戻ってきた話【単話】
浅利ひめか
ぼうけんの終わり
――沈んだ意識が、ゆったりと浮上した。
気だるげな身体を動かさず、重たい瞼を慎重に持ち上げる。
そこには『見知らぬ天井』ではなく、『宿らしいしっかりとした簡素な天井』でもなく、『授かった豪邸の天井』でもない。
「――……ああ」
至って、ごく一般的な古民家の、一般的な天井。
物心着いた時から眺めていた『私が知る天井』が、そこにあったのだった。
「……わたし、帰ってこれたんだ」
ぽつりと、心の声をそのまま口に出した。
ひとりごとに対して反応し、「頭でもおかしくなったか?」とからかってくる人の声もなければ、「モーニングティーでも飲みますか?」と世話焼きな人の声も、何も続いて聞こえることは無かった。
わたしにとっての『当たり前』の日常の始まりが、ここにはあるのだと言う事実に、やっと頭が追いついてきた。
滲んできた世界を直そうと腕を上げると、もうずっと見てなかった寝巻きの袖が見えた。
「この柄、ダサくて、次のお給料が入ったら新しいの買って、捨てようって思ってたのになぁ……」
娘の好みが分からない父親が、喜ぶだろうと壊滅的なセンスで買ってきた寝巻き。わたしのマイブームのゆるキャラの柄だと思って買ったらしいけど、全然違くて貰った時はめちゃくちゃに怒った。
「――……やば、こんなので……っ」
決して、あの場所にわたしの居場所が無いわけではなかった。突然現れたわたしを腫れ物のように扱うことも無く、すごく良くしてくれたも思うし、友好を築いていたと思う。
『当たり前の生活』では決して経験することもなかった、涙が枯れるんじゃないかってぐらい泣いた悲しいことも、このまま死にたいと思ったぐらいの辛いこともあった。
けどその度に周りに支えられて、自分を立て直して。
なんだかんだで上手くやれた。
けれどそれは、どれも『帰る』ための努力だ。
それがやっと終わったんだと。
もう頑張らなくていいんだと。
「……うっ…、ひっく……、終わったんだぁ……」
(戻ったら何をするの?)
(んー、とりあえず帰ったって家族に挨拶かな)
(……時間軸は動かさないから、君の世界で帰還の挨拶をすると不審がられるのでは?)
(いーのいーの、形式美ってやつだから!)
決戦の前夜に話した時は、こうなることなんて予想がつかなかった。そんなことを言いながらも、なんだかんだで布団にもぐり、だらだらとした後、『いつも通り』の日常を過ごすものだと思っていた。
けれど実際は、ただ目を開けただけで、寝巻きの裾を見ただけで、こんなにも弱い生き物になった。
あんなに会いたいと願っていた家族に、まだ顔を合わせていないのに、出だしから挫けている。
「――……このままだと、ごはん、たべれないなぁ……」
戻ってきたら、2人にただいまって言っていうんだと決めていたのに。そこでやっと、私の旅は終わるとおもったのに、既に満身創痍。帰ってきた実感しかない。
でも、やっぱり決めたことはやりたい。
時間はまだ朝。確か今は日曜日だったはずだ。
『いつもなら』お昼過ぎまで呑気に寝てるから、暫く出ていかなくても大丈夫。
今このメンタルでリビングに行って、お母さんの手料理食べたら、今度こそ涙が枯れるまで泣いてしまう気がする。
「あと、もう少しだけ休んで、それからにしよう……」
今度は、布団の温かさを噛み締めるように抱き抱え、再び意識を深い回想に潜らせたのだった。
戻ってきた話【単話】 浅利ひめか @HR_tuna
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