第4話 蟲の親玉と、龍の尻の観察
昼過ぎにラランセラを反転させ、腹の側の掃除に取り掛かる。
ラランセラはドクターに対しては好印象を持ったようだったので、特別に腹の上に乗らせてみた。
龍の鱗は腹部が最も薄く、信頼関係が無ければその上をセムタムが歩くことは出来ない。
時折、掃除する手の違いにくすぐったくなったラランセラが腹をよじると、ドクターが海に滑り落ちる。
最初は「きゃあ」とか「ぎゃあ」とか金切り声で喚いていたドクターも、三回目くらいには慣れて笑いながら落ちて行くようになった。
「ドックは、可笑しいねえ!」
ラランセラも笑って、わざと難易度を上げるべく、お腹をひだにして震わせてみたりする。
「ドクターが蟲挟みを落としたら、あんたが取ってくるんだよラランセラ」
「うんうん。ぼくは、頑張るよ」
そうやって、すべてが平和に終わるとクロシュが信じていたその折だった。
ドクターが狼狽した声でクロシュを呼ぶ。
「これは何でしょう」
クロシュがラランセラの腹の上に這い上がっていくと(背中のときのように駆け上がるのは禁物である)、ドクターは己が足元を指さした。
尾の付け根あたり。
ドクターが不審がったそのモノを見て、クロシュは唸った。
「こいつはまずい」
「まずい?」
「ラランセラ!」
突然の怒声に、
「きゅっ」
と鳴いた海龍の腹筋が引き締まる。
「ラランセラ、こいつを何故最初から言わなかったの? 痛かっただろうに」
「う、うん。あの、恥ずかしかった、ぼく。だってそこ、お尻だもん」
「いいかい、あたしは毎年あんたのお尻を見てるのよラランセラ」
「そうだけどね、でもね」
仰向けの状態から頭を上げたラランセラは、きゅっきゅっとか細い声を上げて抗議した。
「ドックに見られたくないって? 手遅れだよ。ドックはあんたのケツの穴を見てる」
「……そうか、龍も総排出腔なのかな……」
「ちょっと良く分からないこと言ってるけどね!」
「見ないでえ」
「なーにを色気づいてるんだいあんたは!」
どんとブラシで腹を小突くと、きゅひーい、と情けない声を上げて、ひとが大の字に倒れるように海龍はぐったりと脱力して伸びる。
「これも寄生蟲なんですね? すごく大きいですけど」
「そうだよ。ああ、触っちゃだめ」
「取らないんですか」
「取るとも。ただし素人がやると手に余るんだ。こいつは寄生蟲の親玉だね」
ラランセラの尻についた寄生蟲は他の蟲の三倍はあろうかという、栄養の行き届いた巨大な個体だった。
ここまで大きくなると態度もふてぶてしいもので、鱗に擬態することを放棄して体を外に突き出している。
その様はまるで、不格好な特大のおできだ。
寄生足も発達して、自分の真下の肉に撃ち込むだけではなく、左右に広げて鱗をめくり上げ、思うがままに龍の体を侵食している。
クロシュが薬剤に浸したブラシをぎゅっと押し当てると、寄生蟲の親玉は驚くべき速度で身を起こした。
「いた、いたい、いたたたたい!」
優しい海龍は、ふたりを振り落とさないように腹だけは動かさずに手足をばたつかせた。
親玉の寄生足が伸びて鞭のようにブラシを叩く。
「活きが良い」
クロシュがさっとブラシを引くと、その手には乗らないとばかりに寄生蟲の親玉は元の位置に足を引っ込めた。
「分かったね、ドクター。この通りさ。狡猾だ。あたしが見た中でも一番の大物だよ」
ラランセラがこちらを伺い、クロシュと目が合うとさっと頭を海につけた。
「大きいの付いたら早めに言いなって釘さしてるのにさ、いっつもこの子らは言わないんだよね。我慢することが大人の証、カッコいい、みたいな気持ちだから」
「ああ、分かります。トゥトゥもそういうことするんですよ」
「ははは! あの子にも可愛いところがある」
クロシュはラランセラの腹の上を歩き、首元まで行った。
文字通り首根っこを押さえてブラシでとんとんと突く。
渋々、ラランセラは海面に顔を出した。
「取らなきゃいけないよ」
「分かってるよう」
「ただし残念なことに、あたしの手にはあまりそうだ。随分と大事に育てたみたいだからね。もちろん、あんたの大好きなドックの手にも余る」
「じゃ、じゃあ、別のところ、行かなきゃだめ? 恥ずかしいよ」
「ひとつだけ方法がある。あんたに勇気があるんなら」
「どんな?」
「トゥトゥを呼ぶんだよ。あの馬鹿力なら何とかなる」
「うえ、こあい。だめ」
「じゃあ別のところへお行き。はじめての龍蟲払にケツの穴をよく見てもらうといい」
「ええん、やだやだやだやーーだあ」
「うるさい海龍だねえ。どうするんだい。あんたが決めなよラランセラ。自分のことだろ」
ラランセラがまた頭を海中に沈ませようとしたので、すかさずクロシュは首を叩いてやめさせた。
熟考させても良いことは無いと知っている。
この海龍ときたら、一度悩み始めたら一年待っても解決しないことなんてざらなのだ。
「ラランセラ! 考えてみなさい。あんたが勇気を出せばね、トゥトゥを腹に乗せた度胸のある海龍だってみんなに自慢できるよ。トゥトゥにでっかい蟲を取らせてやったんだって言いふらせばいいじゃない」
「そ、そう、かなあ」
「そうとも。それにね、あんたのその脳みそのぎゅっと詰まった自慢のおつむで計算してごらんよ。トゥトゥを腹に乗せて仕事させてやった、そんな勇敢な海龍だったら、お
「そ、そう、かも」
髭が天に向かってピンと立つ。
あと一歩。
あと一歩で、この海龍は決断できるだろう。
寄生蟲が多くなったのはどう考えても親玉が呼び寄せたものだろうから、この流れで絶対に取らなければいけない。
恥ずかしがりのラランセラが他の龍蟲払に腹を見せるとも、それ以前に素直に話すとも思えなかった。
おぼつかない足取りでドクターがやってきて、ちらりとクロシュと視線を交わす。
分かっています、とドクターの目が言っていた。
クロシュは信用する。
しゃがみこんだドクターに首筋を撫でられたラランセラはてきめんに機嫌を良くして、髭をふにゃふにゃと宙に泳がせていた。
「ねえラランセラ。この情報があなたのプラスになるかは分からないけど、トゥトゥは結構お喋り好きでね、しかも料理だって上手よ。お願いすればみんなで夕ご飯が食べられるんじゃないかな」
「んふ、ふふん。ふっふ。じゃあ、やるよう」
クロシュとドクターは顔を見合わせ、笑って拳をこつんと打ち合わせる。
そして、今まさに首に這い上がらんとしていた不幸な寄生蟲を挟んで、カヌーに投げ落としたのであった。
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