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第九話 迷い道」への応援コメント


  • 編集済

     景行天皇が九州遠征に行った時、女首長が何人か出て来て、女首長の一人、速津媛が皇命に従わないという土蜘蛛の話をしていますね。
     確か本居宣長は卑弥呼を熊襲の女首長が自称していたとしていましたが、私もこの古臭い説を支持していまして(笑)、次回のエッセイで少し書くつもりですが、景行天皇の九州遠征は卑弥呼が死んだ暫く後、邪馬台国を降伏させた可能性があるんじゃないかと思っています。邪馬台国北九州説の東遷説論者や畿内説論者には嫌われそうですが(笑)

    *追記
    >「山門の女首長」
    神功皇后紀の山門県(やまとのあがた)の土蜘蛛で殺された田油津媛ですね。
    この媛の経緯自体はよく分かりませんが、兄の夏羽が軍を率いて(天皇を)迎えに来たけれど、妹が殺されたのを知って逃げたと言う話で、確かに卑弥呼に当てる説もあるようですが、神功皇后紀は朝鮮の文献や七支刀から比定して120年時代がずれているので、卑弥呼の時代の出来事とは違うのかな? と個人的には思いますが、わざわざ魏志の記事を神功皇后紀に乗せている謎もあるので編者が混同している可能性もあるのかも知れませんね。
    「邪馬壹国」は悪名高い九州王朝説の古田武彦氏が言い出した事なので……呼び方の疑問自体は確かにそうかも知れませんが、古田氏の説と言うだけで拒否反応が(笑)

    作者からの返信

    麗玲さま
    コメント下さりありがとうございますm(__)m

    『古事記』か『日本書紀』に、「山門の女首長」が出て来たように思います。わたしはその人物が所謂卑弥呼ではないかと思っているのですが……どうなのでしょうね? それならば「山門」=「ヤマト」ですし。それが熊襲だったかどうかは覚えていないのですが……。
    邪馬台国は実は邪馬壹国(やまいこく)の書き間違いだという話もありますし、なかなか難しいですよね。
    麗玲さまの説、拝読するのを楽しみにしております!