第二十四話 夢の中

「ねえ、千歳。この頃夢を見るんだ」

「夢?」

 いつものように仕事をしていた手を止めて、千歳は首を傾げた。顔を上げた先には、同様に筆を取っていた葵の姿がある。

 葵は不安に彩られた顔で、こくんと頷いた。千歳が先を促すと、夢の中身を離し始める。

「……わたしは、何処かの邸の中にいるの。そして、今みたいな仕事をしている。そうしたら、突然大きな音がして、周りが慌ただしくなるんだ」

 何かが割れるような、裂かれるような轟音に晒されたのだという。そして、たくさんの人たちの悲鳴が聞こえ、葵も腕を引かれ逃げるよう説得されるのだ。

「でも夢の中のわたしは、逃げない。わたし自身は怖いから逃げたいのに、夢の中では逃げ惑う人々と反対の方向に走り出すの」

「反対? ということは、その邸の奥ってことか?」

「そう。そして、白い幕が張られたところに行く。幕の向こう側に誰かがいる気配がして、夢の中のわたしはその手前で膝を折って頭を下げるの」

「……幕の内側に、お前が仕えている誰かがいるってことだよな」

 仕事を完全に中断し、千歳は腕を組む。葵も頷きつつ、続きを思い出す。

「わたしが『お逃げください』って必死に言うんだけど、幕の内側の人は出て来ない。……その人が何て言ったのかはわからないんだけどね。そこで起きちゃったから」

 夢の中の葵は、逃げないのではなかったのだ。むしろ、一人ではなく誰かと共に逃げたかった。しかし、目的の人物はそれを拒否した様子である。

 天井を仰ぎ、千歳は呻った。

「不思議な夢、でしょ?」

「ああ。……まるで、過去を見ているみたいだな」

「過去を?」

「……」

 葵の疑問に答えることなく、千歳は考え込んでしまった。それほど重い話題にするつもりもなかった葵は、何となく焦りを覚えて顔の前で手を振って見せた。

「そんなに深刻な顔しないでよ。ただ夢を見たってだけなんだから」

「あ、ああ。わかってる」

 目を瞬かせた千歳が、曖昧に頷いた。

 そして二人は再び仕事を始めたが、葵は千歳が少し上の空になっていることに気付く。もしかしたら自分の言葉が千歳の足かせになっているのかもしれない、そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 夕刻となり、千歳が筆を置く。

「よし、今日はこのくらいで……。葵?」

「え?」

 ビクッと反応した葵の傍に移動し、千歳が彼女の額に手のひらを触れさせる。熱はないかと確かめているようだ。

(近い、近いからっ)

 反対に熱が上がってしまいそうだと思いつつ、葵は懸命に意識をそこから逸らす。千歳は葵のそんな気持ちに気付くことなく、さっと手を離した。

「寒気でもしているのかと思ったけど、熱はないみたいだな」

「あ、うん。ないない、熱とかは」

「……?」

 目をわずかに伏せてこちらを見ようとしない葵を不審に思いながらも、千歳が彼女を追及することはなかった。それとは別に、なあ、と話を振る。

「お前さ、あの夢を何度も見るのか?」

「夢? あの夢のこと?」

「そうだ」

 千歳に頷かれ、葵は素直に頷いた。

「見るよ。数日に一回は必ずって言って良いくらいかな。どうして?」

「……いや、ちょっと気になることがあったから」

 何かを話すことを躊躇しているように見える千歳。葵はその内容を聞きたいと切に願ったが、口にしたのは別の言葉だった。

「もし、千歳が話したいって思ったら教えてよ。それまでは、待ってるから」

「葵……ありがとう」

 申し訳なさそうに、千歳は微笑んだ。

「必ず、話すから。それまで、少し待っていてくれ」

「うん、待ってる」

 千歳は何かを隠している。それに気付いたのは村にいた頃だが、葵はそれを千歳に追及したことはない。何か理由があるのだろうし、時が来れば教えてくれるだろう。

 葵と千歳は連れ立って、草壁皇子に今日の仕事の終わりを告げに行った。


 その夜、千歳の姿は白兎と共に都の中のとある邸の上にあった。

 闇に紛れる紺色の衣に身を包んだ二人は、無言で邸の中を凝視している。肌が見えているのは目と指先のみだ。それ以外は全て、紺で統一されている。

「……」

「……」

 邸の一室には小さな火が灯されており、二人の人物がひそひそと話し合っている。千歳と白兎が聞き耳を立てているとも知らずに、彼らは相談事をしているようだった。

「……つ皇子様が、兄上である草壁み……」

「としたら、そ…………ということになるな」

「それはいけ……だろう。我々の望みは……」

「やはり、あの時に―――」

 ―――あの時に、確実に殺しておくべきだったのに。

 やけに、その言葉が鮮明に聞こえた。千歳が隣を盗み見ると、白兎が拳を握り締めている。もしもこれが昼間であったなら、彼は間違いなく飛び出して行っただろう。そして、相手の胸倉を掴んだかもしれない。

「……白兎」

「わかっている」

 怒りを秘めた赤い顔をしながら、白兎は確かに頷いた。その石の強さに安堵しながら、千歳は改めて見下ろした。

 千歳と白兎は今、裏の仕事をするために暗躍している。昼の仕事を表と称するのならば、夜の仕事だから裏である。

 二人の役割は草壁皇子と敵対する、又は皇子の国造りを邪魔しかねない芽を探すことだ。見付けた場合はその証拠を得て、草壁皇子と兼良に知らせる。

 基本的には大津皇子を担ぐ家を監視するのだが、今回はその家と交流のある別の邸だ。そこで行われると掴んだ密会を確かめに来たのである。

 不意に、火が消された。部屋から誰かが出てきて、邸を後にする。千歳と白兎はその影を追うことに決め、音を殺して屋根を跳び下りた。

 邸を密かに出た人物は、そそくさと自邸へ向かう。供も連れずに不用心なものだと呆れるが、誰かを連れて企みが表に出てしまえばことだ。

「……やはり、ここか」

 人物を邸の中へと見送った後、白兎が嘆息した。

 二人が立っているのは、藤屋家の本家前だ。ちなみに、先程の邸はその分家と思われる。

「行こう、千歳。皇子様に知らせよう」

「わかった」

 二人は闇夜に紛れ、姿を消した。

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