第三十七話 新たな決意
白兎が見た黒衣の男は一度佐庭の邸に入り、しばらくして出て来た。その足で何処かへと向かうのを確かめ、白兎は邸に侵入した。
「黒い男のことも気になったが、佐庭が何をしているかも重要だからな。……まさか、その男が千歳を襲うなんて思いもしなかった」
男を追えばよかった、と白兎は後悔を
「……俺は、佐庭の自室を目指した。前に一度忍び込んだことがあったから、すぐにわかったんだけど」
足音をたてず見張りにも気付かれずに進んでいた白兎は、部屋からの声に耳を澄ませた。ぼそぼそと秘密の話でもしているらしい。
一人は、佐庭の当主だ。そしてもう一人は、白兎にとって聞き覚えのない男の声だった。
「―――藤屋の当主には失望した。まさか、あそこで退出するとは」
「しかし、それは賢明だったのでは? あの場で退くことを迫ったとて、今の大王が承知なされなければどうしようもないのですから」
「っ、お前などに何がわかる!? ただの雑草無勢が!」
がたんっと佐庭が立ち上がった気配がする。しかし声を荒げられて罵倒されようとも、相手の男の冷静な声色は変わらない。
「……佐庭様、誰かに気付かれては全てが無に帰します」
「―――っ。……お前の言う通りだな」
渋々といった様子で座り直した佐庭は、再び声を潜めた。疑念を拭いきれない声で、男に話しかけている。
「しかし、あの話は本当なのか? 失われた国の
「信じるも信じないもご自由です。ですが、これに関しては、既に都全体に噂が広がっております。……そして、放置しておけばあなた方の思う通りに歴史は進まない」
「わかっている。だからこそ、その進む方向をこちらに引き寄せるためにお前たちを呼び出したのだからな」
苦々しく思いながらも、佐庭は男の言うことを素直に聞いているらしい。更に話し合いを始めた二人の会話を床下で聞きながら、白兎は冷や汗が止まらない。
(千歳のことが知れ渡っているのか? なら、早くこいつらの企てを潰さないとあいつらまで危険に晒され……)
「……誰か、いるのか?」
(―――!)
白兎は身を縮こまらせ、息を殺す。丁度真上にいるであろう佐庭の相談相手が、白兎の気配に気付いてしまった。
必死に息を殺し、口を両手で覆う。やけに胸の奥の音が耳元で鳴り、白兎は死をも覚悟した。
しかし、幾ら待っても床の上から刃物が突き立てられることはない。体勢をそのままに耳を澄ませると、佐庭の「どうかしたのか?」という声が聞こえた。
「いえ……。鼠でもいたようですね」
「鼠、か。今度床下や天井裏も掃除させよう。そんなものがはびこっていては、おちおち穏やかに眠ることも出来ないからな」
「ええ。そうして下さい」
どうやら白兎を鼠と勘違いしてくれたようだ。ほっと胸を撫で下ろした白兎は、その後もしばらく床下で耐えていた。
「―――では、そのように。こちらも終わりましたら繋ぎをつけましょう」
「ああ、頼むぞ」
話し合いが終わったらしい。白兎は出て行く隙を掴めず、佐庭の相手が出て行くのを待つことにした。
「……あ、そうそう」
部屋を出ようとしたらしい男の声に、白兎は意識を集中させた。佐庭も少し驚いたのか、どうしたと聞く声がかすれる。
「女王の過去世を持つらしい子どもを、我が部下が追っております。良い知らせを持ち帰ることでしょう」
「おおっ、そうか! その者が死んでしまえば、こちらの思い通りに事が運びやすくなる。流石は、陰の者だな」
「お褒めに預かり光栄です。―――では」
今度こそ、男は邸を出て行った。佐庭も緊張が切れたのか、ほっと息をつくと何処かへ行ってしまう。
(……かげの、もの)
しばしの間様子を見ていた白兎は、何者の気配も感じなくなった時を見計らい、そっと邸を後にした。
まずは、襲われたらしい千歳の無事を確かめなければ。白兎は邸の屋根を伝い、息を切らせて草壁の宮にまで戻って来たのだ。
「ということは、その男の部下におれは襲われたってことか」
白兎の話を聞き終わり、千歳はそう言って納得した。
「確かにおれの存在は、大津皇子様を大王にしたいと望む奴らからすれば邪魔だろうからな」
「冷静に自分の立場を分析してんじゃないぞ、千歳。お前も草壁皇子様同様に命を狙われてるってことなんだからな」
「わかってる。わかってるけど、慌てたって仕方ないだろ。おれは死なずに生きてるんだから、まずはそいつの企てを一つ潰したんだしな」
白兎に詰め寄られ、千歳は傷をさすりながらそう応じた。まさにその通りなのだが、白兎は葵に矛先を向ける。
「葵はどう思う? 千歳、もう少し焦ったり心配したりしても良いと思うんだけど」
「そ、そうかもしれないけど……」
突然白兎に睨まれた葵は、たじたじになりつつも千歳の横顔を見る。そして、細い指を膝の上で握り締めた。
「―――決めた。わたしも戦う」
「「……は?」」
葵の宣言を受け、千歳と白兎は同時に眉間にしわを寄せた。何を言っているんだという表情で見つめられ、葵は「だから」と言葉を続ける。
「今まで、千歳や白兎に戦わせてばかりだった。だから、わたしも武器を取る。……今度こそ、一緒に生き抜くために」
「何言ってるんだ、葵。男が傷つくのは仕方ないが、女のお前も傷つく必要は―――」
「……葵の前世は、弓矢が得意だった」
葵の申し出を断ろうとした白兎の言葉を遮り、千歳が呟く。それ程大きくない声だったにもかかわらず、彼の言葉は葵と白兎を黙らせた。
目を丸くする二人に、千歳はため息交じりに微笑む。
「お前が隣にいてくれたら、何より心強い。……だが、恐ろしい目に合うかも知れないぞ」
「……あなたがいないことを考えるより恐ろしいことなんて、わたしには無いよ」
「なら、いい」
ふっと息で笑い、千歳は白兎に向き直る。白兎は未だに驚きを隠せていない様子だ。
「白兎、おれからも頼む」
「……わかった。なら、これから特訓だ」
甘くはないぞ、と念を押す白兎に、葵は笑顔で頷いた。
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