第四十二話 勾玉

 千歳と白兎は森を抜け、山を越えた。白兎の曖昧な記憶もあって、夜の帳が下りる直前になりようやく目的地の村へと足を踏み入れることが出来た。

「見ない顔だな? 何者だ」

 踏み入れることが出来たと書いたが、実際は村の番人に足止めされた。番をするのは二人の男で、右に立つ細身の男が千歳と白兎を睨み据える。

「おい、おっさん。ここ通してくれよ!」

「俺たち、八咫に会いに来たんです。彼をここに呼んでください」

「八咫? あいつの知り合いだと。……ちょっと待ってろ」

 喧嘩腰の白兎ではなく冷静な千歳の言葉に頷いた万人は、左の男に後を任せると村の中へ消えていった。

 しばらくすると、タタタッと軽い足音がこちらへとやって来る。夕闇から現れたのは、浅黒い肌の少年だった。

「八咫、元気か?」

「驚いたよ。白兎、千歳。どうしたの?」

「詳しくは、八咫の家で話すよ」

 番人たちは千歳たちの親しげな様子から危険はないと判断し、二人を村の中へと入れてくれた。彼らに礼を言って、千歳と白兎は八咫の家へと誘われる。

 火を灯して薄明かるくなった室内で、三人が互いの顔が見えるように座る。

「八咫、お姉さんは?」

「姉貴は用事があって出掛けてる。もうすぐ戻ると思うけど」

 八咫には黒羽くろはという名の姉がいる。勝ち気で村の男に口では負けないが、困っている人を放っておけない優しい性格の人だ。

 後で紹介する。そう言った八咫に、千歳は話を切り出した。

「実は、頼みがあって来たんだ」

「何かないと来ないとは思っていたけど、頼み?」

 かくっと首を傾げた八咫に、千歳と白兎は頷いた。そして、千歳が切り出す。

「───おれに、女王めのおおきみの勾玉を譲って欲しい」

「その理由は?」

 驚きはしたものの努めて冷静な態度で、八咫は問う。彼の真剣な目に、千歳も同じく真剣な目を向けた。

「おれの『先眼さきのめ』の力を安定させ、葵を助け出す。そして、草壁皇子様を排除しようとする一派を黙らせる」

「葵が、囚われたの?」

「そうだぜ、八咫」

 動揺した八咫に、白兎が首肯する。そして、葵が拐われた経緯を簡単に説明した。

「そんなことが……」

「そうなんだ。だから、お願いする。おれに、勾玉を譲って欲しい!」

 絶句する八咫に、千歳は頭を下げた。それを見て、八咫は目を瞬かせて慌てる。

「ちょっ、頭を上げてよ! それに、僕一人では判断が……」

「話は聞かせてもらったわ」

「「「!!!」」」

 千歳たち三人が声のした方を振り返ると、家の入り口に女人が立っていた。八咫と同じ浅黒い肌に、艶やかな黒髪をなびかせている。

「姉貴……」

「あなたが?」

「ええ、宜しくね。千歳、白兎」

 にっこりと微笑んだ黒羽は、ずんずんと家の中に入って来ると八咫の隣に腰を下ろした。そして、思わぬことを言い始めたのである。

「勾玉を守り伝え、管理しているのはうちらだから。村長の補佐を務めるうちが、勾玉の所まで案内するわ」

って……」

 千歳の目が、気まずそうにする八咫へと向けられる。驚きに染まった千歳と白兎を見て、八咫は小さな声で「ごめん」と呟いた。

「言えばよかったんだけど、僕よりも姉貴の方がその役割を担っているから。僕の一存ではどうも出来ないんだ」

「気にするなよ、八咫。お姉さんにも聞いてもらった方が良いのは確実なんだから」

 ですよね、と千歳は黒羽を見る。

「そうね。うちらは代々、勾玉とこの村を見守る役割を任じられている。そしていつか……いつか女王の生まれ変わりが現れたなら、勾玉を返さなければならないという約束をしているの」

 だから、と黒羽は立ち上がった。

「この暗闇は、丁度良い。ついてきて」

 黒羽に誘われ、千歳たちは村の奥へと進んでいく。


 山裾にあったのは、小さな祠だった。石と木で作られたそれには、格子戸がついている。

 黒羽は祠の前に立つと、千歳を手招く。彼を隣に立たせ、祠を手で指し示した。

「この格子の向こうに、あなたの求める勾玉が眠ってる。格子は、女王にしか開けられないしゅがかかっているの。だから、あなたが女王でなければ開けられない」

「反対に、おれが女王ならば……開く」

「その通り」

 頷いた黒羽は、千歳を促す。振り返れば、白兎と八咫が固唾を呑んで見守ってくれていた。

 ごくん、と喉を鳴らす。千歳は手を伸ばし、格子戸に手をかけた。

 瞬間。

 ───カチッ

 何かが切り替わるような音がして、押しても引いてもいないのにスルスルと戸が開いた。そして、祠の奥から淡い翠の光が放たれる。

「……」

 ごくん、と喉が鳴る。千歳はそっと手を差し入れると、丁寧に祀られた勾玉を手に取った。

「懐かしい」

 それは、見事な翡翠の勾玉だ。濁りがなく透明で、向こう側が透けて見える程。

 大きさはそれ程なく、千歳の中指と同じくらいだ。昔紐がついていたのか、勾玉の穴は少し擦れている。

 夜空に掲げ、千歳は目を細めた。

「……うん、おれのだな」

 この勾玉は、女王であった頃の千歳が肌身離さず身に付けていた宝物だった。誰にも明かしたことはないが、幼馴染の男─現世の葵─に貰ったものなのだ。

 翡翠は、この国のある特定の場所でしか採れない。その原産地に自ら赴き、その身を守ってくれるようにと贈られた。よく覚えている。

 勾玉の表面を撫で、千歳は懐かしさに心を震わせた。

「何か、変化があったりするのか?」

 白兎が、何となく気後れしながらも尋ねてくる。千歳は勾玉を胸に抱くようにあて、言葉を紡いだ。

「───『この身に宿る先を視る力よ。我が心に応えよ』」

 その声は、普段の千歳のものとは違った。まるで何か得たいの知れない何かが乗り移ったかのように、神々しく見えたのだ。

 そう、まるで……国を治める女王の威厳とたおやかさを併せ持つような。

 千歳が唱えると、勾玉がそれに応じるように点滅した。そしてその光は徐々に淡くなり、やがて千歳の胸に吸い込まれた、

「……これで、戻ってきた」

「本当か? 何処か、気分の悪い所とかはないのか?」

「大丈夫だよ、白兎。これで、視たいものと視たくないものを選り分けられるようになった。そして、加減も出来る。……前触れもなくっていうことがなくなったんだ」

 これで、突然頭痛などの痛みに襲われることはない。それが嬉しくて、千歳は安堵の顔で微笑んだ。

「白兎、帰ろう。帰って、葵を探すぞ」

 八咫と黒羽にお礼を言うと、千歳は白兎を急かした。白兎もそれは望む所であったから、しっかりと頷き走り出した。

「またな、八咫!」

「村に戻る前に、必ずまたここに来るから!」

「わかった! 元気で」

 大きく手を振る八咫と黒羽に見送られ、千歳と白兎はもと来た道を突っ走るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る