第三十八話 特訓と決意

 翌日早朝。葵の姿は白兎の家の庭にあった。

 そこは以前、草が好き勝手に生えた草むらだったが、現在は違う。昨晩白兎と葵、千歳の三人で草抜きをしたのだ。お蔭で、指には切り傷がある。

 しかし、見通しが良くなった。庭の端から向こうの端までを見通すことが出来る。

 葵は今、白兎の家に放置されていた弓矢を構えている。庭の端の的を狙うのだ。

「真っ直ぐ的を見て、でも矢をただ真っ直ぐつがえては駄目だ。少し弧を描くように飛ばしたいから……」

 まだ青空の見えない白んだ空の下、白兎が葵の側に立っている。弓矢に不馴れな葵を指導しているのだ。

「こ、こう?」

「そうそう。で、矢を……」

 今世では触ったことすらない弓矢に四苦八苦しながら、葵は動きを体に覚え込ませていく。何度も何度も同じ動きを繰り返す内、徐々に動きが滑らかになっていく感覚がある。

 何十本の矢を射ただろうか。日が空を昇り始め、もうすぐ草壁の元へ行かなければならないという刻限。

 ───パァンッ

「……やった!」

 涼やかで鋭い音を響かせ、矢が的の真ん中を射た。まさかあたるとは思っていなかった葵が、グッと両手を握り締める。

「凄いな、葵!」

「流石だな」

「へへっ」

 白兎と千歳に褒められ、葵ははにかみ喜びを表した。的の元へ向かうと、葵は突き刺さった矢を抜く。

(……少しは、千歳たちの助けになれるかな)

「おーい、そろそろ行くぞ」

「あ、はーい」

 葵は外した矢と的にあたらず落ちていた矢を回収すると、回れ右して二人の仲間のもとへと駆け出した。


「へえ、弓矢を?」

「はい。……少しでも、手助けになれればと思ったんです」

 いつも通りに草壁のもとへ出仕した葵は、草壁にそう言って頷いた。彼女の手元には、特訓で使用した弓矢が握られている。

 弓矢を見せてもらった草壁は、それを大事に扱った。しげしげと観察しては、葵と白兎に話しかけている。

「……」

 自ら危険な場所に飛び込もうとしている葵を頼もしく思いつつも、千歳の心は複雑だ。楽しそうに笑う葵を離れて見つつ、若干険しい表情をにじませる、

「千歳?」

「兼良さん」

「どうしたんだい? そんなに険しい顔をして」

「そんな顔してましたか、おれ」

 目を瞬く千歳に、兼良は苦笑気味に頷く。とんっと千歳の眉間を指で弾いた。

「ここ、ぎゅーってシワが寄ってる。何か思うところでもあるのかな?」

「……はい」

 葵たち三人の様子を遠目に見ながら、千歳は素直に頷いた。誰かに言うべきではないのかもしれないが、誰かに聞いてもらいたい気持ちだ。

「おれには、女王めのおおきみであった時の記憶を持っています。だから、この力の有用性も危険性もわかっているつもりです。そして今世の『千歳』として、皇子様たちを守りたいです」

「うん」

「でも、葵には前世の記憶はないと思います。残っているとしても、きっと出てくることはなく仕舞われたままでしょう。……今も、ただおれにお置いて行かれたくないから戦おうとしています。あいつが持つのは、誰かを傷つける武器です。独りよがりだとわかっていても、おれは葵が誰かを刃で傷付けるのを見たくないんです」

「……」

 俯いた千歳には、兼良がどんな表情をしているのかはわからない。「そうだね」と肯定されるのか、「間違っているよ」と否定されるのか。

 千歳はしばし沈黙した後、自嘲を含んだ笑みを浮かべて兼良を見上げた。だらだらと思ったことを一方的に喋ってしまった、と申し訳なく思った。

「すみません。愚痴になってしまいま……」

「千歳、きみは優しい子だね」

「え───」

 千歳は呆然と立ち尽くした。まさか、兼良に柔らかく抱き寄せられるとは思いもしない。そして、かけられた言葉も意表を突くものだ。

「ちょっと、兼良さ」

「やはりきみに、千歳に皇子様の傍にいてもらってよかった」

「……」

 全てを包み込まれた気がして、千歳は目を閉じた。すると、兼良の温かさが伝わってくる。

「千歳。これから激しい物理的戦いがあるのかどうかは、わからない。だけど、もしもきみが葵を置いて一人で戦い傷付けば、葵はとても悲しむよ」

「それはわかって……」

「ああ、そうだろうね。だけど、そういうことなんだ」

 千歳の反論を塞ぎ、兼良は千歳を離して目を見詰める。

 千歳が、葵が傷付くのも傷つけるのも嫌なのと同じく、葵も千歳が傷付くのも傷つけるのも嫌だろうということである。

「誰も傷付けないということは、おそらく無理だ。だから、大切なものを守るためにどうすべきがを一緒に探して実行しよう」

「そう、ですね」

「とても難しくて、たぶん達成は出来ないけどね」

「ははっ。最初から諦めてどうするんですか」

 兼良の言葉に吹き出し、千歳は笑った。すると少し心が軽くなった気がして、眉間のしわを指で伸ばした。

「兼良さん」

「ん?」

「おれ、今のおれがしたいことをしようと思います。……それが、間違っていないと信じて」

「ああ、そうするといい」

 ぽんっと背中を兼良に叩かれ、千歳は不意を突かれて体勢を崩す。このまま転ぶ、そう思った瞬間だった。

「―――っと、大丈夫?」

「葵」

 ぱしっと千歳の腕を掴んで転ぶのを防いだのは、先程まで草壁たちと話していた葵だった。弓と矢を抱えていることから、話は終わったらしい。

「……」

「あの、千歳? 引っ張り過ぎた?」

 転ばなかったものの黙ったままでいる千歳に、葵は不安になって声をかけた。そっと千歳の手に触れると、彼はびくっと反応して手を引こうとした。

 しかし、思い留まって葵と手を繋ぐ。

「ちと、せ……?」

 葵は真っ直ぐに千歳に見つめられ、思わず赤面する。恥ずかしくなって目を背けるが、千歳に「葵」と名を呼ばれておずおずと目を合わせる。

「葵。何があっても、必ず護るから。……一緒に、村に帰らないといけないからな」

「―――っ、うん」

 都に来てしばらく経ち、暮らしにも慣れてきた。しかし二人の故郷はここよりも北にあり、家族が彼らを案じている。

 遠からず、帰らなければならないのだ。

 時間制限はいつか訪れるが、その前にやるべきことがある。

 千歳の決意を受け止め、葵はしっかりと彼の手を握り締めたのだった。

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