イベント

「重い」

 寄り代とはいえ、肉体としての感覚はある。つまるところ、腕がぱんぱんになっている。

「こんなにたくさんの本を持ったのは初めてだ」

「開場したらこれがあっというまになくなるからびっくりしなさんな」

 そういうのは一見そこらの若者と区別のつかない神。そして手提げ金庫をあけて釣り銭の確認をやっているのはその相方の女神。二人は夫婦だ。

「そののぼりをそこに立てておくれ」

「こうか」

 凛々しい女性を描いたのぼりをたてる。壁際なので中のほうの人たちのように後ろに倒れる心配はない。しかし、まだ始まる前だというのになんだろうこの熱気に似た空気の充満は。

「本とって、そっちの黒い既刊から十くらい」

「はいよ」

 女神の描いた漫画と男神の記した文がのった薄めの冊子を渡す。あと二十くらいは残ってる。

「こっちの新刊はならべないのか? 」

「それは一つだけサンプルに出してくれ。おまけの小物をつけるので、俺が合図したらそっちから一つ、そこから一冊とってこの袋に詰めて渡してくれ。ちょっとやってみようか」

 若干の駄目だしの末に満足のいくようにできるようになった。

 そしてイベントは始まった。あっという間に人で埋め尽くされてびっくりする。神が気圧されるなんてあっていいものだろうか。

「どんどん渡して」

 新刊をつめてわたす、つめて渡す。女神が会計をして列がどんどんはけているのに人のへったような気がしない。

「やった。神絵師の本ゲット」

 喜んでいるのを聞いて、なぜばれたと思ったが、そういう用語らしい。彼女のイラストはファンが多いそうだ。

 それにしても、神の力をこれに使ってはいないよね。

「そんなつまらないことはしてないよ」

 目の回るような思いがおわって新刊がすっかりはけたところで男神が苦笑してそう言った。こちらは腕がすっかりぱんぱんである。

「二人ともはまっちゃって気づいたらこうなってただけだよ」

「まさかと思うけど、ミューズがきたことあるかい? 」

「ある。おたがい、苦笑しかなかった」

 あるんだ。

「こっちは大丈夫だから、ちょっと回って来なよ。仕事のこともあるだろうけどまぁ楽しんでくれ」

 後で交代、ということらしいので時間を決めてぶらぶらしてみる。

 広大な会場に膨大な参加者、ただ圧倒されると言いたいが、人にぶつからずに歩くのは難しい。カタログを見るといろんなジャンルがあるので、一通り回ってみる事にした、売ってるものを物色したいがさすがに多いので、これは仕事と思って神力で一瞥してだいたいの内容を見て行く。参考になりそうなものはちゃんと買う。支給された金がだんだん心配になるが。

 こうしてみると私の仕事はここをふくむ巨大な循環の小さな一つと知れよう。村落社会が人間の社会の大半をしめていた時代ではないのだと実感した。

 しかしまぁ、いろんな趣向があるものだ。食べ物のうんちくから男同士の色恋もののジャンルまで。創作の中には私の担当からミューズが伝えたらしいものが二つほどあったが、その一つがあと十年は受け入れられないだろうと思っていた直前の仕事のものだったのでしみじみ世の中には思いがけないこともあるものだと思った。内容は彼のストイックな世界とは違ってかなりエロチックに脚色していたが。

 さて、そろそろ時間だ。いわゆる戦利品をいれた紙袋を手に戻ろうとしたところで声をかけられた。

「神様、神様でしょ? 」

 違う誰か、そうあの女神のような人を呼んでいるのかと思ったら肩まで叩かれた。ふりむくと、化粧っけのない丸い眼鏡のそばかす少女だ。少し太めなところはここではむしろ違和感がない。

 見てわかった。彼女は私が土地神をしていた村の子孫だ。村にはほんの小さいころに一度来ただけである。あのときも、拝殿で誰にも見えないはずの私をじっと見ていた。

「どうしたの。こんなところで何をやってるの? 村がなくなったのでぶらぶらしてるの? 」

 ナチュラルにぐいぐいくるのを一度手で制した。

「いったいいきなりなんですか。あなたとは初対面ですよ」

「元とはいえあたしは氏子よ。そうだ。ここには他にも神様きてるから引き合わせてあげる」

 手をつかまれてぐいぐいひっぱられる。まわりが何事かと見ているし、邪見にはらうと悪目立ちしそうだ。爆発しろ、なんてつぶやいているのもいる。私は旧時代の人間だが、その意味は知っているぞ。そして君たちは誤解している。

 ひっぱられるままにつれていかれたところは。

「おう、お帰り」

 うちのブースだった。

「なあんだ、そういうことか」

 少女は合点という顔をする。

「もしかして、知り合い? 」

 神々の声が重なった。

「こちらの氏子です」

 少女は私をさして二柱にいう。

「でもって、ファン」

 女神をさしてそういう。

「そういう君はなにものだ」

「巫女だよ」

 ぐったりした声で男神がいう。

「数は多くないけど、知ってるのは何人もいるんだ」

「いいのかそれで」

「仕事中にも見抜いてくる人もいるし、まぁごまかすしかないよ」

 ごまかしきれてないんじゃないかな。

「そういうことは先に教えてくれ」

「すまん。だがこんなにテンション高くこられるとは思わなかった。たいていはそっと見守ってくれるだけなのに」

「だってあたし、神様のお嫁さんになりたかったもん」

「その意味、前に教えたよね」

 女神が苦笑いしながら荷物をまさぐってとっくになくなったはずの新刊一セットを出す。

「はい、口止め料」

「まいどー。それじゃこちらもブツをだしますかね」

 少女はバックパックを下ろして中から重そうでカラフルな本を出す。

「やった。ありがとー」

 女神のテンションも変になる。ほとんど友達だ。ぱらぱらやるのを見ると、画集のようだ。

「そいじゃ、俺たち、回ってくるから店番たのむよ」

 一人で残されるのか。

 いや、一人じゃないようだ。女神が少女に留守番を頼んでいる。

 これはこまった。

「えへへへー」

 彼女は嬉しそうである。土地神として長く一つの共同体を見守ってきたが、若者がこんな風に笑っていられるというのは本当に幸せなことだと実感している。ままならぬ人生を憂い、それでも仕方ないとはいえ立ち向かってみんな果てていった。

 彼女はこういうことにはなれていると見えて、いたって自然に立ち寄る客に応対し、私よりよほどしっかり留守番を勤めている。お金の勘定は自然に私の仕事になった。

「ねえ、神様」

 その呼び方はちょっとやめてほしい。ここが大きなお祭りなのはわかるが、それはそれで別の誤解をまねきそうだ。

「じゃあ、氏神様」

 たいしてかわってないが、あきらめた。

「今、どこにいるの? 」

 そこから出てきた名前は系列の大きな社の数々、よく知ってるな。

「まぁ、いうなれば異世界だよ」

「マジっすか」

 この会話、かなり怪しいがここではむしろそれらしさがあるな。

「死なないよう、ちゃんと子孫繁栄してくれ。もう氏神ではないけど、村の子供たちに願うのはそれだけだよ」

「それができりゃ廃村になんかなりませんて」

 身も蓋もない。

「あたしだってこの冥府魔道をつきすすんでいつか寂しく死んでいくでしょう」

「どこで覚えたの。そんな表現」

「それより氏神様の戦利品見せてくださいよ」

「いいよ」

 とでもいうしかなかった。この娘には古代の神のような奔放さがある。まさかと思うが生まれかわりじゃなかろうか。

 彼女は鼻歌を謡いながら紙袋の中身をあらためる。ときどきちょっとにやりとするのが不気味だ。

「なるほど異世界っすね」

 何がなるほどなんだか。

「えへへ」

 よくわからないがまた笑ってる。

「なあ、私のどこがそんなに気に入ったんだ? 」

「だって神様、なかなかイケメンじゃないですか。あれはまちがいなくあたしの初恋フォーリンラブ」

 ふざけてるのか、本気なのか。

「古代人的にはそうなのかも知れないな、と思うことはあるけど、現代っこにはそうでもないんじゃないかな」

 同僚の古代の女神とその女友達に誘惑されたことはあるが、あれは興味本位だろうな。

「そうっすかね」

 彼女はちらっと俺の顔を見て、目をそらした。またちらっと見る。気になる。

「ともかく、今日見た事は誰にも言わないでおいてくれると助かるよ」

「心配しなくっても、誰も信じやしませんて」

 結局、ブース主がかえってくるまで接客してる時以外、彼女は私の顔をチラ見しては時折にやにやしていた。やっぱり気になる。

「君も物好きだな。イケメンかどうか知らないが、私は生きた人間ではないよ」

「生きた人間は嫌いだから大丈夫」

 何が大丈夫なのだか。ただ、気になる。

「私は生きた人間のほうが好きだよ。どんなに卑劣な小物だろうと、清廉そうに見えて卑しい欲望にまみれた偽善者だろうと」

「さすが氏神様、心が広い」

 その滑稽さを含めて愛してるなんてちょっと言いにくくなったな。

「だけど君が私に求めてるのはそういう愛し方じゃないね」

「わかりますか。ホテルいきます? 」

「おでこぐりぐりやるぞ。いい加減になさい」

「はあい」

 真ん中の「あ」が一音高い。舌だしてそうだ。

 そこから話題は私の戦利品のことになり、最近の異世界ものの話になった。彼女は純粋に好きで、私は仕事上の関心から。

 そうしてるうちに回っていた二人がずっしり増えた荷物をもってもどってきた。

「そいじゃ神様、またお会いしましょう」

 少女はテレビでみた下っぴきみたいに去って行った。

「よかった。あなたにすげなくされて泣いてるかもって心配してた」

 神絵師の女神にそんなことを言われる。

「なんですか、人を朴念仁みたいに」

「あの娘のこと、どう思った」

「祭りではしゃいでいるけど、ちょっと気になるところもありますね」

「いじめって知ってる? 」

「担当したのに何人か被害者も加害者もいたよ」

「じゃあ、わかるわね。あの娘、被害者よ」

 なるほど、と思うところがあった。

「もしかして、監視してた? 」

「見えちゃう人にはみんな式をつけてるわ」

 急にいろんなことがわかった気がした。

「そうか、これも君たちのつとめか」

「いいえ、趣味よ。でも、知らない間につとめを果たしてるのは性かしら」

「もう本がなくなったから撤収な」

 男神が在庫のなくなったのを確認してそういった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る