第十話 土蜘蛛の村で

 高台から低地に下り、八咫と葵は村の入口までやって来た。

 村と外の境界には境の神が鎮座する。それに軽く頭を下げ、葵は改めて村を眺めた。入口から真っ直ぐ奥へ進んだ先に、鎮守のやしろと森が見える。現在は剥げてしまっているものの、朱塗りであっただろう二本の柱の間を進むと、小さな祠がある。

「あの中に、女王めのおおきみさまの勾玉が収められているんだ」

 あの祠は何か、と尋ねた葵に、八咫が丁寧な答えを返す。その勾玉は、翡翠で作られた美しいものだそうだ。毎年一度、祭りの日にだけお目見えする。

「何か、わたしの村の祭りと似てる」

「そうなんだ?」

「うん。一年に一度、山から神さまを降ろしてお祭りをするの。みんなで神さまに豊かな恵みと今生きていることを感謝して。……わたしの父は、村の官吏だから。神さまとの対話を担ってた」

「葵の父上は、身分のある人なのか」

 少し目を丸くした八咫が言う。葵がどうして驚くのかと問えば、身分のある人が娘を独りで外に出すなど考えられないと苦笑した。その答えを聞き、葵も微笑む。

「確かに、わたしの父上は少し変わっているのかもしれないね」

「うん。……さあ、ぼくの家に案内するよ。さっき手を振ってくれた姉貴もいるはずだから」

「あの人、八咫の姉上だったの!?」

 今度は葵は驚く番だった。それに頷いた八咫は歩き出そうとして、ふと足を止める。

「そう。……あ、行く前に一つ良い?」

「ん?」

 かくんと首を傾げた葵に、真剣な顔をした八咫が人差し指を立てて言った。

「さっきも言ったように、土蜘蛛は貴族たちに目の敵にされてきた。だからぼくたちも外との接触をなるべく避けて、尚且つ関わることをいとってきたんだ。……きみを今から村に入れるけど、他の人たちの目が厳しいことは覚悟しておいて」

「……わかった」

 真面目な顔をして頷いた葵を見て、八咫は再び村の方を向く。「じゃあ、行こう」と言う八咫について、葵はその境を越えた。


 八咫の危惧は、思いの外早く現実のものとなった。

 二人が村の広場に差し掛かった時のことだ。村の中にいた人々は八咫と葵を見て驚き、何人かが集まってひそひそと話し始める。そのどの人も、八咫と同じような浅黒い肌の色をしていた。

 集まっていた中から壮年の男が一人進み出て、八咫を睨みつけるようにして見た。

「おい、八咫。そいつは何者だ? この辺じゃ、見ない顔だが」

「薬草を採りに行った帰りに、森の中で道に迷ってたんだ」

 こういう対応をされることを見越していたのか、八咫はあくまで淡々と応じる。男は尚も食い下がったが、八咫はそれらを無難に躱していく。

 そこへ、女性が通りかかった。丁度、葵の兄・藤と同じくらいの年恰好だ。彼女の姿を目にし、八咫の顔に安堵が広がる。

「八咫、あんた何してるの?」

「あ、姉貴……」

「何だ、黒羽くろはじゃねえか」

 村の男が一歩後退する。黒羽と呼ばれた女性は八咫と葵、そして男を見比べるとにこりと微笑んだ。葵に対しては片目をつぶってみせる。もう大丈夫、と言っているようだった。

 黒羽はくるりと男の方に体を向け、腰に両手を置いた。

「おじさん、八咫がこの村の不都合になるようなこと、すると思う?」

「あ、いや……」

「でしょ? それに、うちも八咫も困ってる人は助けたいの。大丈夫、みんなに迷惑はかけないわ」

「……黒羽がいいってんなら、いいけどよ。あまり長居させんなよ?」

 そう言うと、男は他の村人たちに目で合図した。彼らも黒羽の言葉を信用したのか、それぞれにばらけていく。村の広場には三人以外の人がいなくなった。

 八咫が黒羽に駆け寄った。

「助かったよ、姉貴」

「いいのよ。それにしても八咫、そちらのお嬢さんはさっき上からあなたと一緒にこちらを見下ろしてた子よね。お名前を聞いてもいいかしら?」

「はい。葵と申します」

 ぺこりと頭を下げる葵に、黒羽は優しい笑みを見せた。

「うちは黒羽。八咫の姉よ。……さあ、こんなところにいるのも何だし、家に行きましょう。そのつもりだったんでしょ、八咫」

「うん」

 黒羽と八咫の姉弟の後ろについて、葵は彼女らの自宅へ案内された。

 そこは、村の中心から少し外れたところにあった。所謂竪穴住居と現代で言い慣わされる家である。この村には、そんな形式の家と高床の倉が同居していた。

「どうぞ、葵」

 黒羽に促されて「お邪魔します」と言いながら葵は家に入った。決して広いとは言えない室内だが、二人で暮らす分には十分だろう。家の隅に、寝るための衾が追いやられている。

 炉を真ん中にして、三人が円を描くようにして座る。葵の右に黒羽が、左に八咫がいる形だ。八咫が白湯を持って来て、それぞれの前に置いてくれた。

「ありがとう、八咫。……さて」

 一口白湯を飲み、黒羽が葵を真っ直ぐ見つめた。

「八咫にはもう話したんだろうけど、うちにもあなたがどうしてたった一人でこんな森の中にいたのか、聞かせてもらってもいいかしら?」

「はい。……わたしは、幼馴染の男の子を探しているんです」

 そう口に出してから、葵は八咫にも語った話をもう一度披露した。

「なるほど。よく、頑張ったわね」

 葵の話を聞き終わると、黒羽はそう言って彼女の頭を撫でた。それがくすぐったく感じられたが、同時に嬉しくもあって、葵はなされるがままになった。

 ひとしきり頭を撫でた後、黒羽はちらりと弟を見た。

「八咫の言う通り、あなたの力になれるわ。都――飛鳥浄御原宮――までの行き方を教えましょう」

「あ、ありがとうございます!」

「あ、でも姉貴。葵は地図に弱いみたいなんだ」

 嬉々としたのも束の間、八咫の言葉に葵はぐっと詰まってしまう。それを見て、黒羽はくすくすと笑った。

「大丈夫よ。うちと八咫で途中まで送ってあげればいいんだから」

「ああ、それもそうか」

 納得顔で頷く八咫と提案した黒羽に、葵は一転して慌てた。休ませてもらっただけでもありがたいのに、そこまでしてもらっては申し訳ない、と言い張る。

「でも葵、道に迷うじゃない?」

「う……」

「幼馴染を連れ帰ることが目的なら、使えるものは有り難く使いなさい」

「……はい。ありがとうございます」

 黒羽の言葉に反論も出来ず、葵は二人の厚意を有難く受けることにした。

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