白雪姫とドロシィ(7)

 どれくらいそうしていたのか。ようやく決壊していた涙が収まりつつあり、美しい顔を子どものようにクシャクシャにしていた王妃がすんすんと鼻をすすっていると、突然マルガレータの身体から力が抜けた。


「白雪姫さん!」


「姫様!」


 王妃が事態を把握するより先に、ドロシィと侍女が悲鳴をあげた。


 ベッドに身を起こした王妃の上に重なり合うように倒れ込んだマルガレータの身体が、急速に冷たくなっていく。にも関わらず額には大粒の汗が浮かび、苦しげな浅い呼吸が繰り返される。


「白雪姫さんの、毒が」


 ドロシィの呟きで、衝撃で止まっていた王妃の思考が回転を始める。

 そうだ、毒だ。自分が彼女に含ませてしまった毒。それがいま、彼女を蝕んでいるのだと思い出す。


 王妃はすぐに侍女に言いつけて医者を呼びにやり、自分はベッドを出て代わりにマルガレータの身体を横たえる。


 それが終わると王妃は飾り棚の上からあの鏡を取り出し、すぐに呼びかけた。


「鏡よ鏡、マルガレータの毒を消すにはどうすればいいの!」


 しかし、絶叫に近いその声にも鏡は黙して答えない。数日前の晩、あれほど饒舌に口を利いたのが嘘のように。


「ああどうしましょう、鏡に従って毒を作ったのに! 解毒の方法なんて、一体どうすれば……」


 がっくりと項垂れる王妃の後ろで、ドロシィも必死に頭を働かせていた。


「く、靴さん」


「残念ながら、あの毒はそれを作った者の力でしか解毒できません。その当人が方法を知らないとなるとお手上げなのです。いまから方法を探すには、白雪姫は弱りすぎています」


 魔法の靴も苦い声でそう答える。魔術的な毒である以上は、薬草などで中和することも難しいのだという。


「そんな……」


 ドロシィも王妃と同じように立ちすくんで項垂れる。いくつもの世界を魔法の靴で飛び回り、様々な難題や危険をくぐり抜けてきた彼女も、今度ばかりは途方に暮れるしか無かった。


「ああマルガレータ。お願いよ、これ以上私に間違わせないで。もう一度あなたを失ったら、私はどうすればいいの? やっとわかったの。やっと見つけたのよ? どんな美しさよりも、私は、あなたが――っ」


 王妃の言葉が途切れる。言葉にすれば今度こそ全てから逃げ出せなくなる。自分が愛していたはずの娘に向けてしまった醜い感情も、親として、王妃として、人として、あらゆる正義から外れた娘への仕打ちも、その全てを受け入れなければならなくなる。


 それはなんと恐ろしいことであろうか。


「おかあ、さま……」


 目を閉じたままのマルガレータが、うわ言のように母を呼ぶ。幼かったあの頃の、血の繋がらない母を心底慕うような温かみは、その苦しそうな息遣いでさえかき消すことが出来ないほどにハッキリと声に滲んでいる。


 この子は今も、私を母と呼んでくれるのだ。そんな愛娘に、気持ちを伝えることをなぜ躊躇う必要があるだろうか。


 王妃はハッキリと告げる。今も昔も変わらずに愛しい、何よりも尊く、何よりも美しいと心底から思う娘に、王妃自身が、とても長い間気づけなかった思いを。


「――愛しているわ、マルガレータ」


 マルガレータの頬に涙が光る。果たしてそれは、母の涙か、娘の涙か。

 ドロシィにわかるのは、王妃がその言葉を告げた途端、白雪姫の呼吸が嘘のように落ち着いたということだけだった。

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