第四十三話 日前の当主

「さて、わたしたちも始めようか」

「支度は整っております、皇子様みこさま

 千歳と白兎が出かけてから数刻後、草壁は兼良と共に宮を出た。

 向かう先は、兼良の実家である日前ひさき家。当主である兼良の父と面会するための段取りは、既に兼良がつけてくれている。草壁は約束の時刻に本家を訪ねれば良い。

 日前は、安曽あそう家と共に草壁を大王に擁立しようとしている一派だ。

 安曽は日前や藤屋、佐庭に比べて家柄としては劣るが、当主は社を束ねる職を代々務める由緒ある家である。決して力は強くないが、万が一敵と認識されれば死後恐ろしい場所に堕とされる、とまことしやかに噂されているとか。

 対して日前家は、藤屋家と正面からぶつかることの多い家だ。冠位もそれ程変わりなく、都で唯一藤屋の勢いを止められるかもしれない家柄だと言われている。

 その日前家本家の前で、草壁は足を止めた。

「……丁度、か?」

 空を見上げると、真上の少し前に日の光がある。午前の今、その温かさが緊張で冷えた体には具合がいい。

「行きますよ、皇子様」

「ああ」

 兼良に誘われ、草壁は邸の中へと吸い込まれた。


 家人によって通されたのは、邸最奥の主の部屋だった。出された白湯を飲み干す前に、日前の当主が目の前に現れる。

「お元気そうで何よりでございます、草壁皇子様」

「あなたもご健勝だな、日前さん」

「お蔭様で」

 日前は深々とお辞儀をすると、ちらっと息子を見た。兼良はそれに気付き、目礼を返す。

 草壁よりも二十は年嵩の男は、息子と同じ柔和な笑みを浮かべている。しかし、草壁は彼の別の面も知っていた。

「さて、今日はどうなさったのですか? あなたさまがこんな所に来られるのは珍しい」

「……都の表も裏も知るあなたを見込んで、頼みがあるのです」

「頼み」

 それは何か、日前は首を傾げる。

「はい。……藤屋と佐庭の狙いを知っていたら、教えて頂きたいのです」

「狙い、ね」

 不意に考え落ちて、日前は腕を組んだ。天井を見上げ、呻き声を上げる。

「日前とはいえ、藤屋たちの目的を知るのは難しいでしょうか?」

「なに、難しくはない。ただ、知りたい理由を聞こうか」

 別に、藤屋たちをかばう意図は一切ない。ただ、草壁たちが何をしようとしているのかを知りたいのだ。日前はそう言って微笑んだ。

 ここで隠しても仕方がない。隠せば隠すだけ、目の前の相手からの信頼は得られなくなるのだから。

 草壁は頷き、日前の目を真っ直ぐに見つめて唇を開いた。

「わたしは、友を助けたいのです」

「友、ですと?」

「はい。わたしが大王の皇子だと知ってもなお、傍にいて笑ってくれる友です。兼良を始めとして、皆他には変えられません。だから、拐かされた彼女を助けるための材料が必要なのです」

「成る程」

 日前は草壁の瞳を見返した。その眼光は鋭く、見る者を臆させるものであったが、草壁は屈しない。

 二人が互いを見詰めること、暫し。

 先に音を上げたのは日前だった。

「参った、参った」

 そしてからからと小気味良く笑うと、実の息子に楽しそうな顔を向ける。

「兼良」

「はい」

「良きあるじに仕えているな。この方と共にいれば、飽きること等ないだろう?」

「はい。この方と、この方を慕う者たちと共にいれば、わたしは飽きる等ということとは無縁です

「はっはっは! 相違ないな」

 作り物ではない本物の笑みを草壁たちに見せ、日前は「宜しいでしょう」と二人を認めた。

 そして、ふと表情を改めた。その顔はまつりごとを司る男の顔であり、草壁と兼良は身を引き締める。

「……ご存知の通り、藤屋と佐庭はあなた様ではなく、大津皇子様を春宮にと望んでおります。あなた様よりも年下の皇子の方が御しやすい、そう考えておるのです」

 これから話すことは、事が起こった後に調べさせて明らかになったことだ。そう前置きし、日前は重い口を開いてくれた。

「春宮になることを阻止するために、最も簡単な方法はあなた様を亡き者とすることです。ですから女官を使い、時には食事に毒を混ぜ、あなた様を殺そうとしました。……全て、失敗に終わっていますがな」

「そんなことも、ありましたね」

 命を狙われ過ぎて、逐一覚えて等いない。

 しかし、と日前は続ける。

「こちらを主導しているのは、佐庭でしょう。藤屋は、このような小細工は致しません。ただ、真っ直ぐに向かって来ますよ」

「……少し前、皇子様の友の一人が殺されかけました。それも、佐庭でしょうか」

「そう考えて良いだろうな、兼良。だが失したことで、藤屋が動き出す可能性はある」

 父の言葉に、兼良は瞠目した。どういうことか、と問う。

「簡単なことだ。―――あやつは、その友を確実に殺しに来る。その友の名は?」

「……千歳」

「時折、その名は耳に致します。兎も角、その千歳を殺すことで、あなた様の民からの信頼は失墜するでしょう。むざむざ友を殺された皇子、格好の餌ではありませんか?」

「成程、ね」

 日前の言葉に、草壁は納得した。

 勿論、友を永遠に喪った皇子に同情する声もあろうが、人はそんな者ばかりではない。傷につけ込み、塩を塗りたくり、それを喜びとして日々を過ごす者もいるのだ。それが現実だ、と草壁は悲しげに微笑む。

「ではわたしたちは、必ず阻止しなければなりません。……ただ信頼を失うのが怖いのではなく、友を喪う怖さを知りたくないですから」

 草壁は姿勢を正し、指をついて日前に礼を言った。

「ありがとうございます、日前さん。お蔭で、戦う心構えが出来ました」

「それは何よりです」

「最後に一つ、宜しいでしょうか」

 声を低め、草壁は問う。日前と兼良も身を乗り出し、草壁の言葉に耳を傾けた。

「わが友の一人、葵が囚われている可能性の最も高い場所をお教え願いたい。もしくは……あなたが人質を捕えておくとしたら何処にするか、を」

「……代々の当主は、この地の下に穴を掘っておったそうです。一つの部屋のようなそれに、罪人つみびとを閉じ込め、隠したとか。恐らく、佐庭の邸にも同様なものがありましょう」

「ありがとう。あなたがこちら側の方で、本当によかったと心から思います」

 草壁は居ても立ってもいられず、兼良を伴って邸を出た。千歳と白兎が帰って来次第、動きを考え実行に移さなければならない。

「……皇子様、どうか進みなされ」

 彼らの後姿を穏やかに見送った男は、そう呟いて目を閉じた。

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