古代樹に見守られ
「マルティナ」
声が聞こえた。天国から迎えが来たのだろうか。暖かくて、聞いてるだけで心が安らぐ声だ。
「マルティナ、もう大丈夫だ」
でも、その声は上からじゃなく下から聞こえる。ということは、迎えに来たのは天国ではなく、地獄からの使者? だけど、悪魔はこんなにも優しい声を出さないだろう。天使でも悪魔でもなければ、この声は――
マルティナががばりと上半身を起こすと、その下で倒れていた声の主――エヴァンがゆっくりと立ち上がった。
先ほどまで倒れていた相手が、急に動き出したことに動揺しているのだろう。ショウシンザル達は投石をやめ、少しだけ後退しながらも、こちらの出方を窺っていた。
そんなショウシンザルを尻目に、エヴァンはいつもの快活な笑みを、立ち上がることもできずにいたマルティナへと向ける。
「すまん、ちょっとばかり寝過ごしちまったようだ」
「エヴァンさん……」
マルティナは呆然としてしまう。死をも覚悟していただけに、いまは嬉しさよりも驚きのほうが上回っていたのだ。
そんなマルティナのローブがボロボロになっていたことと、周りに散らばっている石を見て察したのだろう。エヴァンは眉を寄せて申し訳なさそうな顔をした。
「おれが起きるまで庇ってくれてたんだよな? ありがとな。体は大丈夫か?」
「わ、わたしは全然大丈夫です。急所は隠してましたし……。エヴァンさんの方こそ、石が頭に当たったようでしたけど平気なんですか!?」
「ああ。軽い脳しんとうを起こしちまったみたいだけど、こんなのたいした傷じゃないって。それに惚れた相手の前で、これ以上ダサいところなんか見せられないしな」
「え……?」
どきんと胸が大きく鳴った。
エヴァンはいま「惚れた相手」と言ったように聞こえた。それはつまり、こんな駄魔女のことをただのパーティーメンバーとしてではなく、恋愛対象として見てくれているということなのか。いや、まさか、そんなこと……。
マルティナは発言の真意を聞き返そうと思ったが、その前にエヴァンの視線はショウシンザルの群れへと向き直っていた。
意識を取り戻したとはいえ、百匹近いショウシンザルに囲まれているのだ。絶体絶命の状況に変わりはないといえるだろう。
それでもエヴァンは動じていなかった。不敵な笑みをみせながら、腰にぶら下がっているショートソードをすらりと抜く。
「悪いな
そう怒鳴りながらもショートソードを構えると、一瞬にして古代樹の周り空気がピリリと張り詰めた。
これまでの旅路でエヴァンが怒りを露わにしたのは、実兄のキースに対してくらいだっただろうか。だが今回のものは、マドベルでみせた怒気よりも、ずっと厳めしく、ずっと恐ろしいものだった。
そういう意味では、怒気というよりも殺気という表現のほうが当てはまるだろう。まるで喉元に刃を突きつけられているかのような緊迫感が辺りを占領していた。
マルティナはその殺気の中心地にいたわけなのだが、畏怖を感じる余裕なんて微塵もなかった。先ほどのエヴァンの発言で頭が一杯だったのだ。古代樹の幻惑効果なんてとうに解けているはずなのに、考えはうまくまとまらず、惚けたようにボーッとエヴァンのことを見上げていた。
そんなマルティナとは真逆の反応を示したのはショウシンザルである。いままで安全圏でしか狩りをしてこなかった彼らからしたら、殺意を持った相手と対峙した経験なんて初めてのことだったのだろう。人間から見ても、真っ赤な顔に恐怖と動揺が浮かんでいるのがわかった。
――と、エヴァンの殺気を受け続けることに耐えきれなくなったのだろう。群れの中の一匹が、背中を向けてそそくさと古代樹の元を去って行った。
その後はあっという間だった。それに続けと猿達は次々に雪崩の如く逃げ出していったのだ。そしてショウシンザルの群れは、その場から1匹残らずいなくなっていた。
それを確認すると、エヴァンはショートソードを鞘へとしまい、ほおっと大きなため息をひとつついた。
「全員逃げてくれて助かったぁ……。正直、戦闘になったらどうしようかと内心ひやひやしてたんだよな」
そう言いながらけらけらと笑うと、エヴァンは未だにへたり込んでいたマルティナに手を差し伸べる。
「ほら、マルティナ。立てるか?」
「は、はい」
マルティナはこくりとうなずくと、ぎゅっとエヴァンの無骨な手を握り返した。
いつも引っ張ってくれたエヴァンの手だ。そう思った途端に津波のような安心感がどっと押し寄せてくる。
その結果マルティナは、エヴァンが立たせてくれたのと同時に、その大きな胸へと飛び込んでわんわんと声をあげて泣いていた。
エヴァンは一瞬戸惑ったようだったが、泣き続けるマルティナを優しく抱き寄せる。そして、なにも言わずにその胸を貸してくれた。
――どのくらいの時間をそうしていただろうか。涙を流し続け、少しだけ落ち着きを取り戻していたマルティナは、エヴァンの胸に顔をうずめたまま謝った。
「すいません、こんなに泣いてしまって」
「こちらこそ危険な目に遭わせちゃってごめんな。古代樹が幻惑状態を引き起こすとわかった時点で、人間にも効果があるかもしれないと考えるべきだったよな」
「違います。違うんですよ……。わたしはエヴァンさんが死んじゃうんじゃないかって不安だったんです。エヴァンさんがいなかったら、わたし……」
「なんだ。それじゃあ、おれと同じじゃんか。おれも惚れた相手がいない世界なんて考えたくもないからさ」
「え……?」
虚を突かれたマルティナはどぎまぎしてしまう。先ほどから絶え間なく流れ続けていた涙すらも、狼狽しすぎて自然と止まっていた。
やはり聞き違いではない。たしかにエヴァンは「惚れた相手」と言った。そして、ここにはふたり以外誰もいないはずだ。
いくらネガティブ思考のマルティナであっても、この状況下でその相手が自分だと考えることが自惚れだと思えなかったし、思いたくなかった。だからこそ、なけなしの勇気を振り絞ると、エヴァンの顔を見上げて問いかけた。
「その、ほ、惚れた相手って、もしかしてですけど、わ、わたしのことですか?」
マルティナの言葉を受け、エヴァンは不思議そうな顔をする。よもやそんな確認をされるとは思ってもなかったようだ。
「ほかに誰がいるってんだよ。そもそもこっちとしては隠しているつもりもなかったんだけどな」
「でも、どうしてわたしなんか……」
「どうして、か。うーん、一概には言えないけど、おれとはまったく違う考え方をするからってのが大きいのかな。マルティナと一緒にいると、いつだって新鮮な発想を得られるんだ。その中でも決定的だったのは、やっぱりマドベルで出来事だろうな」
エヴァンは懐かしむように遠くを見つめながらも話し続ける。
「おれと兄貴との関係を知ったマルティナは、永遠に分かり合えないと切り捨てるくらいなら、いつかでいいから分かり合える日が来ると思うほうがいいって言ってくれたんだよな。おれはさ、性格的に即断即決っていうか、すぐに答えを求めがちだったからマルティナのその言葉に救われたんだ」
そう言ってエヴァンは再びマルティナを見据える。透き通ったブルーの瞳は、青空のように一点の曇りもなかった。
「そして確信した。おれはマルティナに完全に惚れてるんだって。マルティナは、おれに惚れられたら迷惑だった?」
「め、迷惑だなんてとんでもない!」
「じゃあ告白の答えはオーケーってことでいいのか?」
先ほどまで命の危機に直面していて、いまもなお自傷した左手や投石を受けた体には痛みが残っている。それでも、生まれてからこれほど喜びを感じたのは初めてのことだった。大好きな人と両想いだと知ったのだからそれも当然だ。
だけど――
「――エヴァンさんがそう言ってくれるのは嬉しいですし、わたしもエヴァンさんのこと、その、す、好きですから一緒にいたいとは思ってます。でも先ほどのように、わたしのせいでエヴァンさんが危険な目に遭うのは耐えられないんです。わたしみたいな駄魔女は、エヴァンさんと一緒に冒険をする資格なんてないんですよ……」
マルティナは、エヴァンの腕を振りほどくと、一歩後ろに下がって力なく首を横に振る。今回の一件で魔法の必要性を痛感していたのだ。
しかし、エヴァンの方はというと、言っている意味がわからないといった感じで首をかしげていた。
「ん? マルティナもおれと一緒にいたいと思ってくれてるんだろ? じゃあ、これからも一緒にいればいいじゃん」
「あ、いや、そうなんですけど、魔法が使えない魔女なんて足手まといにしかならないですもん」
「足手まとい、結構じゃないか。おれは百匹近い猿共を剣を振らずに蹴散らした男なんだぜ? 足手まといがひとり、ふたりいたところでなんの問題もないっての。それともマルティナはおれの実力を信じられないのか?」
「いえいえいえ! エヴァンさんが凄腕の冒険者だってのはわかってますとも。この1年でエヴァンさんのすごいところをたくさん見てきたんですから」
そう言ってから、はっと気づく。このやりとりが、エヴァンと最初に会った落雷の塔でしたものとほとんど同じだということに。
エヴァンもそれがわかっているのだろう。その顔はどこか満足げに見えた。
こちらがぐちぐちと消極的なことを言っていても、いつの間にかエヴァンのペースになってしまう。一年もの付き合いになるが、エヴァンと会話をして主
導権を握れたことなんてほとんどなかった。
ただマルティナは、エヴァンのペースに巻き込まれることが好きだった。エヴァンの言動には、いつだって自分だけでは決して探し当てることのできない発見があるからだ。だからこそ、今回もその流れに身を任せてみようと思った。
そんなマルティナの心情をわかっているかのようにエヴァンはこんなことを言い出す。
「それにマルティナは足手まといなんかじゃないだろ。今日だっておれのために魔法を使ってくれてたじゃんか」
「え、わたしがですか?」
なにせ、テトラを出てからというもの魔法を一度も使えた覚えがないのだ。マルティナは思わず目を丸くしていた。
やっぱりエヴァンは言葉も行動も奔放だ。こうなると彼の独擅場だといえるだろう。
エヴァンは、ぽかんとしているマルティナを再びぐいと抱き寄せると、耳元でささやいた。
「さっきも言ったけど、おれさ、惚れた相手にダサいところ見せたくないんだ。だからマルティナの前では、いつも以上の力が発揮できるんだよな。他人の目なんか気にしないとか言ってた、このおれがだぜ? こんな不可思議な現象、魔法としかいえないじゃんか」
――本当にこの人にはかなわない。どんなに自虐を口にしても、どんなに悪い方向へと考えても、いつだって陽の光のような性格で、明るい未来へ通ずる道を照らしてくれるのだから。
そんな彼だったら、どんな言葉でも絶対にポジティブな変換をしてくれる。そう思えたからこそ、マルティナはエヴァンの腕の中で自信を持って自虐を吐いた。
「うう……。エヴァンさんはわたしのおかげでいつも以上の力を発揮できるって言ってくれましたけど、わたしはその逆でした……。エヴァンさんのことを大好きだと気づいたときから、エヴァンさんの前だと異常なほど緊張しちゃって、失敗ばかりだったんです。わたしなんて、まったくもって惨めなほどみっともないミジンコ魔女もどきのマルティナ――略して
すると、エヴァンは堪えきれないといった感じでくつくつと声を殺して笑っていた。
いつも通りの反応を示してくれたからこそ、マルティナも恒例のツッコミをいれる。
「なんで笑ってるんですか!?」
「いや、本当におれ達は正反対な性格なんだなって思ってさ。ひとりは惚れた相手の前でいい格好したいから、いつもよりも張り切っちまう。もうひとりは惚れた相手の前で緊張して、いつもの力が発揮できない。だけど、こうも真逆だからこそ、お互いに惹かれ合うのかもしれないな……」
「エヴァンさん……」
ふたりは古代樹が見守る中、それこそ惹かれ合うかのように、どちらからともなく唇を重ねていた。
互いにこういった行為に慣れていないからだろう。ふたりが交わした口づけは、小鳥のついばみのように軽いものだった。それでも、このファーストキスによってマルティナの迷いは跡形もなく消えてなくなっていた。
ずっとエヴァンと一緒にいたい。魔法を使えようが、使えまいが、そんなの関係ないんだ。大好きな人の側にいられるだけで幸せなことなんだから。
マルティナがそう心に決めていると、エヴァンが珍しく照れた様子で頬をかいていることに気がついた。
エヴァンの恥ずかしがっている姿を見たのなんて初めてのことである。希有な光景を目の当たりにして、なんだか面白く感じたマルティナは、思わずぷっと吹き出していた。
照れていることが自分でも柄ではないと思っているのだろう。エヴァンはすねた子供のように唇を尖らせた。
「なんで笑ってるんだよ……」
「いつもの仕返しです」
マルティナがペロリと舌を出して答えると、エヴァンはしてやられたと言わんばかりに首をすくめる。そして開けっぴろげに笑い出した。
つられてマルティナも声をあげて笑う。先ほどまで絶体絶命の状況だったかなんて嘘だったかのように、ふたりは腹を抱えて大笑いしていた。
ふたりでひとしきり笑い合った後、エヴァンはすっと手を差し伸ばした。そしてマルティナに改めて尋ねる。
「それじゃあマルティナ。これからもおれと一緒に旅を続けてくれるか?」
「はい!」
マルティナは躊躇うことなくその手を握ると、声を弾ませ返事をしていた。
それを受けたエヴァンは嬉しそうににかりと白い歯をみせる。そして「それじゃあ冒険の再開だ!」とマルティナを引っ張るように駆けだした。
ドキドキと心臓の鼓動が自然と早くなる。
マルティナは、いまならこの胸の高鳴りの理由を説明できた。
これからも世界で一番大好きな人と一緒に、まだ見ぬ絶景を探せるからだ。
超絶ネガティブ魔女と楽観的フリーダム冒険者の絶景巡り旅 笛希 真 @takesou
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