第九話 迷い道
「……ここ、何処だろう?」
独り言を言ったところで、応えてくれる声などあるはずもない。ここは、都へ向かう道の半ば、であったはずだ。何故か葵は、獣道もない森の中に佇んでいた。
どうやら葵は、方向音痴であったらしい。
村を一度も出たことのなかった葵は、自身が正しく地図通りの道を行くことを不得手としていることを知らなかった。今、その事実に愕然とする。
既に夜半を過ぎ、何処かで梟が鳴いている。月の光がかろうじて届く森の中で、葵は膝を抱いて木の幹に背中をくっつけていた。
「……寒い」
春先とはいえ、まだまだ夜は冷える。葵は凍えそうな体をさすってしのいでいた。それでも震える体は、どうしようもない。防寒具である蓑を羽織り、体を小さくする。
まだ雪が降っていないだけましだ。
ここで今夜は休み、明日また道を探そう。そう決めて、葵は頭の中で温かな我が家を想像しながら目を閉じた。
そこには松葉がいて、藤がいて、朱華がいる。みんなで笑って食べて話している。それなのに、何かが足りないと感じてしまう。
「……わたしって、重いのかな」
自分の抱く想い。その重さが、千歳にとっての負担だったのかもしれない。そんな負の感情が湧いて来る。あまり良くない傾向だ。
葵は首を横に振り、雑念を飛ばした。今は、休むことが先決だ。
「……寝よ」
静かな夜である。幸い、獣の気配はない。葵は冷えた空気の中、ゆっくりと睡魔に身を預けた。
眠ってから、どれほどの時が経っただろう。不意に、葵の意識が浮上する。誰かが自分の肩を揺すって起こそうとしているのだ。それがわかったのは、呻きながら薄目を開けた時だった。
「……あ、起きたか」
「誰……?」
眠気眼をこすりながら問う葵に、目の前にいる少年は答えてくれた。
「ぼくの名は、
葵は、自分に手を伸ばしてきた少年をまじまじと見つめた。
見慣れない薄褐色の肌に、自分と同じ真っ黒な髪。ずっと大切に着ているのか、服は少し汚れていた。年は、葵よりも下だろう。まだあどけなさの残る優しい顔立ちをしている。
葵が返事をせずにいると、八咫と名乗った少年の目に戸惑いが浮かぶ。手を引っ込め、おどおどとし始めた。
「ご、ごめんなさい。見知らぬぼくなんかに声かけられたら驚くよね!? 気にしないで、じゃあ……」
「あ、待って!」
葵は八咫の服の裾を掴み、彼を止めた。驚き目を見開く八咫に、葵は勢いよく頭を下げた。
「お願いします!」
「……え?」
「いや、だから。八咫の村? に連れて行ってほしいの。わたし、都を目指して歩いているはずが、迷っちゃって」
「都、に」
「そう」
「……訳を、聞いても?」
目を合わせて尋ねられ、葵は座り込んで八咫と向かい合い、経緯を語って聞かせた。その時になって、夜が明け始めていることに気付いた。
葵は言った。五年前に防人として旅立った幼馴染みを待ち続けていること。彼が自分との約束を果すために、大宰府からの帰り道で都に寄ったらしいこと。そして、その後音沙汰がないこと。
話していて、改めて心がじくじくと痛んだ。
「……というわけです」
話し終わり、葵は八咫の反応を見た。もしかしたら馬鹿にされるかもしれない、呆れられるかもしれない、そうなったらどうしよう。そんな不安が付きまとう。
しかし八咫が示したのは、そのどちらでもなかった。
「そういうことなら、力になれるかも」
「……ほんと?」
「うん。だから、ぼくについて来て」
八咫に手を引かれ、葵は深い森に分け入っていった。
村に着くまでの間に、八咫は自分たちのことについて教えてくれた。
八咫は、『
「そして、ぼくたちは大昔に滅んだという『幻の国』の末裔でもあるんだ」
「まぼろしのくに……?」
葵が首を傾げると、八咫は少し楽しそうに笑みを浮かべた。
「そう。大昔、不思議な力で未来を見たという女王さまが治めたんだって」
「ふうん……」
八咫の足取りは軽い。対して葵は、決して余裕があると笑えるほどではない。それでも、恩を返したいがために必死で岩の多い道を歩いて行く。
「詳しくは、またあとで。あれが、ぼくらの住んでいる村だよ」
日の光が眩しい。しばらく森の中を進んだ後、八咫が丘の上で何かを指差した。
八咫の隣に立ち、葵は目を見張った。
「すごい……」
崖の下には、村があった。幾つかの高床倉庫が鎮座し、近くを川が流れている。家は数十軒はある。その規模は、葵の村の倍ほどだった。
「土蜘蛛の村だ」
八咫が何かに手を振った。葵が覗き込むと、村の中で女の子がこちらを見上げている。葵も試しに手を振ると、振り返してくれた。
八咫に引っ張られ、葵が土蜘蛛の村へと足を踏み入れるのは、もう少し先のこと。
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