旅立ち
目の前には、あの少女がいた。
「残念だが、そなたは死んでしまった。自殺するほど不憫な人生を送らぬよう、転生先にもっていくアイテムや能力の希望はあるか? 」
「であれば、神様と一緒に生きたいっす」
「本気か? これまでそのような望みは誰もしておらぬ」
「今度こそ、あたしを救って欲しいっす」
「わかった。そなたとともに異世界へまいるとしよう」
私は自分の分霊を作り、彼女の魂を夢の世界へと送り込む。本人は気づくわけもない。分霊がどうふるまうかはプロファイリングにより既に仕込み済みである。
本当に残念だ。
そう思ったところで目が覚めた。
夢など何百年ぶりだろう。かりそめとはいえ、肉体に宿ったおかげで変な夢を見た。
ホテルの一室だった。一応シングル一部屋をとったはずなのに、ベッドの下にはあの夫婦が抱き合って寝転がっている。夏だからよかったが、冬ならいくら神といえ風邪をひいているだろう。
二人とも酒臭い。これは部屋を間違えたなと思ったが。ドアはオートロックで、彼らの部屋の鍵があうわけがないから私も寝ぼけてあけてやったに相違ない。
起こそうと揺すると女神が寝ぼけた声で何かいって服をぬごうとしたので、思わず強めに頭を叩いてしまった。
「いたあい」
「間違って他人の部屋にはいってきた上、何を始めようとしておられるか」
彼女は起き上がると私の顔を見て、部屋を見回して「あらやだ」と照れ笑いを浮かべている。
「ちょうどいい。昼間のあの娘、式をつけて監視していたというが、住まいなどは知っておられるか」
「どうするの」
「どうするかは考えてないが、嫌な夢をみたので様子を見に行きたい」
「あまり深入りしないほうがいいわよ」
そういいながらも彼女は備え付けの便せんに所番地を書いてくれた。二時間あればいける距離だ。
「ここから別行動ってことにしてよろしいか」
「いいけど、気をつけてね。穢れにそまって祟り神になんかならないよう」
「わかった」
戦利品は二柱の働いている神社に一度送って預かってもらい、私は身軽に様子を見て帰ることになった。何かできるならやってやりたいが、人の営みに神は原則として不干渉である。日常空間の彼女を見て、言葉があればかけてやるのが精一杯だろう。
書かれた住所にあったのは、小さな一軒家だった。この辺りにおおい狭小三階建てで、少女の家族は両親とそして一階の三畳間に寝たきりの祖父。村の出身者はこの祖父と父親である。父親は役所勤めだが多忙で、介護と家事は別の地域出身の母親に一任されていた。
状態の一番悪いのはこの母親である。そのまとった気配を見た私は思わず目をそらしてしまった。
私が観測の目を向けたとき、母親は台所で酒をあおり、少女は祖父のおむつをかえていた。なんとかケアサービスとかかれた箱から出していたので、日頃は訪問介護の手を借りているのだろう。
老人はもうろうとしていたが、孫に何をさせているかの自覚はあって、あきらめと恥じらいの波に翻弄されていた。彼のことは村を出る日までみていたし、仏壇に写真だけ飾られたその妻とのういういしいつきあいも見ていた。何世代もの生老病死を見てきて今更おどろきはしないが、やはり平気でいられるものではない。
少女の心もまた複雑であった。元気だったころの祖父にはなついていたらしい。汚れ仕事に文句を言うつもりはないが、同時に枷となっている祖父の死を望む気持ちがあってそれゆえに自分を軽蔑しきっていた。彼女の部屋には大量のスナック菓子と同人誌、アニメのディスク、そしてヘッドホンがあってそれらに浸りきる時間が救いのようだ。
母親の出す負の感情に神力がくもりはじめので私は観察をやめた。
とりあえず禊をしなくては。あれほど禍々しいとは思わなかった。
来る途中、便利な携帯端末で浴場の有無は確認している。少々値段ははるが仕方ない。バスで移動して浴槽に浸る。吐息とともに吸い込んでしまった瘴気を吐き出し温かい湯気をかりそめの体にすわせる。生き返る気分だ。
直接できる事は何もない。だが、彼女の問題は見えてきた気がした。
「どうしたものかね」
とりあえず仁義はきっておかなければ。
禊を終えてあたりの鎮守社にいく。ここも私のような失業神を二三柱やとって忙しそうにしている。管理は二時代前のレトロなコンピューターだ。もちろん実体ではない。区域内の人数が多いので大変らしく、のめりこむように仕事をしている。
「おや」
まつられている土地神は私に気づいて出てきた。
「何か御用かな。手は足りぬが何しろぎりぎりの自転車操業なので、もし就職希望ならまっこと申し訳ないのだが」
「いえいえ、そうではありません。この地に昔の氏子がすんでおりましてな。一つお許しをもらいたいだけでございますよ」
こういう申し出はたまにあるのだろうか、土地神はなるほど、といってにっこり笑みを浮かべた。
「聞いておりますよ。監視を手伝ったのはうちです。記録をみますか? 」
意外な申し出だった。ありがたく、ありがたくお受けする。
記録は翼のついた小型カメラの形をした式神の中にあった。それを見るためには肩に乗せ、眼鏡の形をしたヘッドマウントディスプレイでみることになる。視界がふさがって危ないので境内のベンチに座り、休憩中らしくするため飲み物を手にする。
ベッドにつっぷし、嗚咽なのか呪詛なのかわからない言葉をつぶやく少女の姿があった。そうかと思うと、やつれた母親と何事か笑い合う姿があり、一転してきついことをいわれて涙目になっている姿もあった。ヘッドフォンをかけ、すべてを遮断して動画を視聴する姿もあったし、股間に手をさしいれてふとんの中で丸くなっている姿もあった。
「あたしがチョロそうだから、簡単にヤれると思ってるのかしら」
暗い声でそういって着信拒否の設定をしている姿もある。父親が撮影したのか、元気だったころの祖父と晴れ着姿の幼い彼女が手をつないで神社を歩いている動画もあった。料理中にふと包丁を見てたわむれに手首にあてている姿もあった。
深入りするな、と言われた理由が少しわかった気がする。ひどい呪詛の中に身をおいているではないか。救いがあるとすれば、学校のいじめがまだ通常の範囲に収まっていることくらいだ。いや、これは救いでもなんでもない。感覚が変になる。
「どうしたものかね」
どうにもできない。神は現実世界の前には無力だ。
このままでは正夢になりそうだ。
夢、か。
夢枕にたつくらいはできる。だが、あの少女の夢に出ても見られたくないものを見られたと知って拒絶反応をおこすか、気付かずに妄想に巻き込まれるか、うまくいく見通しがない。
あの家の不幸の要になっているのは母親だ。家庭から目をそむける夫、元気なころは良好な関係だったがいまは負担でしかない義父。そして義父になついていた少女。母娘の関係は本来は決して悪くはない。だから離婚して出て行きたくなっても義父と娘の存在が障害になっている。
諭すなら彼女だが、縁がない上に穢れがひどく、手に負える気がしない。気にせずなにもかもおいて家を出ればいいのだ。だが負の連鎖に陥ってる以上、外的な強い刺激がなければ有益な方向に動く事はない。
手詰まりだ。
私は引き上げることにした。
休暇の残りは戦利品の読み込みとあわせて読書に費やした。幻想文学の古典から最新作まで、軍資金の残りを投じて購入し、最後は寄り代と一緒に焚き上げて持って帰る。
心残りはあったが私は仕事に復帰した。次の魂のプロファイルを調べ、その人生の蹉跌がどんなものであったかを調べ、共通点のある事例を集めてプランを練った。
年齢は高いほうで五十。「なめられる」ことに耐えられない気質。そうやって築いた高い防壁ごしでしか他人と関わらず、結局未婚。しかし、その防壁の内側には子供っぽい空想の世界を大事に残してきたピーターパン。
防壁に触れないようにして彼の心の内側だけを実現するようにしてやればよさそうだ。だが、ミューズが誰かにもたらすような何かは期待できない。
「報われることはなかったことが残念ですが、あなたは立派に生き抜いてきた」
まぁこんな感じにくすぐっていこう。
「次の人生はむくわれることのあるものになるようにしましょう。希望はなにかありますか」
ここで想定通りの希望が出てくれば終わったも同然だ。
そして無事にこの仕事も終わった。
それにしてもこの仕事、老若男女はあんまり関係がない。
「さっき送り出した人なんか八十過ぎのおばあさんだったけど、ものすごくかわいらしい希望だったからはりきっちゃった」
同僚の女神がそんなことを言っていたな。
次の仕事がすぐ始まるのかと準備万端まっていたら、対象者があんがいもっているので二日ほど様子を見てくれという。医師と設備が恐ろしく優秀なので助かってしまうかもしれないそうだ。
思いがけず時間ができたので、駄目元で心残りを整理してみることにした。
冬、私はまたイベントの店番をしていた。本は全部売り切ったので、夫婦神が回ってる間に片付けをしているだけである。
「いた。神様だ」
やつか。
「そう呼ぶなといっただろ」
「えへへ」
前と同じ笑顔。いや、少しやせたか。
「おひさしぶりでーす。お一人? 」
「うん、二人はいま巡回中。また本? 」
「ええ、でもこれはこれでちょうどよかったス」
彼女は当たり前のように座り込んだ。
「あれ、神様でしょ? 」
「あれ? 」
「うちのお爺ちゃんのことっス」
「んー、あの村の人だよね。覚えてるけど、どうしたんだい」
「寝たきりだったんスがね、どうやってか抜け出して家の近くで車に轢かれちゃいました。先月のことっス」
「それは悲しいことだね。彼はどこへいこうとしてたんだろう」
「さあ、自殺じゃないかって言う人もいたけど、あたしはお爺ちゃんは倒れるまで旅をしようとしてたんじゃないかと思うっスよ。昔は旅行によくつれていってくれたっス」
「いいお爺ちゃんだったんだね」
「ええ、だからあたしもママ上もほっとしました」
「ほっと? 」
「爺ちゃんの世話がつらくって、大好きな人なのに憎んでしまう自分が嫌いで、それがようやく終わったんス。悲しいけど、とても救われたっスよ」
「彼もそんな状態を望んじゃいなかっただろうね」
「爺ちゃん、たまに頭と言葉がはっきりするときがあるんスが、死ぬ少し前に旅に出る、と言いだしたんス」
知っている。彼はこういったはずだ。
「ずいぶん迷惑かけちゃったね。爺ちゃん、そろそろ旅に出ようと思うんだ」
私は彼に死ねとはいっていない。ただ、夢枕にたち、久闊の後に今の仕事のことを少し言って、新しい旅立ちを助けているから、人生が終わったら来ないかと誘ってみただけだ。
この老人は晩年まで村を出ることはなかった。だが、若いころは村を出て、そして故郷に錦を飾って帰りたいと渇望する才気ある若者だった。しがらみがそれを許さず、彼は腹をくくって許された人生を送ってきた。
その行く末が不憫。
「それでね、そんな風に旅に出た人の話の最初のほうだけ教えてくれないか、なんて言いだすんだよ。誰にきいたんすかね」
「最初のほうだけ? 」
「どんな旅立ちがしたいか、なんスよ。爺ちゃんわりとカッコつけだし」
「それでどうしたんだい? 」
「あたしの特選転生ものを読み聞かせたっス。ほんのいくつかだけだったのが残念」
世代的にあわなかったのではないか。心配だ。
「神様、お爺ちゃんはどんな世界にいったんスか? 」
一言で言えば行きて戻りし物語の世界だけど、いろいろびっくりするリクエストがあったなぁ。
だがそういってしまっては楽しくない。
「探してごらん」
「探すって? 」
「文学芸術の神が、書くにふさわしい書き手に彼らの物語をひらめかせることがある。それはもしかしたら君かも知れない。別の誰かかもしれない。一つではなく、複数の作品に分割して入っているかもしれない。探してごらん」
少女はしばらく私の顔をじっと見ていた。
「神様」
「どうした」
「言っちゃだめってことならそう言ってくださいよ。かっこつけちゃって」
「だめか」
とぼけて笑ってみせた。少女もくすくす笑い、急に真面目な顔になった。
「それでも、いま凄く神様にキスしたい」
大胆な。
「衆人環視だけど」
「じゃあ、後で物陰で濃厚に」
「いやまて…」
不意を打たれた。頬に柔らかいものが触れる。耳打ちを装っての軽いキス。欧米の子供が感謝を現すときにするような可愛いキスだった。
「えへへー」
やらかした本人は照れ笑いを浮かべてる。
まあ、いいか……。
「神様、次も来る? 」
「仕事続けてたら来るかもね。その前にこのサークルが当選しないといけないけど」
「落ちたら一般できて。たぶんあたしなんか作るから見てほしいんだ」
休みが重なればいいんだけど。
サークル主の夫婦がもどってきた。少女は女神と手をとりあってちょっと理解不能な会話を始めた。
まあ、いいか。
少しだけ、今のくらしが楽しくなってきた。
転生神の憂鬱 @HighTaka
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