白雪姫とドロシィ(8)
白雪姫の体調が回復するのには数日を要したが、結果を見れば毒で衰弱しきっていた身体は実に順調に回復し、一度は死の淵をさまよったとは思えないほどにまで体力も戻っていた。
白雪姫の回復が医師によって確認されると、失踪していた王女の帰還は公表され、国王、王妃とともに、実に十年ぶりに民衆の前に姿を見せた。
失踪していた間のことについて姫は何も語らず、失踪の理由も、十年後の今になって突然国へ戻った理由も謎のままだった。一部には失踪していた間の王女について口さがない噂を立てる者もいたが、それでも多くの民衆が美しい王女の帰還と、どこか表情の和らいだように見える王妃の回復を喜んでいた。
* * *
「本当に、ありがとうございました」
「いやいや、わたしはなんにもしてないし。っていうか、未だに何で回復したのかよくわからないんだけど……」
マルガレータに深々と頭を下げられて、ドロシィは気恥ずかしさを誤魔化すようにその疑問を口にした。
「それは私自身にもわかりません。きっとお母様もおわかりにならないと思います」
結局、あの毒から回復した理由は不明のままだ。そもそも魔術的な毒の効果など普通の医師には対処どころか症状の把握もできないし、王城に使える魔術師もお手上げだったのだそうだ。
唯一の手がかりは、王妃がマルガレータとドロシィにだけ語った「魔法の鏡」だが、王妃の説明とは裏腹に魔法の靴はその鏡からは何の魔力も感じないと断言した。その鏡を王妃に売ったという商人を探したが、それも結局見つからずじまい。問題は解消したが、事件は未解決のまま棚上げされることになった。
「うーん、結局謎は謎のままかぁ」
「……いえ。そうでもありませんよ?」
腕を組んで唸るドロシィに、マルガレータは微笑みかける。
「治った理由に心当たりがあるの?」
「心当たりといいますか、その、何の根拠もない、想像なのですけど」
少しだけ照れくさそうに、しかしそれ以上に嬉しそうにマルガレータは言う。
「あれはですね――」
「マルガレータ!」
ばぁん、と派手な音を立てて扉が開くと同時に、豪奢なドレスでどうやったらそんな動きができるのかと思うほど機敏な動きで王妃が部屋に突入してきた。
「マルガレータ、こんなところにいたのですね。お部屋にいなかったからあちこち探してしまいましたよ」
「も、申し訳ありません、お母様」
「いえ、いいえ! いいのですよマルガレータ。私が心配症なだけなのですわ。あなたの姿が見えないとどこかで怪我をしたのかもしれないとか悪漢に襲われたのかもしれないとか不安になってしまう私の心配性がいけないだけなのです」
「黙ってお城を出たりしませんから、そんなに心配なさらなくても……」
「心配しますとも! もしもあなたに何かあったら私はこれから何を支えに生きていけばよいのですか。ああ可愛い私のマルガレータ。私の、私のマルガレータ」
話しながらも王妃は娘を抱き寄せ、その豊満な身体を目一杯使って抱きしめたり頬ずりしたり頭をなでたりと忙しない。
変われば変わるものだなぁ、と内心ドン引きしているドロシィの姿などもはや見えていないようだった。
すっかり王妃にもみくちゃにされているマルガレータは「もぉ」と困ったように笑いながら、それでも決して王妃の手から逃げ出そうとはしない。その笑顔に、もうかつての悲哀は欠片も残っていなかった。
「……なるほどねぇ」
なんとなく、先程王妃が飛び込んでくる前にマルガレータが言いかけた言葉の続きをドロシィも察する。
確かに、こんな姿を見せられたら根拠もないのに信じてしまいそうにもなるだろう。
マルガレータを救ったのは、母の愛だったんじゃないか、って。
* * *
「残念だわ。とっても楽しい時間が終わってしまった」
マルガレータたちのいる王城を背にしながら、言葉とは裏腹に上機嫌にスキップで道をゆく少女が一人。
陽光にキラキラと煌く、黒にも金にも見える不思議な長髪と、青空のように鮮やかな青いエプロンドレスが目を引く少女は、鼻歌でも歌いそうな様子で街を行く。
「ええ、とってもとっても残念ね、私」
彼女はまるで自分の呟きに答えるように言葉を繋ぐ。そしてまた、それに答える次の言葉を間断なく続ける。
「そうよ私は悲しいの。楽しい時間はいつだってすぐに終わってしまうんだもの」
「ええ、ほんとにほんとにその通り」
「せっかく楽しいお喋り鏡があるって教えてあげたのに」
「せっかく楽しい自分遊びを教えてあげたのに」
「自分で暗示を解いてしまうだなんて、とってもマヌケだわ」
「そうよ、楽しい時間を自分で終わらせるなんて、とってもマヌケね」
「小人もみんな消えてしまったわ」
「いいのよあの子たちは退屈だったもの」
「だけど悪いことばかりでもないわ、そうよねわたし?」
「もちろん、あなたの言う通りよ、私」
たんっ、と両足を揃えて地面を踏んだ少女は、そのままくるりと王城を振り返る。
「新しいおもちゃを見つけたわ、アリス」
「ええ、いままでのおもちゃよりも、もっとずっとおもしろいおもちゃだわ、アリス」
無邪気に無垢に純粋に、少女は新しいおもちゃで何をして遊ぼうか想像をめぐらせる。
「どこでもそこでもあそこでも」
「あの子が鳴らせばひとっ飛び」
「あの子が鳴らす、あの音なぁに?」
「カンカン聞こえる、あの音なぁに?」
「それはあの子の大事なともだち」
「それはあの子のアイデンティティ」
「あの子の名前は何かしら」
「頭空っぽ脳なしカカシ!」
「違うわそれはお友達」
「冷たい冷たいブリキの木こり!」
「違うのそれもお友達」
「見掛け倒しの臆病ライオン!」
「やっぱりそれもお友達」
「あの子の名前は何かしら」
「あの子は一体誰かしら」
「教えて教えて魔法の鏡」
「あの子のお名前な、あ、に?」
王城を見つめたまま、少女は歌うような自分の言葉に合わせてかっ、かっ、かっ、と三度踵を鳴らす。もちろん少女の姿は消えたりしない。彼女はにっこり笑って締めくくる。
「あの子はドロシィ」
「かわいいドロシィ」
「アリスのおもちゃ」
「かわいいおもちゃ」
「「とっても楽しい、アリスのおもちゃ!」」
一人のはずの少女の声が、まるで本当に二人いるかのように重なり合う。
少女は鼻歌を歌いながらぴょんぴょん跳ねて、いつの間にか雑踏のどこからも消えていた。
おとぎばなしとドロシィ 魔法の靴で行く名作童話ツアー soldum @soldum
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