第二十三話 兼良の家
この国には、家というものがある。それは一族をまとめる記号であり、個人を特定するまとまりを示すものでもある。
全ては家から始まり、個人へと帰る。そして、それは国の中であっても同じことだ。
その理由は、家へ帰ることにある。
宮を牛耳る四家の一つである
草壁皇子の宮から少し離れた屋敷地まで、兼良は月を見ながら歩いた。
今夜は皇子の傍に白兎がいてくれることになっている。また千歳と葵もある程度の時刻までは起きていてくれるだろう。自分よりも幼い彼らに大役を任せるのは、常識ならば気が引けよう。
しかし、兼良にそんな認識はない。
「彼らは、心から信頼するに足る子たちだから、ね」
白兎は両親すら不明の孤児であるし、千歳と葵は遠く北の村からやって来た元防人とその幼馴染である。この宮の中で力を持つことは出来ずとも、皇子の信頼を勝ち得た逸材だ。
対する兼良はというと、所謂貴族階級の息子だ。有力豪族の出というだけで色目で見られ、ありもしない噂話を流されて何度か酷い目に合った。
しかし、同様かそれ以上に草壁皇子に出逢ったという幸運を招き入れたのもまた、皮肉にも家という存在だ。それに感謝こそすれ、兼良はやはり家が苦手だった。
「……はぁ、戻りたい」
邸の入口まで着いたものの、気乗りがしない。
(どうせ、父上は皇子様のご様子を知りたがるだろうし、母上は無駄に縁談を押し付けてくるのだろうな)
父は家を第一に考え、草壁皇子を大王とすることで盤石の地盤を得ようと躍起になっている。また母は、家を存続させるために兼良に縁談をと毎回口癖のように迫ってくるのだ。大抵、日前家の分家筋か安曽家の本家筋の娘をというのがお決まりだ。
兼良には、まだ誰かを娶りたいという意思がない。それよりも、草壁皇子を支えたいという気持ちの方が強いのだ。
しかし、つらつらと考えに身を任せていても嫌なことは先延ばしには出来ない。兼良は諦めて邸に帰宅を告げた。
「お帰りなさい、兼良」
「ただいま帰りました、母上」
侍女らと共にやって来た母は、兼良を世話しようと手ぐすねを引くのが常だ。しかし、今回は何かが違う。いつもの騒がしい物言いが鳴りを潜め、若干神妙さを帯びている。
「どうなさったのですか、母う……」
「兼良。父上がお待ちです」
「……?」
有無を言わさぬ強い口調で言われ、兼良は思わず頷いた。
少ない荷を侍女に預け、兼良は邸の奥にある父の部屋を目指す。
兼良は父が少し苦手だ。堅物で融通の利かない頑固な父。あまり、笑ったところも見たことがなかった。
「失礼致します。父上、兼良です」
「入れ」
短い返答を受け、兼良は丁寧な動作で父の前に座った。口上を述べようと口を開くと、ほぼ同時に父によって遮られてしまう。
「お前は知っているか? 今、宮に流れている噂を」
「……あの『失われた王国の末裔が生きている』というものですか?」
「そうだ。そしてこちらも小耳に挟んだのだが、草壁皇子様がその国を
鑑、つまりは手本にしたいということだ。草壁皇子がその幻の国を国造りの手本として目指していることは、兼良も知っている。そして、それを近くで支えていきたいと願っている。
(だが、父上の考えは違うのか?)
兼良は若干の違和感を覚えつつ、隠してもばれるかと正直に頷いた。
「ええ。皇子様は『争いのない、心豊かな国』を造りたいとおっしゃっています。そして、私は皇子様の傍でその実現を手伝う所存です」
「争いのない、心豊かな国、か。夢のような話だな」
「夢だとしても。それでも皇子様が目指される限りは、傍で支えます」
「そうか……」
父は目を閉じ、何かを考えているようだ。しかし、その内容を息子に告げることはなかった。
ゆっくりと目を開け、わずかに目を細める。
「明日も早いのだろう。皇子様に宜しく伝えてくれるか」
「はい。必ず」
失礼致します。兼良がそう言って辞すと、彼の父はふっと短く息を吐いた。
「……兼良、皇子様を支えよ。決して迷わぬよう、揺るがぬよう」
家というものに縛られた者には、草壁皇子の崇高な願いを支えることは出来ないだろう。その点、兼良は違う。
男は己の後ろに置いていた木簡を取ると、その中身を流し読みして嘆息した。
翌朝、兼良は日の出前に邸を出た。母は今回縁談をちらつかせることはなく、それどころかあまり宮のことを自ら聞こうとはしなかった。それが楽であり、不安でもある。
「母上。父上と共に息災にお過ごし下さい」
思わず、邸を出る際に口から出た言葉だ。ほとんど家に帰らないことへの後ろめたさもあったのだが、母は予想外だったようで嬉しそうだった。
自邸を出て、ゆっくりと草壁皇子のもとへと向かう。徐々に足は速くなっていくが、兼良に自覚はない。
「ただいま戻りました、皇子様」
「お帰り、兼良」
いつものごとく庭を見ていた草壁は、兼良の姿を見て笑みをこぼした。
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