。それが、かさりと揺れる音がした。
「てっきりここは嫌だろうなって思ってた」
「……うん、私も。だって最悪だったよ、あの時。今もやっぱり最悪、埃も虫の死骸も雰囲気もなにもない」
「じゃあどうして」
「ここに帰ってこよう、って思ったんだよ」
「昨日の受け売りかよ。ここは家じゃないぞ」
俺は答えながら、渡辺さんの横、同じように壁によりかかり、そのまま膝を折ってしゃがむ。それを見てなにを思ったか、後を追うように渡辺さんもしゃがんだ。そして、たぶん二人ほとんど同時に、壁に書かれた罵詈雑言に気づいた。
「…………この変態妄想男め」
「観客がカメムシだけの勘違い歌姫様がなに言ってんだよ」
横目で見あって、二人して笑った。
やっぱりここは静かすぎる。声が数秒響いて、それから窓の隙間に消えていった。そのまま見つめ合う。いつか苦しかった静けさが、嘘のよう。
「あのさ、話があるんだけど」
あの時と同じく、とっくりと。でも今度は探るのではなくて、ただ伝えるために言葉を選ぶ。
「うん」
「……この先も、俺は渡辺さんと一緒にいたい。大学も違うし、家だってパン屋同士。でも、そんなことは関係なくて。喧嘩しても、最後には一緒に笑って、っていうか──」
言葉が詰まる。
いくらイメージしてみても、結局本番は別だ。身体を緊張が走る。たぶん指先は震えている。前置きはもういい、理由なんていらないのだ、きっと。強いていうなら、ただ今まさに今、俺は渡辺さんが
「好きだ」それが理由だ。
「…………私も」
少し遅れて返事がある。
彼女の言葉から躊躇いは感じなかった。葵のことは、と尋ねようかとも思ったけれど、無粋だと思ってやめた。
私も好きだよ、と続いた言葉を聞いて、つい手を取る。渡辺さんは、それには言及しない。
気持ちが溢れてしまった。
てっきり冷たいかと思ったら、ほのかに温かかい。脈がとくとくと伝わってくる。離さないで、この先も握っていたいなと思った。
「変な告白だったなぁ、他の人にされたことないよ、そんなもじもじ」
「したことなかったんだから仕方ないだろ」
「まぁいいよ。でも、一つだけ注文」
「なに、叶えられるならなんなりと」
「……喧嘩はしたくないかなぁ」
渡辺さんが、小声でそう呟く。
そのしおらしさに呆気にとられていると、渡辺さんは手をぱっと離して立ち上がる。スカートの裾についた、埃を払った。
「ほら、帰ろ。実はばーゆとつばき、待たせてるんだよね。っていうか、川中くん、かばんは?」
「……あぁ教室だ。俺も、たぶん葵と良太が待ってるな」
「じゃあ~、みんなでどこか行くのもいいかもね」
「勝手に決めていいのかよ」
渡辺さんが立ち上がった俺に、右手を差し出す。どきりとした。
「なに、二人でどこか行きたい? いいよ」
「……そうだな。旅行でも行こうか。西でもいいし、東でも」
「いいね、それも。どこか遠く、二人で逃げ続けるみたいな?」
「なにから逃げるんだよ」
「ふふ、なんだろう。なんでもいいじゃん」
チャイムが鳴る。これを聞くのもたぶん最後。
今日は、卒業はそればかりだ。
けれど、最後じゃないものも確かにこの手にある。
だから、振り返らずに歩いた。
あおいろラスト! ~受験×パン屋×最後の青春!~ たかた ちひろ @TigDora
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