第二十二話 桃が繋ぐ

 葵は仕事の合間、時折仲良くなった女官たちと立ち話をしている。今日も昼餉ひるげの後、呼び止められて話し込んでいた。

「でね、女官長ったら酷いのよ!」

「うんうん。そんなことがあったんだね」

 相づちを打ち、葵は彼女の話を聞いてやる。どうやら朝から大きな失敗をして、こっぴどく叱られてしまったらしい。

 彼女の訴えに耳を傾け、共感する。それが求められていることだと肌で理解しているからだ。それに、葵も叱られるのは嫌だった。

「じゃあ、またね。聞いてくれてありがとう!」

「うん、また」

 友人と別れ、葵は草壁や千歳たちが待つ宮へと足を向けた。午後も彼らと共に仕事をする。まだまだ足手まといの傾向が強いが、葵は彼らの指導が的確なために少しずつ能力を上げていた。

 葵の懐には、話を聞いたお礼として女官から貰った小さな桃が入っている。早くそれらを友人たちと食べたくて、ついつい足が速まった。

「きゃっ」

「わっ」

 角を曲がった直後、葵は前から来た何者かと鉢合わせてぶつかった。どすん、と音をたてて葵が尻もちをつく。その拍子に、桃が一つ転がり出た。

 慌てて桃を追おうとした葵より先に、桃が誰かの手で拾われる。その手の主を見上げると、丁寧に腿に着いた砂を払い落とす壮年の男の姿があった。深緋のほうを身に着け、決して低い身分の人ではない。

「申し訳ない、怪我はないかい?」

「あ、ああいえ。ありがとうございます」

 葵は差し出された手を掴まず平伏するか否かを考え、しかし取らないのも失礼かと思い直した。男の手を借りて立ち上がり、桃を受け取る。

「ありがとうございます。そして、申し訳ございません。お怪我はありませんでしょうか?」

「私は問題ない。それに、きみも怪我はないようだ。こちらこそ申し訳なかったね」

「いえ……」

 人の良さそうな笑みを浮かべ、男は葵の顔を見た。

 身分の高い者は、身分の低い又は身分を持たない者に対する関心が薄い。そう聞いていた葵だったが、目の前の男はそうではないようだと安堵した。

 丁寧に腰を折り、礼をする。

「申し訳ございませんでした。では、仕事がありますので失礼致します」

 本来、葵のような者が深緋の袍をまとうような人物とお目にかかる機会などない。その出会いに対する驚きよりも、皇子の傍に戻らなければという意志を先行させた葵が身を翻す。

 男もそれを止めることなく見送った。

「……あれが、草薙皇子様に仕える地方豪族の娘」

 男は笏を口元にあて、意味ありげに微笑んだ。そして、音もなく現れた者に言伝ことづてを預ける。

「頼んだぞ」

「はっ」

 影が消えると、男の目から先程の人の良さそうな光は消えていた。

「ようやく見つけたぞ。失われた国の欠片を」


「ただいま戻りました!」

「おかえり、葵」

 駆け足で帰ってきたために上がった息を整える葵を待ち、草壁皇子はまなじりを下げた。その傍から、千歳も顔を出す。

「遅かったな。まーた女官にでも捕まってたんだろ」

「あたり。でも楽しかったよ」

「ならいいけど」

 少し面白くなさそうな顔で言い、千歳は目の前の木簡に目を戻した。彼の近くには仕事を見守るように白兎がいて、千歳と葵をにやにやと見守っている。

「そうだ。皇子様、桃をどうぞ!」

「桃? ――おお、美味しそうだね」

 葵の手からこぼれんばかりの数の桃に、草壁の目が輝く。その甘い香りに誘われ、不機嫌だった千歳と面白がっていた白兎も葵の手の中を覗き込んだ。

「うまそう」

「貰って来たのか、葵」

「そう。たくさんあるからって! 兼良さんが来たら、みんなで食べましょう」

「良いね。兼良はもうすぐ戻ってくるから、そうしたら少し休もうか」

「では、それまでに少しでも仕事終わらせますね!」

 急にやる気を出した葵は、部屋に入るなり机の上の者を片付け始める。その勢いに感心していた草壁は、葵の一言に驚くことになる。

「あ、そういえば」

「何かあったのかい?」

「いえ、大したことではないんですけど。ここに戻る前に、曲がり角で人とぶつかってしまったんです。尻もちついちゃって。でもその人が、落ちた桃を拾ってくれたんです」

「――怪我は?」

 ずいっと千歳に顔を近付けられ、葵の頬が染まる。「だいじょうぶ……」と小さな声で答え、はっと我に返って草壁を見上げた。

「そ、それでっ。その人、深緋色の袍を着ていたんです」

「……深、緋」

「わ、わたし罰せられたりしませんよね……?」

 動揺を見せた草壁に不安を覚え、葵は泣きそうな顔をする。彼女を安心させようと、草壁は緩く首を横に振った。

「大丈夫。その人は他の豪族よりもきちんとした人だ。そんなことくらいで罰したりしないよ」

「そう、ですか。よかった、安心しました」

 騒いですみません。そう言って葵は再び作業に戻る。

 千歳と白斗は草壁のわずかな変化に違和感を覚えたようだったが、主から何も言われない限りは頭を突っ込まない。再び草壁から視線を外した。

 そんな中で草壁は平常の顔をしながらも、頭の中では警鐘が鳴っていた。それによって起こる動悸を、意志の力で押し留めようとする。

(深い緋色の袍。それはつまり、藤屋家ふじやけの当主の……)

 この国の中枢には、大王家の他に四つの有力豪族の家がある。それぞれに安曽あそう日前ひさき佐庭さにわ、そして藤屋という。

 安曽と日前は草壁の側につき、佐庭と藤屋は弟の大津の側についている。そして葵が出会ったのは、藤屋家の当主で間違いない。

(わたしは、彼らを守らなければ。彼らと共に、望む国を造るためにも)

 胸元の生地を握り締め、草壁は固く決意した。


 動き出す。運命とも宿命とも呼ぶべき何か、歯車が動き出す。

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