アメノチハレ

空を見上げる。

 淀んだ空から、キラリと輝く雨粒が幾千幾万と降り注ぐ。

 ――ふと、耳を澄ます。


 〝木々が揺れる音、葉に雨粒が落ちる音、水溜まりに雨粒が落ちる音〟


 人々が雨に打たれ不服そうに空を見上げると、その様子を嘲笑うかのように雨は一層強くなる。無数の雨粒と無数の波紋が微かに、周りの水溜まりから湧き上がって、協奏曲にも聞こえる音色を奏でる。

 

 律樹は。

 律は。

 

 その雨音に耳を澄ませ、軽い足取りで進んでゆく。 


律樹は、閉じていた傘を開く。

 律は、差していた傘を閉じて目をつむる。



 律樹の広げた傘が、まるでスピーカーのように、雨音の音色を奏でる。

ひんやりとした雨粒が、やさしく律の顔に落ちる。


「「雨……」」


 律樹も律も、雨が好きだった。

 雨はいつも、嫌なことを綺麗に洗い流してくれる。

 街の側溝にたまった泥水も、きっとそれは街の汚れを雨が洗い流してくれたからだ。ぜんぶ、雨が洗い流してくれる。日々の不満も。心のなかの負の感情も。ぜんぶぜんぶ。


 ――武蔵野の森は雨が降ると、表情を変える。小鳥の囀りが止み。木枯らしの音も止む。けれど、かわりに幾千幾万の木々の葉に落ちた雨粒が、ポツポツとやがてザアザアと音色を変える。雨が止むと武蔵野の森はまた表情を変える。葉に付着した雨粒が、灰色の空の隙間からのぞいた陽光に煽られて輝く。

 律樹は思う。

「ずぶぬれでかまわないと」

 律は言う。

「どしゃぶりでもかまわないと」

 

 律樹は、律は、武蔵野の森で空を眺めた。

 

 二人は、そらに手をかざして、グッと目をつむった。

 森の優しい音色。雨のすこし強めの雨音。

 濡れた革靴の足音。遠くからかすかに聞こえる止むとこのない街の音。

 それらすべての音が、重なり合って、雑な協奏曲を奏でている。

 

 どうしてかはわからない。けれど、二人のなかの分厚い雨雲は、武蔵野の空とは反比例しているかのように、カラッと晴れ。やがて、穏やかな風が吹いた。

 ––––その風が、二人の一つ一つの感情を猛威を振るう台風のように、しかし母が子を撫でるように優しく吹き飛ばしてゆく。

 ふと思えば、学校での自分も、電車に揺られる自分も、無理に笑顔を作る自分も、雨に打たれる自分も、水槽を泳ぐベタを眺める自分も––––ぜんぶ、ぜんぶ自分自身だった。今では抱えていた悩みもぜんぶ苦く甘やかなものに変化していることに気づく。


 律樹は––––。

 律は––––。


 まだ子供だけれども、すくなくとも、自分はなにがしたくて何が好きなのか、どこをなにを目指しているのかを、二人はわかりはじめている。

 二人はそう思う。

 


 どこか遠くの空で、雷がまるで二人のその気持ちに応えるかのように、

かすかに響いている––––。

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アメノチときどき晴レ しろいねこ @sironeko_hokkaido

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